"一匹猫の最底辺からのささやかな抵抗"ですが「無関心‼」or「抗議的内容はイラン‼」とお思いならスルーしてください,8/16に熱帯果物と共に湧き出し
ハイサイ(こんにちは)。よろしければうちなー(オキナワ)の名曲を"あなた色で"途中まででもありがたいのでお聴きください➡
ビギン/ 三線の花
2017年のことですが今年&将来にも大いに関係あるはずです。
敬称略/
"サーロー節子の核兵器廃絶組織運動"がノーベル平和賞受賞
:特に印象的なお言葉は「絶対悪である核兵器&それを悪用し続けた人たちにより殺された一人一人に名前があり、被害者たちは誰かに愛されていた。その死を無駄にしてはいけない」「私たちの終わりではなく、核兵器の終了を選ぼう」
受賞はゴールではなくスタートが"かすかに"見えてきたかどうかという感じです。広島・長崎の悲劇を背負う国として、すぐに核兵器禁止条約に入り、非核化を主導していくことは承認122か国を味方につけ戦争好きな国・ウイルス拡散に慣れている国・核保有国などへの影響力を高めていくことになります。
サーロー節子先生&今後登場のサーロー先生のような英雄に大拍手を
今回の一言: 賠償も 治療もなしに 繰り返し
画像は国分寺駅から徒歩30分程度のある分岐点にて、「戦争・核兵器・悲しいイジメがない方向へという意味を込めて」。 では社会的弱者に多大なる恩恵がある&一般の善良な人たちにも悲惨なことがない今後を願って…
面倒な人はスルーしてください、参考まで:
サーロー 節子(中村節子):1932年広島市南区生まれ、キリスト教徒プロテスタント。 2019年トロント大学より名誉博士号を授与。
父親はドイツ人との共同経営でカルフォルニア州で果実業(「情けないな」とおもわれるでしょうが、ヨルゴスの両親も外国と太いつながりあれば良かったのになと未だに思っています。 中~高校時代、orへ留学させろと頼みましたが、校長先生の息子である&冗談が通じない父親は専攻科目をきちんと習得するなら条件付きで検討するということでしたが、母親は「最初はまともでもど~せ遊学, 全費用自分で」と頑なに拒否されました)。
戦時中暗号解読助手に日本軍により命令された初日1945年8月6日、広島への爆弾投下時爆心地から離れた場所にあった司令部で被爆(都内下北沢~明大前の距離に相当)、建物の下敷きになりましたが九死に一生を得ました。 しかしこのとき親族&多くの同窓生を失いました。
📚1954年社会学を学ぶためアメリカへ初留学、翌年カナダの大都市Torontoへ移住、社会福祉事業の修士号取得。 その後支援者とともに、広島・長崎の被爆写真パネルの展示などを続けて、後にカナダ・アメリカ・イギリス・日本などで、被爆体験を語り核兵器廃絶を訴えてきました。
核兵器禁止条約採択に際して、多くの国の代表が彼女の訴えによって心を動かされた様子。2017年12月ノーベル賞授賞式でも核兵器廃絶国際キャンペーン事務局長のBeatrice Fihnと共に名講演を行いました。
Beatrice Fihn: Sverige(Sweden)/港湾都市Göteborg1982年生まれ。同世代の移民や難民と接していくうちに平和活動家になりました。 2018年初来日、長崎大学核兵器廃絶研究センターでの講演、長崎原爆資料館での長崎市長との会談、広島平和記念資料館訪問、被爆者たちとの会談、与野党の国会議員との討論、創価学会本部訪問などをおこないました。
尚Göteborg出身ミュージシャン:
元ABBAのBjörn Ulveaus・メロデイックデスヘヴィメタルバンドIN FLAMES・パワーヘヴィメタルバンドHAMMERFALL・ヘヴィメタル&グラフィックデザイナーJani Stefanovićなど…。
「ヨルゴスがなぜ受賞はゴールではなくスタートが"かすかに"」と表現したか?:
一例として"バケット・Tomate Farciasがおいしい某国"の南太平洋のムルロア環礁などでの実験の繰り返し&後始末放置の他に、核兵器禁止条約に反対している某強大国政府の傘の下に入っている日本政府与党・それに追随する人が未だに、核兵器だけでなくそれ以外(日本にはウチナー諸民族つまり沖縄諸民族・アイヌ民族も共存していることを忘れてはいけない、何も今さらとお思いになる人いらっしゃるでしょうが、政府与党は防衛費増やすことより妥協できる補償をアイヌ民族へ・ウチナー諸民族へもするべきでしょう)の問題含めて平和的解決のゴールから離れつつあるのが明白。
.追随する人一例: 20世紀には"押し付け電波で受信料を強引に請求する局"の2100からの番組の1958年1月生まれの元アナウンサーで慶応大学卒業、その破壊的卒論が「核兵器の威力とその利用法」、現在では天皇なんとか委員のMi.
日本の多くの政治家特に与党が全くと言っていいほど受賞に対しノーコメント&無関心ということもあり、私は驚き・恐怖・怒り・失望を感じているため"スタートが"かすかにみえるかどうかと表現致しました。