幼い頃から笑顔でいないといけませんでした。
誰かに強制されたのではなく、そういう空気や環境でした。
生きるための気遣いだったように思います。
高校生になり、生活費を稼ぐために初めて選んだアルバイトは接客業でした。
笑顔でいる事が常の私にとって、接客は簡単に思えたからです。
いつでもどんな時でも自分の感情を殺して笑顔でいる事が特技になっていました。
だから簡単でした。
それから30年。
いくつかの会社を経て、今も接客業です。
特技だったはずの笑顔は…。
1番の苦痛になりました。
今でこそ認知されてきた
パワハラ
カスハラ
セクハラ
モラハラ
モンスターが多過ぎました。
笑顔がモンスターを作ったのでしょうか。
幼い頃から無意識に感情を殺すことに慣れてしまった結果、心身は壊れ続ける一方。
笑顔の対価は何だったのでしょうか。
でもどうでしょう。
この何年か、うちの新入社員はのびのび。
接客業なのに、笑顔で接しないのです。
自分の感情のままの表情の人が多く、笑顔の人が少なくなりました。
そういえば、会社も表立って笑顔を求めていない様子です。
感情労働が減ったのに増えた初任給。
接客業なのに笑顔じゃない。
幼い頃から無理をしてでも笑顔でいた私にとって、ものすごく衝撃的でした。
それと同じくらい羨ましくなりました。
接客イコール笑顔が求められる時代は終わったのかもしれません。
ある意味、働き方改革でもあるのでしょうか。
心身無理をしなくて良いと研修される時代。
それが当たり前の新入社員がとても羨ましい。
そしてそんな世代への接し方が難しい。
新時代の若者と、過去をかざしてくる老害に挟まれた中間の世代。
笑顔は時に武器になる。
自分で自分を苦しめる凶器になる。
それも無数の細かい針。
一本ずつ抜くたびに苦痛を伴い、簡単に取り除く事はできません。
だから笑顔を今更やめるにも罪悪感という無数の苦痛が伴うのです。
生きることに不器用すぎる人が
ありのまま、
気楽に、
自然な笑顔で生きられる日は来るのでしょうか。
今日から微笑みの練習です。