北の鉄路を考える⑤ 夕張駅の喫茶店は灯だったの巻 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第三列車
夏草茂る旧夕張駅© 産経新聞
炭鉱の街・夕張を訪れるのは、JR夕張支線(新夕張―夕張間)が廃止される前年以来だから6年ぶりだ。
今回は札幌から直通バスに乗ることにした。鉄路がなくなったので当然といえば当然だが、1日3便の直通バスも9月末で廃止されてしまう。バスにはさほど興味はないが、「廃止」と聞けば乗ってみたくもなる。
北の鉄路を考える⑤ 夕張駅の喫茶店は灯だったの巻 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第三列車© 産経新聞
札幌駅前と大通で計15人ほどが乗り込んだが、ゆったりと座れ、快適である。うとうとしていると、途中の栗山駅までで大半が降りてしまい、夕張市内まで乗ったのは6人のみ。札幌を出発して1時間46分後、旧夕張駅があった終点のレースイリゾートで降りたのは私を含め2人だけだった。
「休業中」のホテルマウントレースイ© 産経新聞
レースイリゾートとは、ホテルマウントレースイとスキー場を核としたリゾート施設で、なかなかバブリーな建物である。
だが、ホテルなどは4年前から「休業中」のままなのだ。
話せば長いことながらざっくりと書けば次のようになる。
ホテルやスキー場などは平成3年ごろ民間企業によって整備されたが、経営が行き詰まり、14年に夕張市が26億円で購入した。19年に夕張市が財政破綻すると、別の民間企業が運営を受託した。
鈴木直道・道知事が夕張市長だった29年、運営受託方式をやめ、中国系企業に2億4千万円で売却した。このとき鈴木市長は「長年の営業継続が前提」と市議会で答弁しており、固定資産税も免除した。ところが、この企業は2年後に香港系ファンドに15億円で転売し、10億円以上もの売却益を得た。転売後、ホテルなどは、あっさり休業してしまった。
ホテルは、旧夕張駅に隣接して建っている。
6年前に訪れたときは、駅もホテルも健在で、結構にぎわっていた。路線廃止が発表されると「廃線愛好家」がどこからともなくやってくるからだ。
今、ホテルに人影はない。旧夕張駅のホームは、駅名板こそ撤去されていたが、レールは錆(さ)びついてはいたものの、そのまま敷かれていた。今にもキハ40が走りこんできそうだ。
駅舎内にあった喫茶店「和(なごみ)」は健在だった。
私より少し先輩だとお見受けするご夫妻が切り盛りする店内では、地元の常連さんたちがくつろいでいた。当方が、旧夕張支線目当てでやってきたのを一目で見抜いたのだろう。何冊ものアルバムを持ってきてくれた。お義理でコーヒーのほかにケーキを頼むと、これが予想外に美味だった。夕張侮るべからず。コーヒーも薫り高い。まさに夕張の灯(ともしび)である。
気が緩んで、「廃墟(はいきょ)のホテルは…」と言いかけると、夫人に「休業中なだけですよ」と優しく訂正された。地元の人々にとってリゾートの再開は悲願なのである。中国系企業に安値でホテルやスキー場をたたき売った鈴木知事は、責任を感じていないのだろうか。鈴木知事がトップとなった道庁が、函館本線の存続に異様に冷淡なのも気になる。彼が市長時代に提唱した「攻めの廃線」の結末は、明日のこころだぁ!(乾正人)