つるみちかよ
1970年うまれ
得意なこと→非言語コミュニケーション
好きな色→カラフル
好きなこと→旅すること
幼稚園に年長さんで入園したときに、自分がしゃべれない、声が出せないことに気づきました。
いきなりの、たくさんの同世代の子どもたちと、知らないおとなたち、知らない場所、決められたくつばこ、席。
時間で区切られた、みんなでやること。
全てが自分には合わず、怯えながら泣きながらの園生活。
あれもこれも、やるかやらないかを尋ねられることもなく、全てがやるべきことであることに抵抗感。
先生の差別や情緒不安定まで感じ、同じ年頃の子たちの話し声がうるさくて仕方ない。
そんななか、3人だけ光って見える子たちがいて、そこはわたしのオアシスでした。
その子たちとなら、少し話せる。
目を見たら、非言語コミュニケーションが成り立つ。
なにをしに行っていたのか。
時々脱走して、幼稚園の二軒隣の家に上がり込んでは、おやつをもらい、話をする。
その家は、園で光って見える子のひとりの子のおうちでした。
そこのお母さんは、一度もわたしを咎めませんでした。
特別扱いもしませんでした。
いまでも、感謝しています。
しかし、
わたしは小1のとき、その子にあらぬことをしてしまいます。
いまでも、後悔と申し訳ない気持ちです。
でも多分、全然許していると思うんです。
そんな人たちだったから。
私はそこから、避けるように縁を遠くしてしまったことをいちばん、後悔しています。
小学生になっても相変わらずしゃべれずに、学校が終われば逃げ帰っていました。
帰り道は一人が好き。
ホッとしながら、民家の庭を横切り、グミ(木の実)を勝手に頬張って帰り、なぜかバレては叱られていました。
具合が悪くてもそうとも言えずいきなり倒れたりする日々。
通っていたそろばん塾の先生とは筆談でした。
黙々とマンガを描いて
近所の子と見せ合いっこをしては楽しみました。
よくある、女の子の絵でした。
1番好きだったのは、アスファルトにチョークや石で描くこと。
なんとも言えない解放感と自由感!
あれが私の表現の原点だと思っています。
誰にみせるわけでもない、褒められるために描くでもない。空の下でのびのびとした時間。
雨という自然現象により簡単に消えてしまうもの。
描ける石、描けない石があることは発見だったし、自分が使いやすい石をみつけるのも楽しかったこと。
キラキラしてるのや、ガサガサしてるもの。
地球にはいろんな石があるってことを身体で知っていきました。
えがくことが
自分を救ってきた
そんなことをいまになって、ようやく実感するようになってきた。
ずっとわからなかった。
なんで描くのか。
なんで描きたくなるのか。
どうして、子どもの描く絵をみて、わたしが救われてるのか。
どうして、親子アート教室で親が描く姿をそばで感じて、子どもたちが嬉しがるのか。
全く、出来なんぞは関係ないのです。
褒められるためでも選ばれるためでもない
選ばれるためなら
ゆがんでしまう
誰かに気に入られるためなら
自分がしんでしまう
見失ったものを
またどこかに見つけ出す
それはあなたの灯りになる
それはだれかのあたたかい道標になる
見えるひとにも
見えないひとにも。
あなたのそばにいるその大切なひとが喜びに満たされる。
上手に話すことを諦めたわたしは
ふと気づく。
コトバだけでは表現できないことばかりだから
芸術があるのだと。
そのときから、わたしのコトバは戻ってきました。
とことん合わなかった学校生活で
学歴も教養も常識もありませんが
物事の本質を見抜く目を育みました。
子どもたちは自由。
そしてとても聡明で優しい。
そんな子たちの自由を見守り、のびのび表現できる場でありたいです。