昨日は3年ぶりに、年末恒例のアレ…
劇団フライングステージの宴、
gaku-GAY-kai を観に行きました
演目はシェイクスピアのパロディ、
『贋作・終わりよければすべてよし』
この物語は、題名のとおり というか
話の進み方がかなり強引で、
ヒロインはなぜこんなクズ男を愛するのかと
首を捻るところも多々あり、
「ナゼそうなる!?」という
ツッコミどころ満載で頭を抱えるのですが、
(シェイクスピア作品の中でも
問題作と呼ばれているらしい)
さすがは関根さん!
原作のツッコミどころ、というか
強引、無茶、矛盾、不明…なところを
ことごとく笑いを誘う場面に昇華させ、
「ヒロインが女装の男である」
というgaku-GAY-kai のお約束上で
難関になりそうな妊娠問題も
原作にある伏線によって見事に解決。
もちろん、
「そんなのありか!」と叫びたくなりそうな
これまた強引な解決なのですが、
それであってこそ、題名の通りの
『終わりよければすべてよし』に
回帰するわけで。
2015年、
私に初舞台を踏ませて下さった
ゴッドマザー・関根信一さん、
これからもあなたの創る
ハチャメチャで温かくぶっ飛んだ世界に
ついて行きます!
ご存知の方はご存知のとおり、
gaku-GAY-kai の
一部の出演者の方々と私との間には
正体不明の溝というか、確執があります。
(詳細はもう説明しません。
コメントで質問されてもスルーします)
そもそも、人間関係の諍いというのは
「誰かが100%悪い」
ということはまず無くて、
各々の性格、主観、希望や欲望が
衝突したり絡まったりして
起きることだと思っています。
それが複数人ともなれば
もう何が何だか、ややこしくもなります。
私は数年前に
「◯◯さんはあなたを嫌っていて、
●●さんもイヤだと言っていたし…」
という一方的な伝聞の悪口を
とても信頼していた人から聞かされたことで、
裏切られたような悲しみとともに
怒りや不信感にもかられ、
去年と一昨年は 気になりつつも
gaku-GAY-kai に行きませんでした。
こちらは誰に対しても
何ら疾しいことは無いし、
言いたいことがあるなら人伝にせずに
堂々と言えばいい、卑怯者が…
という憤りも意地もあったので。
それでも、
事情を知った上で変わらずにいてくれる
冷静な優しさを持った
たくさんの方々に救われ、
色々な形で助けて支えていただいたことで
少しずつ、私の中の氷がとけてゆき…
ふと壁に目をやれば、
日替わり名言カレンダーには
古代の哲学者アリストテレスの
こんな言葉があったりして。
『垣根は相手が作っているのではなく、
自分が作っている』
その言葉がすとんと腑に落ちました。
だから、
何の躊躇いもわだかまりもなく
あの大好きだった笑いの空間に
もう一度 身を置こうと思いました。
3年ぶりのgaku-GAY-kai 、
想像以上にパワーアップしていて
素晴らしかった…
とても素敵でした!!
(個人的には
二丁目の王の病み具合と
ペローレスの拷問シーン、
ラフューの「かしこまったわ」
が特に笑いのツボでした)
これからも、
表現すること・創ること(output)と共に
感じること(input)を大切に
生きようと思います。
かつて愛した… もとい、
今も愛してやまない方々に
恥じない生き方を。
I love you all
みんなみんな、
幸せでありますように。
終わりよければすべてよし、と
心から笑える年の瀬でありますように。