川崎市バスが障害者を「乗車拒否」 ネット大論争も、これは“デジタル化”が生み出した新たな問題ではないか?

障害者割引の壁

 2023年8月、川崎市での出来事が、日本の公共交通が直面する新たな課題を明らかにした。きっかけは『毎日新聞』の報道で、川崎市バスで身体障害のある男性が、川崎市が導入しているスマートフォンの障害者手帳アプリ「ミライロID」を使って割引料金で乗車しようとしたところ、拒否されたというものである。

 

『毎日新聞』によれば、以下のような経緯があった。

「男性は8月26日午後、家庭教師の仕事へ向かうために川崎駅前から市バスに乗ろうとしたところ、男性運転手から「現物の手帳でないと割引できない」とアプリの利用を断られた。男性は使用可能だと説明したものの受け入れられず、運転手は料金箱を手で押さえて乗車を拒む姿勢を示したという。他の客も乗車を待っていたため、男性はあきらめ、後続の別の運転手のバスで仕事先へ向かった。男性は2週間前の12日夕にも市バスを利用し、女性運転手から同じ理由でアプリの利用をいったん断られたという。この時は交渉の末に割引料金が適用されたが、乗車に時間を要することになった」(『毎日新聞』2024年8月29日付け朝刊)

 川崎市交通局は、アプリの利用について運転手の認識が不足していたことを謝罪した。このことに対して、ネット上では大きな反響があり、9月10日昼時点で、ヤフーニュースの該当記事には

「2541件」

のコメントが寄せられている。

障害者手帳代替の誤解

 

 このニュースを見ただけでは、

「運転手の認識不足」

が原因で利用者が不利益を被ったように思える。しかし、実際の事情はもっと複雑なようだ。川崎市交通局の担当者は、筆者(昼間たかし、ルポライター)の取材に対して次のように説明した。

「既報の事案につきましては、乗務員及び営業所から、お客様が提示されたスマートフォンの画面が手帳の写真であった(マイナポータルの連携画面ではなかった)ことからお呼び止めした際に生じたとの報告を受けております」

 ミライロIDは、2019年にサービスを開始した障害者手帳の情報をデジタル化して利用できるアプリだ。このアプリを使うことで、対応する交通機関や施設では紙の手帳を取り出す手間を省くことができる。

 

 また、アプリ内ではさまざまな障害者割引の情報を提供し、オンラインショッピングも可能だ。2020年にはマイナポータルとの連携が実現し、2024年7月時点でユーザー数は30万人を超え、4000以上の事業者が導入している。このなかで、全国で300以上のバス事業者が対応している。川崎市でも2021年7月から導入されている。

 多くのバス会社では、障害者手帳の代替として利用可能になっているが、利用するにはマイナポータルとの連携など特定の条件を満たす必要がある。これらの条件は、ミライロIDの公式サイトに掲載されている。

 川崎市バスの場合、「マイナポータルと連携済みのミライロIDをご提示いただいた方が対象です」と明記されている。これは東京都交通局でも同様だ。

 また、福岡県内を中心とした路線バスなどを運行する西鉄バスでは、利用条件を詳しく示して注意喚起している。

「「マイナポータル」との連携が完了したミライロIDに限り使用できます。連携が完了していないミライロIDは、割引乗車券の購入や、乗車時の資格確認に使用できません」

 ミライロIDを運営するミライロ(大阪市)によれば、交通機関でのミライロIDの利用が拒否される事案はこれまでも発生しており、その都度周知を行っているという。

 多くのバス会社では、ミライロIDがマイナポータルと連携していることにより、障害者手帳の代替として利用できると判断している。しかし、この点について事業者の周知や利用者の認識が十分に浸透していないことがうかがえる。

デジタル時代に潜む新たなバリアー

 

 この事例は、デジタル化が新たな課題を浮き彫りにしている。一見すると、運転手の認識不足が原因で障害者が不利益を被ったように見えるが、実際にはもっと複雑な問題が絡んでいる。

 障害者はアプリの正しい使い方を十分に理解しておらず、運転手もその誤りに気づきながら適切に説明できなかった。こうした認識不足やコミュニケーションの問題が明らかになった。この状況を思い出させるのが、1977(昭和52)年の

「川崎バス闘争」

である。川崎バス闘争では、障害者の権利主張が物理的なバリアーへの大きな転換点となった。障害者がバスに乗る際の物理的障壁が問題視され、障害者団体がバス会社に改善を求めた結果、公共交通における障害者への配慮が進み、社会的関心も高まった。

 この闘争は、障害者が平等に生活するための権利を主張した重要な出来事であり、後のバリアフリー法の制定や公共交通の改善に大きく貢献した。今でも日本の障害者運動を象徴する歴史的な出来事として位置づけられている。

 今回の事例は、一見川崎バス闘争とは“異なる問題”に見えるが、実はデジタル化によって

「新たなバリアー」

が生まれているのだ。このバリアーは、障害者だけでなく、デジタルツールに不慣れなすべての人々にとって新たな障壁となっている。

スマホ保有率8割の裏に潜むデジタル格差

 

 スマートフォンが日常生活に欠かせない存在となった現代社会では、公共サービスのデジタル化が急速に進んでいる。しかし、その利便性を実際に享受している人は限られている。

 総務省の『令和3年版情報通信白書』によれば、2020年時点でスマートフォンの世帯保有率は8割以上に達し、インターネット利用の主要な端末となっている。しかし、この数字は同時に約2割の世帯がスマートフォンを保有していない現実も示している。

 インターネット利用は一般的となったとはいえ、2020年の利用率は83.4%、スマートフォンによるインターネット利用率は68.3%だ。つまり、日常に溶け込んでいるはずのインターネットを利用していない人が

 

「2094万人」

もいる。スマートフォンでインターネットを利用していない人は3999万人だ。つまり、誰もが当たり前のようにスマートフォンでサイトを見ているように見えるが、実際には日本人の約3分の1がそうではない。

 特に高齢者層では顕著だ。内閣府の調査によれば、70歳以上の高齢者でスマートフォンやタブレットを「よく利用している」と答えた人の割合はわずか24.3%にとどまる。さらに、利用していない理由として

・自分の生活には必要ないと思っている(52.3%)

・どのように使えばよいかわからない(42.4%)

という回答が多く、デジタル技術に対する心理的な障壁が存在していることが明らかになっている。

混乱を招いた窓口削減の実態

 

 多くの交通機関では、利便性と効率化を図るためにアプリの開発を積極的に進めているが、デジタル化の急速な進展は、必ずしもスムーズに受け入れられていない。利用者も交通機関側も、新しいテクノロジーにまだ十分に対応できていないのが現状だ。

 特に問題が顕著だったのが、JR東日本の「みどりの窓口」削減による混乱だ。もともとJR東日本は、コロナ禍による旅客需要の減少やコスト削減の必要性から、2025年までに管内の440駅にある窓口を140駅程度に減らす計画を進めていた。

 窓口削減にともない、JR東日本は次の対策を取った。

・オペレーターが切符購入をサポートする「話せる指定席券売機」の導入

・ネットでの切符購入サービス「えきねっと」のリニューアル

・チケットレス化の促進

 これらの削減措置はJR各社でも進められていたが、SNSなどでは「窓口が混雑するのではないか」という声が早くから上がっていた。新しい券売機は、ネットでの購入に慣れていない人にとって使いにくく、窓口の職員のように柔軟な対応も難しかった。

 その結果、利用者が減少したみどりの窓口に長い行列を作る事態となった。特に2024年のゴールデンウィークにはこの問題が大きく表れ、JR東日本は2024年5月8日に窓口削減計画の凍結を発表することになった。

切符購入アプリが抱える利用者格差

 

 この事例から、新しいテクノロジーの導入には、利用者と現場スタッフの双方が対応力を高めることが不可欠であることがわかる。利用者と交通事業者の課題を整理すると、次のとおりだ。

●利用者側の課題

・デジタルリテラシーの差による利用の困難さ

・新しいシステムへの不慣れや抵抗感

●交通事業者の課題

・新システムの操作や説明に関する十分な訓練の不足

・急激な変更に対応するための準備期間の不足

・想定外のトラブルに対する柔軟な対応力の不足

 例えば、JR東日本の切符購入アプリ「えきねっと」は、使いこなせば非常に便利だ。特急券の指定席をスマートフォンで簡単に購入でき、予定変更にも対応できる。しかし、慣れていない人にとっては使いこなすのが難しい。例えば、全国の在来線特急が購入できる一方で、すべてがチケットレス対応ではなく、JR東日本のエリア外では紙の切符を発券できない地域も多い。旅行を年に数回しか利用しない人は、複雑さに困って結局みどりの窓口で購入することになるだろう。

 利用者と事業者の双方がデジタルサービスに習熟すれば、より便利で効率的なサービスの提供が可能になる。そのため、今後もアプリの利用促進が求められる。

 しかし、これは想像以上に困難な作業だ。前述の『令和3年版情報通信白書』によれば、スマートフォンを持っていない人の割合は依然として高く、さらにアプリを問題なく使いこなせる人は限られている。多くの人が、普段使い慣れているアプリ以外にはなかなかなじめないのが現状だ。

直感的操作のUI設計

 

 アプリ開発では、ユーザーインターフェース(UI)デザインが非常に重要だ。最終的には、誰でも見ただけで使い方が理解できるものが求められる。

 UIとは、ユーザーがコンピューターやアプリとやり取りを行う際の接点や環境を指す。具体的には、次の要素が含まれる。

●ビジュアルデザイン

 色やフォント、ボタン、アイコンなどの視覚的要素で、使いやすさや美しさを考慮して設計される。

●レイアウト

 情報や機能の配置を決定し、ユーザーが直感的に理解できるようにする。

●インタラクションデザイン

 ユーザーがアプリやウェブサイトと対話する方法を設計し、操作の流れをスムーズにする。

●フィードバック

 ユーザーが操作を行ったときに、アプリがどのように応答するかを示す要素。例えば、ボタンを押したときの色の変化やメッセージの表示などがある。

 UIの目的は、ユーザーがシステムを簡単に理解し、効率的に利用できるようにすることだ。よいUIはユーザー体験(UX)を向上させ、アプリやサービスへの満足度を高める。

多様性に応じた設計の重要性

 

 九州産業大学教授・藤井資子氏の論文「DX時代におけるデジタル・デバイドの変遷:インフラのデバイドからリテラシーのデバイドへ」(『アドミニストレーション』第29巻第2号)では、ブロードバンド環境が整備された現在、解決すべき大きなデバイド(ここでは、デジタル・デバイド=インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間に生じる格差)は

「情報通信機器の『最低限の利用に関するリテラシーの利用者間格差』」

だと指摘されている。この課題に対処するためには、年齢や身体的な条件、デジタルリテラシーのレベルに関係なく、誰でも使いやすいユニバーサルデザインを取り入れることが欠かせない。

 

 便利なアプリを開発しても、一気にデジタル化が進むわけではない。JR東日本の例でも、使いこなせるようになるまでにかなりの時間がかかることが示されている。特に、デジタルリテラシーが異なる多様な人々が利用する公共交通では、普及はさらに難しい。

 だからこそ、公共交通のデジタル化を進めるには、利用者の多様性に配慮したシステム設計が不可欠だ。また、全員がシステムを理解できるまで、必要に応じて人的サポートを提供する体制も重要だろう。

 今回の川崎市での出来事は、公共交通のデジタル面でのバリアフリー化がいかに大切かを示している。この問題を解決するには、交通事業者だけでなく、利用者も学ぶ姿勢を持つことが求められる。