我が家初の訃報です。 | まめふくもちっ。

我が家初の訃報です。

最後に更新したのが2016年。7年も前の事なのに、あちこち表示が変になってる所もありますが、ブログが残っている事にビックリ!

ここ数日、思う所があって久しぶりにログインして、まめふくもちが小さい頃からの記事を笑いながら読み返しました。(自分で書いといて大笑いしてた。)

 

今日の深夜(早朝?)、まめさんがお空に旅立ちました。

 

昨年の6月にステージ4の腎臓病が発覚し、点滴をずーっとしていました。

昨年末からは自宅で点滴を続けて頑張ってくれていたのですが、2週間前から食事を完全拒否するようになり、水だけで2週間頑張りました。

プライドが高くて物凄く頑固なまめさんに強制給餌はしないと決めていました。

ムチムチでお腹の皮もタルタルしてたまめさんですが、最後は骨格標本に毛皮が付いてるぐらいに痩せました。

 

でも亡くなるちょっと前まで呼び掛けに反応し、声もろくに出ないのに撫でてると小さくグルグルと喉まで鳴らしてくれました。

人用ベッドのフカフカ羽毛布団の上で、とーちゃんとかーちゃんの間で見守られつつ、痙攣発作も起きず、穏やかにほとんど苦しまずに逝きました。

 

点滴を続け、まめが少しでも食べてくれるフードを探し続け、貧血で歩く事がおぼつかなくなってきたのをあれやこれや工夫してベッドまで移動できるようにしたり、自分の寝床認定した人用ベッドに粗相しちゃうのを防水シーツやらマットやらオムツやらで対策したり。そんな日常でした。

 

今日は朝から寝具を全部洗って、花を買いに行って、まめに久しぶりにご飯を差し上げて、火葬車にて火葬して貰い、初めて猫のお骨拾いを体験しました。

そして、まめを送る会を開催しようと思い、お寿司をオーダーしてケーキを買いに行きました。

使い切れなかった点滴液やラインをお返しついでに手土産持ってお世話になった動物病院に行ってきました。恥ずかしいから泣かないと決めていたのにお礼の言葉に詰まってしまった。

 

そして先ほど帰宅しました。

この8ヶ月、まめさん中心に生活してきました。

何だか何をしていいのか分かりません。

そんなんでブログを書いて泣いてるアホウです。

 

8ヶ月、世話を焼かせて貰って、まめも本当に頑張ってくれて、最後も寄り添って見送る事が出来たので後悔はそんなにありません。

 

ただ、寂しいです。

 

15年も当たり前のように居てくれた子がいないと残像を見つけては寂しくなるんだろうなって思うと…ね。

 

あんまり甘える時間が無くてちょっといじけ気味だったふく、もち、むぎも今日は何だか大人しくて様子が変です。

まめがまだうろーっとしてるんじゃないかなーと思ったり。

虹の橋にかーちゃんが行くのはもうちょっと先になると思うので、待ってないで早く毛皮チェンジして、我が家じゃ無くてももっと良いお家に生まれ変わってくれてもいいよ。と思ったり。

 

見てくれる人がいるのかどうかも分かりませんが、ちょっと気持ちの整理がしたくて書きました。

ブログをフェイドアウトしてしまったので、当時仲良くして頂いていた猫さんたちの様子も久しぶりに見てみましたらお空に旅立った子もいたりして、月日の流れを改めて実感。15年って長いよね。気分的にはあっという間なんだけど。

 

あぁ、ほぼ手付かずの確定申告準備の時間も作ってくれたまめさんはやっぱり出来る良い子です。

 

抜け殻の独り言でした。