聖書にわたしの事が書かれているというのなら、
怠け者のところもそうである。
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箴言6.6-6.19
怠け者よ、蟻のところに行って見よ。
その道を見て、知恵を得よ。
蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが
夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。
怠け者よ、いつまで横になっているのか。
いつ、眠りから起き上がるのか。
しばらく眠り、しばらくまどろみ
しばらく手をこまぬいて、また横になる。
貧乏は盗賊のように
欠乏は盾を持つ者のように襲う。
ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者
目くばせし、足で合図し、指さす者
心に暴言を隠し、悪を耕し
絶えずいさかいを起こさせる者
このような者には、突然、災いが襲いかかり
たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない。
主の憎まれるものが六つある。
心からいとわれるものが七つある。
驕り高ぶる目、うそをつく舌
罪もない人の血を流す手
悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足
欺いて発言する者、うそをつく証人
兄弟の間にいさかいを起こさせる者。
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↓この夏、仕事で日焼けしてしまったわたし。。。。
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雅歌1.5-1.7
エルサレムのおとめたちよ
わたしは黒いけれども愛らしい。
ケダルの天幕、ソロモンの幕屋のように。
どうぞ、そんなに見ないでください。
日焼けして黒くなったわたしを。
兄弟たちに叱られて
ぶどう畑の見張りをさせられたのです。
自分の畑は見張りもできないで。
教えてください、わたしの恋い慕う人
あなたはどこで群れを飼い
真昼には、どこで群れを憩わせるのでしょう。
牧童たちが飼う群れのそばで
顔を覆って待たなくてもすむように。
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雅歌の中に、「愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。」という
文章があるのですが、わたしがもし10年前とか20年前に主に出会っていたら
どうなっていただろうかと思う時があります。
心から愛していると言うのだろうか。
そう思うと、私の過去の歴史はなくてはならないもの。
↓以下の雅歌の「恋人よ、あなたをたとえよう ファラオの車をひく馬に。」(新共同訳聖書)という箇所なのですが、
雅歌1.9-1.11
恋人よ、あなたをたとえよう
ファラオの車をひく馬に。
房飾りのゆれる頬も
玉飾りをかけた首も愛らしい。
あなたに作ってあげよう
銀を散らした金の飾りを。
Good News Bibleだと
↓このように翻訳されているそうです。
『9 可愛いお前、メス馬が、ファラオの馬車のオス馬たちを性的に興奮(excite)させるように、男たちを興奮させて(excite men)あげなさい。
↓詳しくはこちらへ飛んでください。こんな文章書いてみたい。。。
性的欲望と性欲による喜びを肯定(こうてい)している聖書の個所を取り上げます。
性欲については、もしかしていけない事なのかなと思っていましたが、
わたしは間違った解釈をしているとあることで気づきました。
なので、上記のサイトはよく書かれていると思います。