106アクセスから更に上昇し、137アクセス。

 

 

 

次の日は44アクセス。

 

 

 

その後、二日連続上昇しました。73アクセス→97アクセス。

 

 

 

 

 

最近は、主のメッセージが受け取れなかったので、

アクセス数でこのように祝福され、久しぶりでとても嬉しかった。

 

嬉しくてここ2、3日、主の事を今まで以上?に考えていた。

主に会いたくて仕方がない。

聖書の主の御言葉を読むと胸が高鳴る。

イザヤ書54の↓のところを読み返したり。まだまだ他にもありますが。

 

 

新しい祝福、預言者に対する言葉、終末の徴

 

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恐れるな、もはや恥を受けることはないから。
うろたえるな、もはや辱められることはないから。
若いときの恥を忘れよ。
やもめのときの屈辱を再び思い出すな。
あなたの造り主があなたの夫となられる。
その御名は万軍の主。
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
全地の神と呼ばれる方。
捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
主はあなたを呼ばれる。
若いときの妻を見放せようかと
あなたの神は言われる。
わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
深い憐みをもってわたしはあなたを引き寄せる。
ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
あなたを贖う主は言われる。

 

******

 

どうして私なのか。みえない!!

そう思う時は、千と千尋の千尋を思い出してみる。

 

 

 

 

 

主は王なので、主と結婚した方は他にも沢山いるかも知れない。

でも、私は封印を解き、

その封印が解けるものは、天にも地上にも地下にもいなかった。

 

まだまだ私には迷いがある。

妄想かと思ってしまう。

 

聖なるものになりたい。

この地上は、魂を育てる場所。

死んだら魂の成長は終了する。

だから焦りはじめる。

迷っている暇はない。

時間がない気がしてきた。

 

私は、幸運にも主が導いて下さり

この土地に導かれてきた。

結婚もしていない子供もいないので、主のことをずっと考えていられる。

仕事は主が見つけてくださり、今の仕事は人とほとんど話すことが

ないので、ずっと主の事を考えていられる。

 

 

 

主に対する愛大きくして、あの世へ行かなくてはならない。

この地上で愛を大きくしたらあの世ではその愛が永遠に続くのではないだろうか。

あの世では、倦怠感というものもないと思う。

永遠に主に対する愛が続く。ずっと主に対して胸が高鳴っている。

全知全能な主の妻になったわたし。

こんなに幸せなことはない。

これが天国というものだと思う。

だから生きている間、愛を大きくしなくては。

あの世では主の御側にいさせてください。

そして宇宙のことやすべての真実を教えてもらいたい。

 

 

他にわたしが気づいていないところで、悔い改めるべきものがあるか

主にお祈りしています。こんどは、力を込めてお祈りしてみようと思う。

わたしが直すべきところ、甘え、怠け者の他にもあるかどうかも。

聖書を繰り返し読めば答えが出てくるかも知れない。

 

そして、愛智(philosophia)のことも頭に浮かべよう。

 

 

 

 

『愛を知る』ではない?のれんに書かれた3文字

 

 

主が導いてくださった『愛智』と『ソクラテス』。ヨハネの黙示録

 

 

男女の愛で「駆け引き」というものがありますが、

主の愛には「駆け引き」はないと思いました。

 

****

 

雅歌5.2-5.8

 

 

眠っていても
わたしの心は目覚めていました。
恋しい人の声がする、戸をたたいています。
「わたしの妹、恋人よ、開けておくれ。
わたしの鳩、清らかなおとめよ。
わたしの頭は露に
髪は夜の露にぬれてしまった。」

 

衣を脱いでしまったのに
どうしてまた着られましょう。
足を洗ってしまったのに
どうしてまた汚せましょう。
恋しい人は透き間から手を差し伸べ
わたしの胸は高鳴りました。
恋しい人に戸を開こうと起き上がりました。
わたしの両手はミルラを滴らせ
ミルラの滴は指から取っ手にこぼれ落ちました。

 

戸を開いたときには、恋しい人は去った後でした。
恋しい人の言葉を追って
わたしの魂は出て行きます。
求めても、あの人は見つかりません。
呼び求めても、答えてくれません。
街をめぐる夜警にわたしは見つかり
打たれて傷を負いました。
城壁の見張りは、わたしの衣をはぎ取りました。

 

エルサレムのおとめたちよ、誓ってください
もしわたしの恋しい人を見かけたら
わたしが恋の病にかかっていることを
その人に伝えると。

 

 

***

 

 

そもそも、人間は神を試してはいけないのだから「駆け引き」はない。

ですが、神は人間を試します。

 

 

 

 

 

わたしは、愛については、今まで男目線や男思考の愛だったと思います。

去る者は追わず精神だったと思う。

でもたぶんそれは傷つくのが嫌だからかも知れない。

今ここで愛を書いていることに少し驚きと恥ずかしさがあります。

絶対、わたしの心を裏切らない人がいないかとさがして、

少しでも裏切り行為(少しでも怒り声を出される)でも裏切られたと思いました。

 

 

私が物心つくころ、記憶にあるのは保育園にいってるときから、

「なぜわたしにお父さん、お母さんがいるんだろう」と思いながら

吐きそうになりました。

その時は、父母に厳しく当たられた記憶もないのに、

いまでもなぜそう思っていたのか不思議です。

 

中学では思わなかったけど、小学校時代までは、

ずっと孤児院に入りたいと思っていました。

いつか本当のお父さん、お母さんが迎えにきてくれると思っていました。

(そう思っていた人は多いかもしれないので、わたしが特別ではないと思いますが)

 

足ながおじさんが迎えに来てくれると思っていました。

わたしは、外孫なので離れて住んでいる祖父、祖母と一緒に暮らしたいと思っていました。

 

幼少期は、家族で取っ組み合いばかり。平手打ち、髪を引っ張られる。顔が腫れあがる。

家の中は戦争で休まるところがなかった。自分の部屋があっただけましかも。

泣き腫らした目で学校に通った。

泣き腫らした私の目を見た友人は、いつも「また泣いたでしょ」と言われた。

 

私の父は、子供よりも自分自身の事に興味があるのであまり父らしくなく、

母はなぜかきょうだいの中でわたしにだけ過干渉だが、平手打ちもきます。

母は昔のことは覚えてないそうです。

忘れたふりをしているのか、悪魔が入っていたのか。。。

 

 話がだらだら長くなるのですが。。。

 

 

それで、上杉謙信を思い出したときだったと思う。

わたしは、焦っていた。でもすごく疲れていて眠くて頭痛もして、

でも調べようとおもってノートパソコンを開けようと、手をパソコンにのせたとき

「もう休みなさい」というメッセージがきたのです。

たぶん、これがわたしが頭にメッセージが来たという初めての体験だったと

思います。

自分は焦っていて調べようとしているところに、まったくわたしの想いとは逆の想いが

頭の中に入ってくるのですから。これは主からのメッセージだと思いました。

 

わたしは、パソコンに乗せた開けようとした手を止め、

そのまま開けずメッセージのとおりに、眠ることにしました。

わたしは、とても幸せでした。

こんな幸せはあまりしたことがなかったからです。

主の愛を感じました。

父や母は今も大事ですが、父や母にもあまりされた経験がなかったから。

 

わたしは主に出会い、もう愛について疑ったりしなくていい。

裏切るのではないかと思わなくてもいい。

駆け引きが必要なのではないかと思わなくてもいい。

聖書に書いてあるように、主はとこしえに契約を守ってくださる。

 

わたしは、だから主に対する愛を大きくして

あの世へ行きたい。

愛してます、愛してますだけでは、それは愛ではないから

愛智を育て聖なるものになりたい。

 

 

 

聖書は、わたしのために書かれたところもあるバイブル本だと思っています。

本人が読まなければわからないだろうと書かれているそうですが、

どこで知ったか忘れました。

本人が読むから聖書の意味を知ることができるそうです。

そして、来るべきときに備え聖書に記したというのもどこかに

書いてあったと思うのですが。

 

それをわたしなりに解釈したところを、今後書いていこうかなと

思っています。