今日は、英語で聖書を読もうと以下の本を購入。

三日坊主になりませんように。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネット検索していたら、旧約聖書に続編があることを知りました。

今の聖書を読み終わったら続編を読んでみたい。

 

 

 

↓漫画で読むコーランの本は、昨日読み終わる。

 

 

 

 

 

 

アッラーのために戦うことを奮闘努力(ジハード)というそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

***

 

第2 雌牛章190節

 

あなたがたに戦いを挑む者があれば、

アッラーの道のため戦え。

だが侵略的であってはならない。

本当にアッラーは、侵略者を愛さない。

 

 

第5 食卓章45節

 

「生命には生命、目には目、鼻には鼻、耳には耳、

歯には歯、凡ての傷害にも、(同様の)報復を。」

しかしその報復を控えて許すならば、

それは自分の罪の償いとなる。

 

 

第29 蜘蛛章69節

 

われ(の道)のために奮闘努力(ジハード)する者は、

必ずわが道に導くであろう。

 

***

 

そして、戦争はあくまで小さなジハードで、

自己の内面との戦いを大きなジハードというそうです。

 

***

 

第42 相談章 40-42節

 

悪に対する報いは、それと同様の悪である。

だが寛容して和解する者に対して、アッラーは報酬を下さる。

本当にかれは悪い行いの者を御好みになられない。

不当なことをされた者が、自ら守って(報復して)も、

これらの者に対して罪はない。

他人に悪を行い、また度を越した復讐を企て地上を騒がす者たち、

かれらに対する(アッラーの)罰は痛ましい懲罰があるだけである。

 

 

 

↓過去記事  主の裁きがなければ悟りをひらけず主を畏れ敬うことができないのなら

 

わたしは家族愛なんて言葉はいらない。

主の愛があるから今は幸せなのです。

 

***

 

第9 悔悟章 128-129節

 

今、使徒があなたがたにあなたがたの間から、やって来た。

かれは、あなたがたの悩みごとに心を痛め、あなたがたのため、

とても心配している。信者に対し優しく、また情深い。

だからかれらが背き去っても言ってやるがいい。

「わたしには、アッラーがいれば十分である。かれの外に神はない。

わたしは彼を信頼する。かれこそは、(栄光に満ちた)

至高の玉座の主であられる。」

 

***

 

わたしも主を信頼する。

わたしは主がいれば十分である。

たとえ、まわりが背き去っても。

わたしは主を信頼する。

 

----

 

↓過去記事 自分の人生を振り返り悔い改める。悔い改めが大事。と哀歌。

 

たとえ、熱心に主を畏れ敬っているような人にみえても、

それが正しくなかったら主は公平に裁くのです。

そして、それを見たあなたたちは本当に主がいるのだと知るようになるのです。

 

---

 

↓以下の聖書の文章を読んでいて見つけました。

過去記事に書いたように、わたしは○○○○を牧者としてはもう見れない。

がっかりしました。ただ○○○○には立ち止まり自分自身を見つめなおしてみればいいのに

わたしは助け船を出しただけなのにと心の中で思っています。

わたしは彼を不憫に思いました。(みなさまはどうお思いかわかりませんが)

彼の小さな自分のプライドで、大きなものを失ったのを目の前でわたしは

見たような気がしました。。あくまでもわたしの主観です。

 

なんだか偉そうに自分の事は棚に上げている感が。。。。

自分自身もたびたび立ち止まり見つめなおすようにしたいと思う。

 

 

***

 

エゼキエル書 34.1-34.31

 

 

イスラエルの牧者

 

 

主の言葉がわたしに臨んだ。

「人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。
主なる神はこう言われる。
災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきでないか。
お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。

 

お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。
また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、過酷に群れを支配した。

 

彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。
わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。
また、わたしの群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない。

 

それゆえ、牧者たちよ。
主の言葉を聞け。わたしは生きている、と主なる神は言われる。
まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。
牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。

 

それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。
主なる神はこう言われる。
見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。
わたしの群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる。

 

牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。
わたしが彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ。
まことに、主なる神はこう言われる。
見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。
牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。

 

わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。
わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。
わたしは良い牧草地で彼らを養う。
イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。

 

彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。
しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。
わたしは公平をもって彼らを養う。

 

お前たち、わたしの群れよ、主なる神はこう言われる。
わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。
お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。
わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。
それゆえ、主なる神はこう言われる。
わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。
お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。

 

しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。
そして、羊と羊との間を裁く。
わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。
それは、わが僕ダビデである。
彼は彼らを養い、その牧者となる。

 

また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。
主であるわたしがこれを語る。
わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。悪い獣をこの土地から断ち、彼らが荒れ野においても安んじて住み、森の中でも眠れるようにする。
わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨を降らせる。
それは祝福の雨となる。
野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。
わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。

 

彼らは二度と諸国民の略奪に遭うことなく、この土地の獣も彼らを餌食にしない。
彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。

 

わたしは彼らのためにすぐれた苗床を起こす。
この土地には二度と凶作が臨むことはなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない。
そのとき、彼らはわたしが彼らと共にいる主なる神であり、彼らはわが民イスラエルの家であることを知るようになる、と主なる神は言われる。
お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。
お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である。」と主なる神は言われる。