35年ぶり~中学の同級生・光田健一くんに会いに、渡辺美里のコンサートへ | 谷根千の旅猫

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渡辺美里さんのコンサートに行き、中学時代の同級生・光田健一くんに35年ぶりに会いました。

 

彼がまさか、こんなに音楽の世界で成功しているとは!

中学時代から、天才だったけれど、

 

私が驚いている理由を、思い出とともに綴ります。

※長文ですが、お付き合いいただければ幸いです

 

 

念のため「光田くんMEMO」~

芸大・作曲科時代から仕事をスタート。

渡辺美里さんとのお仕事のほかに

小田和正のコーラス、スターダストレビューのキーボード、八代亜紀管弦楽編曲…などなど。

RAG FAIRのプロデューサーやAKB「桜の栞」の編曲…。

ピアノだけでなく、コーラス、編曲など多岐に、活躍。

 

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光田くんと、私が入学したのは

千葉県松戸市立第六中学校でした。

 

公立中学の中でも、六中は、超普通の子たちが行く学校でした。

 

私達がクラスメートになったのは、2年の時。

光田くんは、

正直、普通の男子で、勉強や体育で目立つところはなく…(笑)。

 

ところが、音楽の授業になって、音楽室に行くと

ピアノに座って、様々な曲を弾き出します。

 

ラジオ体操の曲♪も、光田くんにかかれば

ジャズ風あり、クラシック調あり、交響曲風あり!!

 

なんでも、一度聞けば弾けちゃう。

だけでなく、アレンジして、ずーーーと弾き続けられる。

 

明るい、「オフコース」が大好きな男子…としか見ていなかった、

普通の女子中学生の私も、

 

「この子、何? 私達とはなんか違う次元」と気づきます。

 

幸いにも、当時の音楽の先生が吹奏楽の優秀な指導者で

吹奏学部の部長となった、光田くんはコンクールで優勝し、

オーストリアで演奏する快挙を、学校にもたらしました。

 

普通の中学で、一度も賞を取ったことがない学校が

世界に出て行ってしまったのです。

 

そして、三年生のクラス対抗合唱コンクール。

コーラス部の部長だった私は、光田くんがいるのだから

何か、良い方向に向かわないかなぁ~と思っていました。

 

曲はいくつかの中から選ぶことになっていました。

 

ある日、光田くんが

「あのね、この曲の途中で、別の曲を入れてみない?」

 

それは、ミュージカル「オリバー」の「I'd any thing」という曲で

全く別の頁にあった曲です。

「なんでもやるさ きみのために それがともだちさー♪」という

課題曲とは、全く違った曲調でした。

 

私達素人には、元気いっぱいの課題曲の真ん中

全く曲調も、関連性も関係のない、その曲をぶち込む~

ありえない発想。

 

ところが、歌ってみると

 

前半の元気いっぱいの課題曲に、

オリバーのミュージカル内で

スリを働く子ども二人が

「暗い生活の中で友情だけは絶対に裏切らない」

という歌詞とともに、

その静かな曲調が

心に響き、素晴らしい展開を持つ、楽曲に変身したのです。

 

しかも!

「最後にみんなで“Hey!”と叫んで終わる」という

光田くんの指示が追加されました。

 

おいおい、学校のコンクールでずいぶんと勝手なアレンジ。

大丈夫かーーー、と真面目な私はドキドキ、はらはら。

 

しかし

歌っている私達本人が、ワクワクしてしまう、

そのアレンジ。

誰も止める者はなく

異常なまでの熱心さで練習しました。

 

そして、発表会当日、私達が歌い終わると

審査員で来ていた

教育長のエライ先生が

「正直言って、今日、こんなに素晴らしい合唱が聞けると思いませんでした。感動しました」

 

そんな出来事があったので、受験シーズンを迎え、

自分のことで他人のことなど、構っていられなかった私でさえ

「光田くんは、音楽の道にいくのかな…」と思っていました。

 

ところが、3月になり、合格を互いに知り

どこの学校に行くのかと明かし合う中で

彼、光田君は、私がいく隣の学校の、普通科に行くと判明。

 

実は、心の中で叫んでいました。

いいのか、光田くん。

絶対音感で、ピアノが弾けて、オーストリアまで行って、

毎日毎日、みんなにいろんなピアノの曲を聞かせてくれていた

私達とは、何かが違う、天才の光田くん。

オフコースを遠足のバスで歌ってる

光田くんのママでいいの??

 

そして、35年が過ぎました。

 

51歳になった光田くんは、

オフコースのコーラスで、小田和正さんから「好きです」といわれ

渡辺美里さんから「信頼できる音楽の仲間」という人になって、私の前に現れたのです。

 

 

会場の風景をイラスト化すると、こんな感じ。

 

なんだこれ、夢なのか!!すごい。

美里さんの後ろに、光田くんがいる。

 

しかも、光田くんのピアノはオーケストラのよう

一台のピアノのはずなのに、様々な音が奏でられ、美里さんの声を生かし、チェロと一緒に歌うように。

 

さて、ここでちょっと話がそれるように見えますが、

私の中学時代の話へ。

 

物語は、つながっていくので、

続けて読んでいただければ幸いです。

 

前からこのブログでも書いていますが

私は、それほど音楽を色々聞く方ではありません。

佐野元春ぐらい(笑)というのは、ご存じの方も多いはず。

 

中学三年生のある日、仲良しのN子ちゃんが

「みきー、このテープ聞く? O君に借りたんだけど

佐野元春”っていうんだって。

今、すごくカッコイイって、売れているんだって

 

テープなんて、男子から借りたことがない私は

それだけで楽しくなってしまって、「うん、私も借りる」

 

そして、家で妹と二人で聞いて、激しく衝撃を受け

佐野元春に、のめり込んでいきます。

 

妹は私より、のめり込みやすいので

ある日、松戸の駅ビルで開催されていた

「佐野元春 映像コンサート」なるものに、1人で行ってきました。

 

帰ってきての第一声が

みきちゃん、大変! 佐野元春の前に、新人とか言って

聞いた曲があるんだけど、この人、すごいよ

 

それが「渡辺美里」さんだったのです。

 

妹の衝撃のとおり、渡辺美里さんは、スターダム街道まっしぐら。

姉妹で毎日、美里さんの音楽を聴き、

当時でたばっかりの「CD」コンポをアルバイトで買い

ウォークマンを買い、

佐野、渡辺、佐野、渡辺…的な、青春を過ごしました。

 

2011年、震災が起こります。

私達姉妹の父は、風呂に入っている時に震災に合い

脳梗塞で倒れ、寝たきりになりました。

 

その年は、父のことも大変、仕事も震災の影響を受け、

もう、毎日が大変でした。

 

テレビの好きな番組を観るのが現実を忘れられるひととき。

 

夜中のテレビで大好きな「Asian ace」という番組をみていました。

 

この番組は、

ダンス・ 音楽・映像・料理・ファッション…などなど、様々な分野から才能を選び出し、 日本代表チームがアジア各国および地域のエリート達と熱のこもったエンタメバトル を繰り広げるものでした。

 

その日は、「ヴォーカル バトル」。香港対日本。

※下記番組サイト参照

http://archive.fo/x0Hl3

 

日本監督は「光田健一」。ふーん。

ええええええっ!

光田くん??

 

とうとう、私は、光田くんが音楽業界で成功し

活躍していることを、この番組でしることになったのでした。

 

実は、光田くんは、中学の時から音楽の道に行きたいと思っていたのですが、恩師である谷中先生や両親などから、普通科の高校を出た方がよい、その方が人間としてバランスのよい人になる…といわれ普通科に進学。

 

しかし、高校スタートという、音楽業界では遅すぎるスタートで

音楽の基礎の勉強を開始。音楽と格闘。

一浪の末、東京芸術大学音楽学部作曲家に入学。

学生時代から、仕事をスタート。

 

今井美樹、森高千里、高野寛、プリンセス・プリンセスなどのサポートを経て、今に至るというわけなのでした。

 

「オフコースを歌う少年で終わっていいのか、光田くん!」

と、心配していた私は、全くの馬鹿者で

 

光田くんは、オフコースの音楽の一人になっていたのです。

 

 

思い切って、今回は、渡辺美里さんのコンサートに行ってよかった。

 

さらに、勇気を振り絞って、光田くんに面会を求めて、よかった。

 

光田くんも私も、51歳

ちなみに、

渡辺美里さんも、チェロで競演されていた柏木広樹さんも同い年。

 

51年というと、人生100年時代の折り返し地点。

 

でも、一歩踏み出すと、面白く、楽しく、ドキドキする瞬間が

次々と起こるものですね。

 

光田くん、ありがとう! 素晴らしい時間でした。

 

そして、、私が、台湾のイベントのチャレンジをしているのは

あのテレビ番組で「今、私達は日本の市場にとどまる時でなく

アジアの市場に飛び出す時をむかえているのだ」と感じたからです。

 

感謝しています。

 

長々と、私の思い出に付き合い、

読んでくださった方々、有難うございます。

 

そして、あなたの一歩にも、ドキドキすることが待っていますように!

 

2018年2月25日

丸山実木こと、猫八こと、現在は、山下実木

 

 

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