野球ロ野球元阪急ブレーブス抑え投手で三振奪う度にマウンド上で激しく吠えたり、試合以外にも派手な仕草で他球団ファンにも人気があったカルフォルニア州出身"Brad Lesley(アニマル)"テレビ番組での特集で彼が片言の日本語で広島市探訪でつぶやいた言葉を思い出したため:「平和だから私たちは野球を続けられる」某本屋で吠え顔が良く似ているライオンの絵本が視界に入り閃いた今回の投稿。 夜中ふらっとコンビニへ行けるのも、自己防衛手段なしで繁華街へ行けるのも平和だからことと思います。

 

元阪急のアニマルさん死去 54歳 腎臓患う― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

カメラヨルゴスが注目している写真家でユニーク&粋な格好で登場の名写真家"ミヤカクたかおさん(参考➡Wind from Ground Zero)の展示会"じきに国内で開催されますが、興味あるかたはぜひ足をお運びください!

 

Wind from GROUND ZERO|宮角孝雄我孫子市国際交流協会 - 我孫子市国際交流協会

 

プロフィール: 広島県庄原市出身、被爆2世。ファッション写真家吉田氏に師事、雑誌&宣伝写真を手掛けジャズギタリスト"Joe Pass"写真集出版。2000年から本格的に広島原爆ドーム前で国籍問わず人々の自由な肖像を撮影することをライフワークとして、2010年にその写真集「グランドゼロー希望の神話」出版。


「宮角孝雄」の画像検索結果宮角孝雄さんの写真展は日曜までです! | yurucafe -ユルカフェ-

 

 

カメラその他に応援したくなる写真家➡渡部陽一さん"戦場からの伝言をあなたに、ファインダー(撮影時、写る範囲を見定めるため取り付けられた装置)越しに見た命の現場"   世界の紛争地域を取材し、戦争の悲劇とそこで生活する人々の正真正銘な生きた声を写真と共に伝えていて、写真を映しながら戦地に生きる人々とくに子供たちについての力説の講演会or平和展があなたのお住まいの地域でもあると思いますので宜しければ足をお運びください!「戦場報道とは生きて帰ること」彼の名言です。

 

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カメラ富士市出身1972年生まれ、「困っている人たちを助ける仕事に就きたい」ということで2浪後明治学院法学部へ進学(試験の時だけ帰国とのこと)。在学中生物学の講義でコンゴ(アフリカ西部旧ザイール République Démocratique du Congo)一般的には狩猟民族と捉えられている赤道直下熱帯雨林地域のムブティ族に興味を持ちキサンガニ首都キンシャサではなく実際の居住地へ訪問して旅行者として身振り手振りで話がしたいまともな予備知識なし(ヨルゴスなら気候・習慣など注意点を把握してから訪問)でアルバイトで旅行費稼いで単身冒険渡航

 

霧辿り着くまでは、ジャングルの中で約2ヶ月の行程、 徒歩・カヌー・ジャングルを抜けるトラックにヒッチハイクさせてもらいながら奥へと入り込んでいき、そのジャングルは高さ20m以上の大木が生い茂っていて、太陽の光が足下に届かないほどで方角が全くわからなくなり、食糧も水も尽きてしまう。すぐに一人で越えていくことは自殺行為であると思いそれ故偶然出くわしたトラックでジャングルを横断。

 

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車その運転手は金銭を要求せず笑顔で乗せてくれて、トラックには運転手と道先案内人、さらに彼らの家族、途中まで同行する現地の若い男女が乗車。日本でいうダンプカーのようなドイツ製のトラックで、荷台にはたくさんの塩魚が積まれていてその匂いだけで思考能力ゼロになったことでしょう。そのトラックに乗りこんで約二ヶ月、彼らと共同生活をしながら体が痛くなりながら我慢の連続で旅を続行。

 

日中にトラックで移動して、夜はジャングルの中で野宿する日々、ジャングルの路はインドネシアのスマトラ島のイングリッシュが通じない長距離バス移動以上の埃が当たり前の未舗装で、ぬかるみと巨大なクレーターのような穴が至る所にあり、速度は歩いた方が早い程度。 

 

 

突然トラックが突き進む前方の森の中から、十数人の少年たちが現れ

当時東側隣国ルアンダでは民族紛争が激しくザイール・アフリカ中東部のコーヒー種子で知名度が意外と高いブルンジ、を巻き込んで拡大。民族大量虐殺が発生、100万人以上の民間人が犠牲となり、国連の効力は皆無に等しいものでした。カメラなど所持品をジャングル移動中にルアンダ少年兵によりとられたが命だけは現金により助かったが証拠画像なしで、インターネットが都内で広く普及する以前のため撮影後即送信という手段なし。

 

アフリカのジャングルの中で理不尽な行いが繰り返されている状況を伝えるその方法を模索することとなり、帰国後その恐怖と怒りの感覚を引きずる日々が続きます(戦争関係が本業・かなりの趣味の人以外はみんなそうなると思いますし薬物乱用しなかっただけまし。さらに周囲からの世間体どーのこーの圧力もかなりあったことでしょう)。 

 

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手始めに家族・親戚・学友にその悲惨な体験を伝えても、自分たちの生活とは全く関係ない&次元が違いすぎるので認識しないという状況。素直に言葉で伝わらないのであれば、趣味である写真を使って伝えようと決心しました。

 

 

スニーカー取材に対する取り組み方現場では基本的に被写体となる方々に危機が迫っている時、撮影以前に助けに入りみんな生き延びることを最優先命が第一、撮影は二の次が基本方針。戦場ではあまりにも状況が混乱しており、味方同士が激しく暴力奮ったり殺し合ったり、兵士・一般人・写真家の区別がつかなかったりと、誰しもが生き延びることに喰らいつき、盲目となってしまう状態もあり。 取材方法として戦争に巻き込まれている被害者側と寝食を共にしながら取材を続けていくこと。いかに衝突する双方の意見を公平に報道していくか土台を組み立て、そこに密着取材という独自性、臨場感を含ませることとのことです。

 

 

鉛筆彼のようなジャーナリストor単独貧乏系長期旅行経験者(他にもいてほしい特に会社役員に)の口からしばしば出る言葉で「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識……」という場合があります。取材・商用・一人旅など関係なくその外国の1地域にのめり込むにはどんなに気兼ねない地域でも70%以上賛同するのは無理ですがその地域の生活慣習&流れに従うのがその人自身の収穫(渡航目的関係なく)を引き寄せる一番の方法かもしれないと痛感しました。 

 

 

分の立場関係なくやはり目的地にできれば複数回足を運び日本を発った時点で注意すべきことは注意しながら小学生時代のような柔らかい五感に気持ちをリセットしてしまうことが理想だと思いました。さらにせっかく単独取材してその報告をマスコミに提出してもその国・そのマスコミ(国の外交政策及び報道の自由の度合いによる影響大)により流れるニュースは全く違ったものとなると再確認しました

 

「戦争報道とは社会的弱者それも最も底辺にいる人の身になり&そこにある事実を偽りなく伝えること」この一番大切なルールを守り、現場で切磋琢磨するジャーナリストたちの今後に期待します。

 

 

 

長々とお読みいただきありがとうございます。