地下鉄は運賃2倍に、市民はどうしている?

さかい もとみ : 在英ジャーナリスト

2024年08月02日

パリオリンピック(五輪)が7月26日に開幕した。3年前、コロナ禍のさなかに開かれた東京五輪と比べると、祝祭感溢れるパリの様子はうらやましくもある。日本選手団は、会期の出だしでメダル獲得数トップに君臨するという喜ばしい成績を叩き出している。

一方で、治安に対する不安や交通の混乱などを避けようと、多くの市民らはパリを脱出している。

パリを含む首都圏では五輪・パラリンピック期間中、地下鉄(メトロ)などの鉄道運賃がほぼ倍額となり、駅も各地で閉鎖されるなど、五輪による交通、そして市民生活への影響は少なくない。そして、開会式当日には鉄道施設が同時攻撃を受け、フランスが誇る高速列車TGVなど多くの列車の運行が困難になるという恐るべき事件が発生した。

巧妙に練られた破壊工作

開会式当日の7月26日早朝、フランス国内の高速鉄道沿線3カ所で列車運行用の通信ケーブルがほぼ同時に切断され、高速列車TGVをはじめとするフランス国鉄(SNCF)の運行が大混乱に陥った。

ケーブルが切断されたのはパリをハブとする3つの主要幹線で、具体的には、リールとを結ぶ北線、ボルドーとを結ぶ大西洋線、ストラスブールとを結ぶ東線だ。リールの先はベルギー、オランダ、さらにユーロトンネル経由でイギリスに繋がっている。また、ストラスブールの先はドイツにつながる。

実行犯は、警備が手薄な地方の線路際を狙い、巧妙にもパリと地方の主要都市、そして周辺国とを結ぶ大動脈を断ち切ったのだ。

フランス政府はこれを「大規模な破壊行為」と断罪。SNCFのジャン=ピエール・ファランドゥー最高経営責任者(CEO)は、「実行犯は、信号やポイントの切り替えを制御する信号をやり取りする光ファイバーケーブルを標的にした」と説明し、事件の深刻さを強調した。

イギリス在住の筆者はこの事件発生直後、パリとを結ぶ国際高速列車「ユーロスター」が発着するロンドン・セントパンクラス駅に出向き、運行への影響を確認した。

ユーロスターはケーブル切断事件のあった高速線を迂回する在来線経由のルートで運行をどうにか再開したが、通常30分ごとに出るパリ行き列車は「1本おきに運休」という状況で、キャンセルされた便を予約していた客は代替交通手段の確保に追われていた。日本の新幹線のように自由席や立席で乗車させる仕組みがなく、しかも夏のバカンスシーズンのため、五輪観戦とは関係ない客の需要も多く、すでに列車の座席は埋まっていた。

フランスのアタル首相は、こうした利用者需要がピークに達する日を狙って、意図的な破壊行為が起きたことに対し、犯行について「準備され、調整された破壊工作」と強く非難した。

専門知識ある者の犯行?

今回の事件は、列車そのものを脱線させたり、線路を破壊したりという行為とは異なり、目立たないものの鉄道の生命線である通信ケーブルを破壊するという巧妙なものだ。いわゆるテロリストによる殺人行為とは異なり、直接の人的被害がなかった。

フランスではかねて労働者の実力行使、ストライキが日常的に起きており、鉄道事業をめぐっては、労使闘争が長年にわたってやまないという問題を抱えている。農民が自分たちの主張をより強く伝えるため、トラクターで高速道路をふさぐデモを行って社会的な注目を得るといった行動も起きている。今回の鉄道施設の破壊行為は、いわゆる鉄道を標的としたテロというよりは、こうしたデモなどの延長線上にありそうな感じも受ける。

ジェラルド・ダルマナン内相は、攻撃の方法が「極左が行う伝統的なもの」と述べ、政治的な主張が背後にある可能性を示唆した。事件発生から3日目の7月28日、フランス北西部の鉄道施設の近くで不審な行動をしていた「極左過激派」とみられる男が警察に拘束されたが、この男が直接事件に関与している証拠はまだ見つかっていない。

犯行声明は7月末時点で出ておらず、犯人像は不明なままである。高度な専門知識と技術を持つ者によって計画・実行されたものとみられ、鉄道関係者が関与している可能性もありそうだ。

鉄道への破壊行為は五輪開会式へ向かう世界各国からの訪問者の足を奪ったが、一方でパリ市民らは五輪開催地の地元から「脱出」した人が多い。パリに住む知人たちに、五輪が開催される中での夏の過ごし方について聞くと、異口同音に「交通の混乱や予期せぬ暴力行為などに巻き込まれるのは嫌」「街がごちゃごちゃするので、ここを離れる」という声が大勢を占める。

パリを含む首都圏・イル=ド=フランス地域では、五輪およびパラリンピック期間の9月8日まで、域内を走る地下鉄(メトロ)、バス、トラム、そして都心と郊外を結ぶ電車「RER」の運賃が一時的に2倍近くまで引き上げられている。普段ならメトロは1乗車2.10ユーロだが、期間中は4ユーロだ。

これまでの夏季五輪は、開催都市内に1つのメイン会場を設けてそのエリアに競技施設を集める形で実施されることが一般的だった。一方、今回のパリ五輪は、市内の複数個所に仮設会場を設けた。市民が普段の生活を送っている場所に多くの観衆が押しかけることになるため、人流をいかにコントロールするかが課題となる。値上げはその一環だ。

期間中の地下鉄運賃はほぼ倍額に

五輪期間中の運賃値上げプランは2023年12月1日に発表された。この際は「パリを訪れる観戦客からぼったくるのか」といった批判が渦巻いたが、交通当局は片道乗車券の値上げと抱き合わせで、観戦客の便宜のために、首都圏域内の交通機関に自由に乗れる「パリ2024パス」を導入した。

このパスを使えば、競技会場をはじめ、パブリックビューイングが行われるファンゾーンのほか、郊外にあるシャルル・ド・ゴール、オルリーの両国際空港、ベルサイユ宮殿やユーロディズニーへも行ける。通常、この範囲をカバーするチケットは1日29.25ユーロだが、「パリ2024パス」だと16ユーロ、7日用は70ユーロだ。運賃を倍額にすることで「乗車の度に毎回切符を買う人々の行列」の発生を防ぎたい意向が見える。

市民の利用にも配慮はしている。月間および年間パスは値上げ対象外で、交通ICカード「ナビゴー(Navigo)」に定期券利用分のチャージを行っている市民は、大会期間中も引き続き利用可能だ。

また、パリでは伝統的に10枚綴りの乗車券「カルネ(Carnet)」が販売されており、現在ではナビゴーに読み込ませて利用する形になっているが、こちらも値上げ期間前までに最大3セット(30枚)分の購入が可能という措置が設けられた。値上げ前に購入したカルネは大会期間中にも利用できる。

ただ、運賃値上げについて市民への配慮はあるものの、交通規制や駅の閉鎖などで生活への支障は避けられない。

パリ市内中心部では、五輪開催のため大規模な交通規制が敷かれている。とくに広い範囲で通行禁止となっているのは、コンコルド広場周辺だ。ここでは自転車BMX、スケートボードなどの競技が行われている。広場だけでなく周りを走る一般道路までを取り込んで競技会場や観覧席を設置した。目抜き通り「シャンゼリゼ」も競技実施の都合で、南東側の一部は全面通行禁止となった。

コンコルド広場周辺は道路だけでなく、直下のメトロ駅が臨時閉鎖され、乗り換えもできなくなっているほか、周辺の駅も併せて閉鎖されている。メトロ駅閉鎖や周辺道路規制の措置は、開会式の式典会場として使われたエッフェル塔に近いトロカデロ周辺でも同様の措置が行われている。

エッフェル塔に程近いエリアに住む知人は、「テロ事件が起こるとしたら、この辺かもしれない」と真顔で話し、「道路は規制、地下鉄駅は閉鎖。生活するのに支障もあるので、さっさとバカンスに行く。隣人も皆そんな感じ」と言い、7月上旬にはすでにパリを後にしている。

鉄道網混乱は早期復旧

観戦客によれば、競技の終了後は帰路に就く観戦客が駅に殺到。すさまじい混雑に巻き込まれてしばらく駅に入場できないなど、最後まで観戦していると会場エリアから逃れるのに一苦労だという。

日本代表が最終盤で大逆転しブラジルに勝った女子サッカーの試合を観に行っていた日本人女性は「駅が混み合うと思って、後半40分過ぎにスタンドから離れた。劇的シーンが見られなかったのは一生の不覚」と嘆き悲しんでいた。

開会式当日朝に起きた同時攻撃による損傷箇所は、鉄道員らの努力もあって、発生後およそ2日半後にはほぼ原状復帰ができた。一方で、フランス国内では携帯電話会社の施設が壊される被害が頻発しているという。

パリ五輪の組織委や地元自治体は順調な大会運営を目指して、努力を続けてきた。パリ五輪・パラリンピックが交通機関はもとより、あらゆる面においてトラブルなく進み、さらなる混乱が起きないことを強く願っている。