民族・宗教で住み分けた国境線で平和は訪れるか

アビール・アル・サマライ : 「ハット研究所」所長

2021年08月20日

アメリカ史上最長のアフガニスタン戦争。20年も支えてきた政権が崩壊することを許してでもアメリカ軍撤退を強行した。結果、タリバン勢力が全土を掌握した。誰も望んでいないことであるが、これによりアフガニスタンが「テロの温床」になる可能性もある。

それでもバイデン大統領はアフガニスタン撤退が正しい判断だったという。カブール陥落は46年前のベトナム戦争でのサイゴン陥落時の混乱を想起させた。ベトナム戦争は今もアメリカ社会のトラウマであるにもかかわらず、なぜこのタイミングで、このような形でアフガニスタンを撤退する判断が正しいとバイデン大統領は言い切れるのか。

中東全体を再編させる「イラク3分割計画」

バイデン大統領は中近東のエキスパートだ。アメリカ上院外交委員会委員長を務めていた2007年、イラクの宗派対立が激化して多くのイラク国民が犠牲になっていることが問題になった。

アメリカ政府はイラクの安定化に向けた政治的解決の唯一の方法は、イラク分割。すなわちイラクを民族と宗教によって分割することでこそ、アメリカ軍の撤退が可能になると主張しだした。2007年9月26日、上院はイラクを民族と宗教によって分割する拘束力のない決議案を賛成75、反対23で可決した。

バイデンはイラクに何度も足を運び、イラクの政治家たちにクルド、シーア、スンニの3地域分割を試みたが、イラク側から強く反対されて断念せざるをえなかった。イラクの国家分裂の先には、中東で実現すべき「新世界秩序」(New World Order、略称:NWO)構想があった。

実はイラク戦争が行われた2003年、アメリカでは中道派の総本山ともいうべきシンクタンク「外交評議会」が、「イラクを3分割すべきだ」という提案を出していた。退役軍人でアメリカのテレビ局FOXニュースのコメンテーターだったラルフ・ピーターズは『Armed Forces Journal』という軍・政府・業界幹部向けの雑誌に「血の国境:よりよい中東の姿」という記事を2013年10月に寄稿している(Peters’ “Blood borders” map)。

ピーターズはこの記事で、さまざまな民族や宗派が共に暮らし、婚姻し、交ざって暮らす地域に民族や宗派に公平性のある国境を新たに引き直すことが不可欠であると主張。バグダッド陥落は新たな国境線を引き直すまたとない機会だったのに、好機を逃したとアメリカ政権を非難した。

この主張は2006年6月に出版された同氏の著作『戦いを絶対にやめるな(Never Quit the Fight)』に詳しく述べられている。

日本の中学校の教科書『新しい社会 地理』(東京書籍)では、国境を次のように説明している。

<国と国の境界のことを国境といいます。いろいろな国の国境線をたどると、おもに 次の2つの決め方があることに気がつきます。(1)山や川、湖、海などの自然物を利用した国境線、(2)緯線・経線などを利用した人工的な国境線。(1)の国境線を「自然的国境」、(2)の国境線を「人為的国境」といいます>

「血の国境」で分ければ紛争はなくなるか

ピーターズはこれに、民族や宗教によって住み分けた国境線である(3)「血の国境」を加えたというわけである。その結果、現行の国は分割されたり、合併したり、領土が増えたり、減ったりする。国がなくなることもあれば、残ることもある。さらに、新しい国家として誕生するものもあるとした。

ピーターズの主張によれば、中近東の絶え間ない紛争と緊張は、日和見主義のヨーロッパ人が恣意的に引いた現在の国境の当然の帰結であり、不公平な国境が許容範囲を超える緊張を生み出す理由なのだ。したがって、この地域の混乱を理解するキーワードは、イスラムではなく、今はタブーで触れることはできない国境線にあると主張する。

そして中近東は異なる民族集団や宗教集団が種々雑多に暮らし、結婚もして混血しているが、既存の民族同士の公平性を保つためには、国境を見直し、新たな国境線を引き直す必要があると訴える。

「国境線の見直しに反対」「見直しは絶対に不可能」という意見に対しピーターズは、5000年前から繰り返される「ジェノサイド」を引き合いに出し、ジェノサイドは「血の国境」を取り戻そうとするから起きるのだと反論する。よって、アラブ人とユダヤ人の絶え間ない戦いは生存競争ではなく、国境をめぐる対立であり、国境が最終決定しないまま不安定であるかぎり地域の安定は望めないと、中近東に以下のような新たな国境を提案している。

【イラク】クルド、スンニ派、シーア派の3つの国に分かれる。
【シリア】地中海沿岸をレバノンに加えてフィニキア国家を復活させる。
【ヨルダン】既存の国境に加えて、サウジアラビアの一部が加わる。
【サウジアラビア】国土をヨルダンや後述の「新シーア派国家」やイエメンに譲り小さくなる。イスラムの宗教聖地であるメッカとメディナは宗教機関でありながら、国としての側面も持つバチカンのような国にする。
【イラン】現行国土の一部をアゼルバイジャン、クルディスタン、シーア派国、自由バルーチスターンに譲り、言語的にも歴史的にも民族とつながりが深いアフガニスタンのヘラート州をもらい、新たなペルシャ国家になる。
【アフガニスタン】イランにヘラート州を譲る代わりに、パキスタン北西部のパシュトゥーン人たちの部族地域が加わる。
【パキスタン】不自然な国を自然な国に戻すためには、バルーチ人の住む地域を手放し、「自由バルーチスターン国」の樹立を認めないといけない。
【湾岸諸国】クウェートは既存のまま残し、アラブ首長国連邦のドバイを富裕層の行楽地として残す以外は「新シーア派国家」に加わる。この「新シーア派国家」というのはピーターズの案では、イランの同盟国ではなく、むしろ袂を分かつ国になる。

流血をも容認する?バイデン大統領の信念

ピーターズはこのように見直すことにより、宗教や血のつながりの濃いものが住む自然な国になる。それが実現しない限り流血は続き、アメリカも巻き込まれて血を流すことになると結論づける。

バイデン大統領はオバマ政権での副大統領だった2009年から2017年の間、立場上できなかったからということもあったのだろうが、このような分断案を蒸し返すことはなかった。だが、いまアフガニスタンが混乱して殺し合いになってもよいと考える根底には、「血の国境」が正しいという信念を持っているからであろう。

2013年9月にニューヨーク・タイムズ紙が以下のような地図を公開して、中東の5カ国が14カ国に分裂するかもしれないと報じた。(How 5 Countries Could Become 14 )

統廃合の基準や新たな国境案には1990年代のCIA案など他にいろいろあるのだが、要はこのような話はずっと前からあり、今もあるということだ。

ヘンリー・キッシンジャー元国務長官も1972年に「アラブ諸国を民族・宗派で分けるべきだ」と述べた。ジョージ・W・ブッシュ大統領の大中東構想、同じブッシュ政権当時の国務長官だったコンドリーザ・ライス氏の「創造的破壊(クリエイティブ・カオス)」発言も、トランプ政権での中東和平構想や大統領上級顧問だったジャレッド・クシュナー氏の「世紀の機会」にも「血の国境」説が生きている。

日本人の多くは、日本が「いい国」なのは単一民族国家と考え(実際は違うが)民族間の対立や争いがないからと考えている。中近東を「血の国境」で単一民族国家に分けたら、日本のような「いい国」になり平和になると思うだろうか。あるいは、血で血を洗う争いも致し方ないのだろうか。