「中国亡命知識人」を追って 天安門事件から35年 現代中国文学者、劉燕子さん 一聞百見

信念の人、というのだろうか。人懐っこく笑顔を絶やさない明るさの奥に、強い意思を秘めている。その名の通り、ツバメのように世界を飛んで中国〝内外〟の亡命知識人を訪ね、語らい、その現状を伝えてきた。今年の新著の出版時には故郷・中国に住む母にも圧力がかかったそうだが、そんな現実もオープンにしながら執筆活動を続けている。その思いを聞いた。

劉暁波氏(右)、廖亦武氏(左)と北京市内で(2007年、本人提供)

劉暁波氏(右)、廖亦武氏(左)と北京市内で(2007年、本人提供)© 産経新聞

中国内外の亡命者 思い伝える集大成の一冊

「大げさにいうとライフワーク。道楽といっていいかもしれませんね」と劉さんは笑う。これまで世界各国の亡命知識人を、チベットなどを含めて100人以上、訪ねてきた。

有名どころでは、中国出身者で初めてノーベル文学賞を受賞した作家の高行健氏や、投獄中にノーベル平和賞を受賞し2017年に亡くなった詩人で民主活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)氏、現在はドイツで活躍する詩人の廖亦武(りょうえきぶ)氏らと、そうそうたるメンバーだ。

著書『不死の亡命者-野性的な知の群像』

著書『不死の亡命者-野性的な知の群像』© 産経新聞

国外に出た人だけではない。中には当局の統制で出国できないため、やむを得ず、あるいは自ら国内にとどまることを選んで精神的に亡命している「国内亡命者」らも含まれる。

「会って食事をして話をします。喜びを分かち合ったり、悲しみをともにしたりしてきました。皆、単なる取材対象ではない、友人たちです」

寥亦武氏から贈られた中国の笛「簫(しょう)」を持つ劉燕子さん=大阪市(須谷友郁撮影)

寥亦武氏から贈られた中国の笛「簫(しょう)」を持つ劉燕子さん=大阪市(須谷友郁撮影)© 産経新聞

来日して30年以上。自身は留学生として羽ばたいた。

「私は自分の意志で日本へ勉強しに来ましたが、彼らは身の危険を感じて国外に出た。望んで国を出たわけではなく、移民や留学とは全く違うのです。その上での困難や苦労はたいへんなものです」

今年5月末、その集大成ともいえる『不死の亡命者―野性的な知の群像』(集広舎)を、天安門事件から35年になるのを前に出版した。

「中国という『檻(おり)』の内外にいる亡命知識人の研究をまとめたものです。有名人もいますが無名の人も少なくない。そして今も続発しています。中国ではますます表現の自由が狭まり、作家たちは少しでも自由な環境を求めて外に出るのです」と訴える。

言葉を生業にする作家らの海外での生活、そして仕事の困難さは想像して余りある。

「国外に出ると日常的に母語を使う環境ではなくなる。これは作家にとって致命的なことです。もちろん状況は人によってさまざまです」という。

「一番知られているのは高さんでしょう。彼の場合は天安門事件の前に外国に出ましたが、事件をきっかけに祖国と決別しました。日本にも招待されて来日したことがあり、その後、京都でお会いしました。とても情のある方です」

一方、事件後に投獄されたのが廖氏だ。

「4年間服役していました。その後、全く発表の場がなくなり、外国で賞を受けても出国できなかった。彼は外国に行きたくなかったけれど、結局、事件から20年ほど後に亡命しました」

現在は権威あるドイツ書籍協会の平和賞を受賞するなど、ドイツで活躍中だ。

「2人からいただいた記念の品があります。ごらんになりますか?」と、物語の詰まった品々を紹介してくれた。

地下文学との出会い 亡命作家の「読者」を探して

「彼はこう持っていたかな?」と、中国の笛「簫(しょう)」を持ってポーズをとる劉燕子さん。

彼とは現在、ドイツで活躍する詩人の廖亦武(りょうえきぶ)氏。天安門事件で長詩「大虐殺」を書くなどしたため投獄され、その後は発表の場を失い〝大道芸人〟として簫を吹いて糊口をしのいだ時期があった。

「この年季の入った簫は、廖さんと出会ったときにいただいたものです。『泣血成聲』(血涙から発する慟哭)と書いてあります」と劉さん。あめ色に光る簫は、ともに天安門事件で投獄された友から贈られたものだった。

もう一つ、水墨版画だというやや抽象的な作品を見せてもらった。ノーベル文学賞作家で、水墨画家としても知られる高行健氏の作品だ。あえて表現するなら、光と闇の合間にポツンと立つ小さな何かが見えるが…。

「これは孤独な彼の姿でしょう。来日した際に東京で講演したあと、一人で会いに来てくださったんです。あれほど高名な作家なのに、とても人情のある方です。京都を案内して楽しい時間を過ごしました」

中国内外の亡命知識人を訪ね執筆活動を続ける劉さん。ご多分に漏れず、文学少女だったという。

父の英伯さんは北京大在学中、日記に書いたことで「厳重右傾分子」とされ、強制労働に従事。鉱山技師となり、劉さんも一緒に住まいを転々として育った。子供時代は文化大革命のさなかだった。

「本が大好きでしたが、ロシア文学など限られたものしかなく、恵まれた時代ではありませんでした。変化があったのは改革開放政策が始まった中学生くらいからです。先生に勧められて書いた文章が地元の新聞に載ったのがすごくうれしくて。皆に読んでもらいたいと思ったのが(文学者への)きっかけでした」という。

中国で大学を卒業し留学を希望していたころ、たまたま知人の紹介で大阪に身元保証人を得て来日。

「当時は皆、外国に行きたいと思っていた時代でしたし、中国ももうちょっと謙虚な気持ちがあった。私はもともと日本の映画が好きで、寅さん、大好きでした」と笑う。

日本語学校を経て大阪市立大と関西大の大学院で修士課程を修了。後者の論文が中国文革期の地下文学だった。そのおもしろさに引き込まれ、以来、複数の大学で中国語を教えながら調べ始める。

地下文学はあまり知られていない研究で、そのなかで〝抵抗の詩人〟と呼ばれた黄翔(こうしょう)氏を知った。

「発表の場を求めてアメリカに亡命した人で、詩人らしい生き方をしていると思いました。平成15年に『黄翔の詩と詩想』を出版し、私にとっては初めての日本語の本になりました」

以降、本格的に知識人の亡命を問題視し、取材をするようになった。

大勢の取材対象の中でもよく知られているのが、民主活動家でノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏だろう。共訳も出版し、その受賞を仲間で喜んだが、本人は投獄中のまま亡くなった。

「身体的には国内にいて精神的には亡命している。彼は国内亡命者でした。詩人としての彼も知ってもらいたくて」と、詩集の編・訳を手掛けたことも。

印象深い作家の一人がアメリカに亡命し、大江健三郎氏とも交流があった小説家の鄭義氏だ。

「彼は中国語の辞書を1冊持って脱出しました。今もアメリカにいますが、作品は中国語です。亡命作家にとっても最大の読者は中国にいる。なのに読まれることがない。数億人という読者を失っているのです。それでも書く。だれのために書くのか? 読者がいなくても作家は書くのでしょうか。とても悲しく重い問題なのです」

ただ独りのゲリラ戦 文学を信じ、自由を求めて

故郷を離れ、日本での生活も30年を超えた劉燕子さん。中国の亡命知識人について、長年、研究・執筆を続けてきた。著書は多く、今年もその集大成というべき大著を出版したばかりだが、一方で「寂しい仕事です」と、思いを語る。

「読者はそう多くはありません。まして、取材対象は中国から追い出された立場の人たちです。状況は変わらず、むしろ厳しくなっています。闇の中で星はほとんど見えない状態だといっていい」

けれど、未来への希望も持ち続けている。

「どんな時代でも〝沈黙〟に閉じ込められる作家はたくさんいます。今の自分にその力はなくても、次の世代が検証し、評価してくれるかもしれない。彼らの作品が出版され、翻訳されて書物として残る限り、希望はあると思うのです」

劉さんが新著『不死の亡命者―野性的な知の群像』の最後に紹介したチベット人の女性作家がいる。

1966年、まさに中国で文化大革命が起きた年に生まれたツェリン・オーセルさんだ。言論の弾圧だけでなく、民族問題も複雑にからんだ象徴的ともいえる存在である。

「初めて会ったのは2006年、北京でした。彼女は漢語教育を受けており、母語のチベット語ではなく創作でも漢語を用いざるを得ない。そんな深刻なアイデンティティーの危機を乗り越え、〝統治者の言語をもって抵抗する国内亡命チベット人〟となりました」

同世代ということもあり、オーセルさんをとりまく厳しい状況は劉さんにとっても切実なようだ。

「今はなかなか会うことはかないません。彼女はふるさとのラサ(中国チベット自治区の区都)に帰るのにも特別な許可が必要です。たとえ帰郷できてもアンタッチャブルな存在にされます。私も中国には帰りにくい。彼女の本を翻訳することで寄り添って生きていきたい」と顔を曇らせた。

「私たちが求めているのは、会いたい人に会いに行ける、話したいことを自由に話せる、そんなごく普通の、空気のような自由です。それがいかに大切か、日本の人たちは理解していないと思います」

なんとも耳が痛い。天安門事件以降、劉さんには日本政府への批判と期待が交錯している。

「当時、日本政府は静観しました。結果、多くが欧米に亡命したのです。もっと日本は冷静かつ毅然(きぜん)とした態度を取るべきです。そうでなければ日本の主権にかかわる。これは劉暁波(ノーベル平和賞を受賞した民主活動家で詩人)が、『利益外交』から『価値外交』への転換などとしてずっと望んでいたことです」

新著については、台湾で中国語で出版する話があるそうだ。そうなれば中国語圏の人に読んでもらえる可能性が広がる。

「時間はかかりますが、自分で翻訳したいと思っています」と意気込む。

そんな劉さんの活動は幅広い。現在は台湾・ラジオ放送局のウェブで連載を持つほか、日本での文芸誌にも発表し続けている。

例えば同人でもある季刊誌「イリプス」。7月の最新刊では1985年生まれの中国の詩人、王蔵の詩を日本語に翻訳して紹介した。解説では彼のこれまでの創作活動から逮捕、釈放された近況などを報告。いつかこの連載が本になればと願っている。

その一方で、そんな劉さんへの圧力も増している。最近では新著の出版後すぐ、中国に住む母の元に男たちがやってきて「愛国的ではない本を書くな」と威嚇したそうだ。それでも。

「私、独りのゲリラ戦です」と苦笑。

その上で、「大阪で、これからも名もなき作家たちの声を拾い上げて自分なりに記録していきたい。まだまだ書き続けて、こういう文学者が詩人がいることを世界に知ってもらいたいと思っています」。

文学の力を信じて。いまできることをするだけ、とほほ笑んだ。

【プロフィル】

リュウ・イェンズ 現代中国文学者、詩人。大阪府在住。1965年、中国・湖南省出身。平成3年に留学生として来日。大阪市立大、および関西大の大学院前期博士課程修了。神戸大などで講師を務めながらバイリンガルで執筆活動を続ける。『殺劫―チベットの文化大革命』、『チベットの秘密』、『劉暁波伝』、『天安門事件から「08憲章」へ』など著訳書多数。昨春に神戸大で学術博士号を取得。天安門事件35周年に際し、長年取り組んできた中国内外の亡命知識人の研究をまとめ『不死の亡命者―野性的な知の群像』を出版。