重たい扉が閉じられた音の後を追うアカトキの王の速く荒い逃げるかのような足音が遠去かり、そして消え去っていった。
皇帝の私室に落とされた沈黙。まるでそれが劇の終わりを告げる合図だったとでもいうかのように……
必死に『死にたがり姫』を演じていたキョーコは顔色を変えて、弾かれたように隣に座る男へと身体ごと向き直る。視界の端でぐらりと大きな身体が傾いたのが見えたからだった。
「っ……ぐぅ」
小さな呻き声。仮面の皇帝が自分の口もとを手で覆う姿に、キョーコの唇からは悲壮な悲鳴のような声がこぼれおちる。
「陛下っ!!そんな……どうして!?だって……」
恍惚と笑んで毒を盛った姫とは思えぬように取り乱したキョーコの震える指が縋るようにクオンのシャツを握る。宮医をっ!と、そう願おうとこの後宮を取り仕切る皇帝の懐刀たるヤシロへとキョーコは涙の浮かんだ瞳を向ける。
その瞬間を狙いすましたかのようにキョーコの顎へと大きな手が伸びる。
「マウい……くちなおし。」
低いつぶやきと共に、キョーコの唇をはむりと食むかのようにクオンのくちづけが落とされたのだった。





人前でくちづけられたと頬を真っ赤に染めてクオンの腕から逃れようと弱くもがくキョーコを腕に捕まえたままにしている男。
「…………なにもクラロースにまでしなくても、普通の砂糖でも塩でも……いや、あのアカトキの王の目の節穴っぷりを考えるといっそ小麦の粉だとしても気付かなかったんじゃ……」
ブツブツと、ついさきほどに飲んだ酒に砂糖より甘いとされる甘味料を入れたなんとも残念な味について文句をつぶやいている皇帝。
あんな物足りない口直しでは足りないと、もっと甘い唇が欲しいとキョーコに更なるくちづけを強請るクオンをしりめに
「こちらの『毒』に一番近しい結晶体の粉を代わりにとのご命令でした故に。」
しれっと答えてみせたヤシロ。その手には、キョーコが腹違いの兄王へと突き返した筈の花を模した金の腕輪。
花に孕んだショーの殺意だけをクオンが飲み干し、腕輪をアカトキへと返すと……そう告げられた時、キョーコは苛烈なまでに反対したのだった。クオンに『毒』を飲ませたくないと。
そんなキョーコへと、一度きり開かれたならば閉じる事が出来ないのならば……中身のすり替えでなく、別に花を用意してやれば良いと、王族の姫として確かな審美眼を持つキョーコが見まごうがばかりの精巧な偽物の金の腕輪を手にヤシロは言い切ってみせたのだった。
仮に他国の皇帝の毒殺の企みだ。きっと、毒を孕む腕輪を作らされた職人は……口封じにと密かに闇へと葬られたのだろうとキョーコにも察せられたこと。なのに……
「我が国の伸ばす『手』もなかなかの長さにございましょう?」
にっこりと、有能なる皇国の懐刀は笑ってみせたのだ。キョーコの金の腕輪を作った職人を殺めたと見せかけて匿い、もうひとつの金の花を作らせたのだと。
ショー何よりも秘めるべき謀略の密事。アカトキの王が汚れ仕事を任せる程なまでに信頼を置く者……その位置にさえヒズリの皇国の息のかかった者を送り込めているのだ。
今更ながらにキョーコはひしひしと思い知る。
ショーの勝ち目の無さを。まさに、手も足も出ないまでに完膚なきその力の差を。
「まぁ…………こちらの『毒』を盛られたとしても陛下が討てたとは思えませんが」
アカトキの王の悪意を孕んだ本物の腕輪の花を揺らしながら、ヤシロの口から軽く付け足された言葉。
「既に、飲み慣れてらっしゃいますし。」
遥か海を越えた東の国よりの、この大陸ではまだ未知の『毒薬』。そう謳われていた筈が……
戸惑うキョーコへと苦笑を浮かべたヤシロは、チューターが教えを施すかのように言ったのだ。
「アカトキの国で市場の独占も出来ぬアキ商会では海を渡る船団の保持など夢のまた夢ですよ。この中の『毒』の出どころは……十中八九、東方のコガだと思いますよ。」
国を成す連合国家とは名ばかりの根っからの商人たちによるギルドが如き国。その長に先ごろ代替わりしたのが『放蕩、なれど出来息子』そう謳われていた男。皇帝たるクオン本人を前にして「嫌いなんですよ。貴方さえ居なければ、俺の天下だったのにって思うと。」にこにこと笑ってそう言い切ってみせたのだという。
そして、『献上品』として東の国のましろな毒を差し出したのだ。
毒を好む『毒喰らい』へと毒を贈り、例えその毒により命を落としたとて……自ら好んで毒を干したは皇帝なのだから、悪意があったとて毒を贈った者を責められはしないでしょうと。
「勝ち目のない馬には決して乗らない煮ても焼いても食えない方ですよ。大陸では未知、まぁ……そうは言えるかもですね。陛下にしか贈られた者が居ないらしい毒ですし、アカトキの王もさぞかし値をふっかけられたことでしょう。」
そんでうちの陛下ときたらいくらお止めしても聞かずにホイホイと慣れるまで飲みやがるし……と、クオンの乳兄弟はブチブチと文句を零している。
キョーコとしては、もう目を丸くするしかない。
ヒズリの皇国を殺める事が出来るとショーが信じ、キョーコがあれ程に恐れていた雪のように甘美なまでに白い劇薬。なのに、既にクオンはその毒に慣れていたのだというのだから。
「これで…………本当に?」
キョーコがその命を皇帝の刃のもとに散らすしか母の故郷を無事に護る道はないと、勝ちの薄い賭けの目を盲信するかのようだったキョーコが、呆気ないがまでのまるっと丸く収まったともいえる現状に思わずそう小さな声を落とす。
「陛下のご指示通りにナノクラ卿の代替わりの支援などして足もとを忙しく致しましたゆえに。当分の間は我が国へと喧嘩を売ろうとも思えとしないでしょう。それに……きっと、陛下とキョーコ様はアカトキの王にとってトラウマに近くなっているかと。」
好好爺の如き見た目を裏切って、腹に一物があったナノクラの党首と身分違いの恋から家と国を出たいと望んでいたその跡取り息子。弱味につけ込み脅すように、野心と王への敵意を持つレイノを党首へと挿げ替えさせたのだと。ミモリ姫の後宮からの出奔は予想外でしたが、良い後押しとなりましたと、他国の権利争いへの介入を余りにも軽々しく簡単にやってのけたのだと語る。
そして、なによりも自分が一番のアカトキの王。みっともなく足掻くを良しとしないがゆえに……自分の自尊心を守る為に徹底的にクオンとキョーコから目を逸らすのだろうと、太鼓判を押してみせるように頷いてみせたヤシロ。
誰よりも自分が可愛い兄王を知るキョーコとしても、クオンへと感じた敗北感と末姫のキョーコを様付けして呼んだ屈辱感が頭ににじまぬように……鬼門のごとくヒズリから目を逸らし、ダメージなど受けてないと虚勢を張り振る舞うのだろうショーが余りに易々と想像が付く。
命すら投げ打つ覚悟で『死にたがり』となった姫。その張り詰めていた糸が切れたかのように、ほぅっと息を吐き出して安心したように柔らかく脱力するキョーコの身体を抱き締めた皇帝。





「だから言っただろう?愛しい姫を手に入れる為になら……なんだってしてみせると。」





神々しいがまでの笑顔で、腕の中に囲い込んだ花嫁へと宣ってみせたのだった。







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キョーコ姫が死にたがりになる理由なぞ、叩いて潰せ!な勢いで遠慮なく手を回してみせたりなクオンくんヤシロさんコンビ。
ψ(`∇´)ψ
憂いのなくなったところで、明日は結婚式にてございまする。



次回、終話。
たぶん……おそらくやっとこさ終われるかと。
_(:3」z)_



↓拍手のキリ番っぽいのを叩いちゃった方は、なにやらリクエストしていただくと猫木が大喜利的にぽちぽちと何か書くやもしれませぬ。


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