栃木も群馬も大失敗、官製富裕層観光の問題点

木下 斉 : まちビジネス事業家

2024年06月05日

少し前のことですが、栃木県が昨年10月に企画して売り出した「400万円の富裕層向けツアー」が一件も売れなかったというニュースが話題になりました。

2泊3日で移動にはヘリコプターも使用。日光東照宮や造り酒屋の見学などが盛り込まれ、もちろん宿泊先は名だたる高級ホテルというツアーでした。

しかも、売れなかったからといって、途中で募集価格を290万円に値下げしたと言います。栃木県の福田富一知事は「周知不足だった」と反省の弁を述べていましたが「いったい、どんな富裕層をターゲットにしていたのか?」と問いたくなるような、あまりに杜撰な計画でした。このツアーには大まかに言って、以下の3つの問題があったのです。

「官製の富裕層観光」の「3つの問題点」とは?

まず、そもそも富裕層がこのような「融通の利きにくいパッケージツアー」に申し込んでくれると考えること自体が、かなり勝手な考え方だったのです。来てもらおうとしている富裕層は、自分たちのプライベートジェットで移動してきて、チャーターしたヘリコプターやクルーザーで観光するような客層なのです。そうした人たちに、決められた行程で観光をしてもらおうなどということは本当に難しいのです。

2つ目は、お金持ちに売るための観光商品を、観光庁からの最大1500万円の経費補助を使って企画、販売しようとしていたことです。しかも、その予算調整をしていたら、販売開始が昨年10月になってしまい、日光の目玉である紅葉の季節に募集が間に合わずに終わったという、スケジュール管理力のなさにもあきれます。なぜお金持ちに観光商品を売るのに国の税金が必要なのか、理解不明な政策です。

3つ目は、今回の一連のツアー販売に関する県庁の提携先です。これも首を傾げたくなります。日本の大手旅行代理店と組んでいますが、あえて断言すると、彼らはあくまで日本人観光のプロであって、「外国人富裕層を対象にしている最高のプロと言えるのか」ということです。

これは私の経験からも明らかです。少し前、「ザ・ビートルズ」で有名なイングランド北西部にあるリヴァプールに、街の中心部再生についての調査に行ったときのことです。

「官製の富裕層観光」が成功しない必然

再生委員会の会長さんは保険会社創業者などの豊富なビジネス経験を持つ方で、中心部再生についての成功話を豊富な具体例とともに語ってくれましたが、実はこの会長さんがちょうど日本に約1カ月間旅行をする直前でした。私が「どんな形で旅行を決めたのですか?」と聞くと、リヴァプールにある、日本人が個人で経営している富裕層対象の会社と相談して決めた、という話をしていました。

このように、外国人富裕層は、国内にいる素人が、念仏のように「ふゆうそう、ふゆうそう」と唱えて、豪華なパックツアーに仕立てればお金をじゃんじゃんむしりとれる、といったような簡単な客層ではないのです。

世界中の観光地に行った経験を持つ「旅行の玄人」である富裕層にとって「価値のある観光」とは、国や地方自治体が補助金を配れば簡単にできるようなものではありません。自ら世界中を旅して旅の価値を理解しているような人にこそ、企画できるものです。

例えば、今や東京・銀座と土地の値段があまり変わらないとも言われる北海道のニセコエリアにおいても、売り出されている富裕層向けコンドミニアムに投資をしているのは、香港などの富裕層であったりします。

また、同地で旅行者向けに夏はラフティングやカヌー、冬はスキーから乗馬などに至るまで、さまざまなアクティビティを提供している日本人も、商社で海外勤務経験を持ち、世界各国を旅してきた人だったりします。自分たちが大した旅もしていない人が、表面的な「富裕層観光」のイメージだけで企画しても、うまくいかないのは当然です。

冒頭でいきなり栃木県の恥ずかしい例を挙げてしまいましたが、このほかにも群馬県や宿泊業者が昨年夏に掲げた3泊4日の「リトリート観光」(日常の場所を離れ、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒やすのが目的)の申込者がゼロだったりと、「官製の富裕層観光企画」はことごとく失敗しています。私は、行政は人口減少社会への対応など、行政にしかできないことに、もっと注力すべきだと思います。

それでは日本の地方での富裕層観光は難しいのでしょうか。まったくそんなことはありません。

むしろ、日本の可能性は、世界的にも稀にみるような、地方が持っている「長い歴史」や「文化性」にあります。実際、それらを活かして成長する事例が全国で続々と登場してきています。しかも、それは「補助金ありき」などではなく、民間主導による取り組みが多くを占めています。

嬉野温泉の有志が実践する「ティーツーリズム」の真髄

その代表的な事例の1つが佐賀県西部で栽培される「嬉野(うれしの)茶」を核に据えた「ティーツーリズム」でしょう。この地域の独自の取り組みは2016年頃から始まりましたが、年を追うごとに進化を遂げ、世界的にも大きな話題になっています。

嬉野温泉は佐賀駅、佐賀空港、博多駅から約1時間。隣県の長崎空港からだと30分ほどの場所にあります。2022年9月に西九州新幹線の嬉野温泉駅ができたこともあり、周辺を歩いていると、国内の観光客に混じって海外からの富裕層観光客が足繁く訪れているのが本当によくわかります。

では、なぜうれしの茶が特に外国の富裕層から熱い注目を浴びているのでしょうか。その成功の理由をひとことで言えば、もともと地元にあった「500年の歴史を持つうれしの茶」「1300年続く嬉野温泉」「400年の伝統を持つ焼き物(肥前吉田焼)」という3つの要素を組み合わせたことにあります。

「うれしの茶」は芳醇な香りとうま味で定評がありますが、名産地・嬉野に行かないと味わえない「ティーツーリズム」の高付加価値企画化に成功していることです。

その背景には、同地にある老舗旅館「和多屋(わたや)別荘」の3代目である小原嘉元(こはらよしもと)社長を中心とした取り組みがあります。

同旅館は1950(昭和25)年の創業。敷地は東京ドームより広い、約2万坪(6万6000㎡)。客室数も100以上あります。

嬉野の地域全体の資産を発掘、旅館を世界へ開く

伝統と格式がある名家が経営する和多屋別荘を初めて訪れると、誰もが少なくとも3泊以上したくなるような旅館ですが、実は2代目が平成バブル時に子会社のテーマパークに過大投資をしたことなどで大きな負債を抱え、何度も経営難に陥っていました。

親子間の確執もあり嘉元氏はいったん家業を離れますが、コンサル会社での経験を経て、自らも旅館再生専業を行う会社を起業。10年ほどで計80件超の再生を手がけることで手腕を発揮していきます。

嘉元氏は実家再生の最後のチャンスとして2013年、36歳のときに経営を引き継いで社長に就任します。危機的状況を打開するうえで、閉じこもった発想ではなく、嬉野の地域全体の資産を発掘し、前出の「3つの要素」(うれしの茶・嬉野温泉・吉田焼)を活用して、旅館全体を開放していったのです。

今では地元での観光事業はもちろん、例えば東京都内のラグジュアリーホテルでの「お茶サービス」の展開や、さらに世界的なパティシエ(洋菓子職人)であるピエール・エルメ氏との提携など、目を見張るほどの独自の展開を行っています。

また2020年から協業しているイノベーションパートナーズの本田晋一郎氏と共に、今までこの地域になかったインバウンド施策や、マーケティングに強いIT関連企業の誘致も行っています。

これによって、嬉野地域の基盤である上記の3つの要素の価値転換や高付加価値化を行いました。さらに進出してきた企業では地元の採用を強化することで、デジタル領域のノウハウを嬉野地域に直接伝え、育てるといった新たな「循環構築」も行っています。

なぜコーヒーは「1000円以上」でお茶は「無料」なのか?

実は、その出発点は非常にシンプルなものです。「旅館に行ってお茶にお金を払う人はいない。しかし、ちょっとした高級ホテルでコーヒーを飲めば皆が普通に1500円、2000円を支払う。これはおかしいな、と思ったのです」(小原社長)。つまり、2000円のコーヒーがおかしいのではなく、おいしいお茶を無料で提供することがおかしいと思うことから、すべてが変わり始めました。

嘉元氏は社長に就任すると、まず無料で振る舞っていたお茶の提供の仕方を改めました。それだけでなく、レストラン単位でお茶農家との専属契約を結び、テナントとしてお茶農家の本店などを誘致しました。

旅館として生産者である茶農家から安く茶を買って、ただ同然で旅館の利用客に振る舞うのではなく、おいしいお茶を提供する茶農家にパートナーになってもらい、有料でお茶を楽しんでもらうサービスを開始したのです(宿泊客の部屋には追加料金なしで飲めるうれしの茶が置いてあります)。

実際、有料にしてもクレームはないに等しく、むしろ多様な地元の生産者によるお茶を楽しめることで大いに評価が高まりました。

「無料」から「1人1万円以上」が当たり前に

その中でも、2021年に和多屋別荘内に「副島園本店」を構えた生産者のひとりである副島仁さんは、昨年11月から「副島茶寮」で「茶考」という、80分ほどかけてじっくりお茶を楽しむプログラムを開始しています(オンラインによる完全事前予約制)。

その価格は1人5500円です。そこでは、副島園で栽培、加工した5種類のうれしの茶が主役となり、地元の吉田焼などの器に入れて提供されます。茶菓子なども出ますが、それはあくまで引き立て役です。

品種はもちろん、製茶の方法、焙煎、淹(い)れ方などについて、カウンターにいるコンシェルジュによる丁寧な説明を聞きながら、地元の茶農家が手間暇をかけて熟成加工を施し、独自に工夫して抽出したお茶を楽しむのです。80分はあっという間に過ぎてしまうほどです。

また冒頭の写真にあるように、嬉野市街からタクシーで10分ちょっと、2017年に同園の茶畑の中に作った「天茶台」も大人気です。50平方メートルほどの木製の平台を設置して野外茶室に見立て、その台の上で美しい茶畑を望みながら、お茶が振る舞われます。価格は1人当たり1万5000円が基準ですが、外国人富裕層の観光客の予約がひきもきらないのも納得です。

嬉野温泉には、天茶台だけでなく、永尾豊裕園の「杜の茶室」や池田農園の「茶塔」、さらに肥前吉田焼の里にある副千製陶所の一角をリノベーションして造った吉田茶室(唯一の屋内施設)もあります。このように、最高の茶空間での素晴らしい体験がいくつもの場所でできるように設計されているのが同地の「ティーツーリズム」の大きな魅力なのです。

無料が当たり前だったお茶を、茶農家や旅館業を営む有力経営者が、自分たち本来の価値を見定めて、正しくブランディングする取り組みを粘り強く重ねた結果、その価値に見合った形として顧客が喜んで1人1万円、1万5000円を当たり前のように支払うようになっているのです。これは本当に大きな変化です。

ラグジュアリーホテルのトップたちも驚くお茶の文化性

それでは外国人の富裕層はこのような観光企画をどこで知るのか。前出のとおり、一連の嬉野茶のプログラムは、東京都内のラグジュアリーホテルを起点にしています。

筆頭格の1つはブルガリホテル東京です。同ホテルのゼネラルマネジャーが自ら嬉野茶の生産農家を訪ね、その品質とともにストーリーの伝え方に感動したことが発端で、同ホテルでは「きたの茶園」のうれしの茶が提供されています。

同ホテルだけではありません。そのほかにも東京都内で近年建てられた外資系のラグジュアリーホテルでも、やはりうれしの茶が提供されるようになっています。その中には茶農家を月に一度招いて、顧客の注文を受けてからその都度お茶を抽出して提供するプログラムも人気です。

嬉野温泉のティーツーリズムは、これらの場所を起点として「このおいしいお茶はいったいどこで作られているだろうか」という関心を高め、来客を増やしているのです。誠実に、そして着実に顧客に伝えていく努力のうえに、現地への観光需要が創出されているのです。

実は、一連の取り組みを始める以前は、生産者である茶農家からみれば、どんなに頑張っても卸売価格が1キロ当たり数千円にしかならず、茶農家の時給に換算したら400円を割るようなありさまだったと言います。多くの茶農家の方々が未来に絶望していたといいます。

しかし、安売りをせず、むしろ「いかにして高付加価値のお茶を価値に見合う形で販売していくのか」を考え、先祖から続く地域産業の歴史、伝統をしっかりと説明する努力を続けた結果、今は「稼ぐ茶産業」に転換できています。

挑戦する茶農家が出て、各々が所得を上げ、それを未来に向けて再投資をするという好循環ができあがりつつあります。

土壌にこだわって、これからも高品質のお茶を作り続けるために「茶畑スポンサー制度」も設計されています。すでに高品質のうれしの茶を使いたい、届けたいといった名だたる大企業などが支援をするようになっています。こうした取り組みは全国の他のお茶の生産地にも刺激を与えており、今や視察者が後を絶ちません。

肝心の日本人が自らの評価ができていない

実は全国各地には、嬉野温泉のお茶だけでなく、江戸時代の幕藩体制下、もしくはそれよりかなり古くから地元の領主に向けて献上されてきた、さまざまな特産物があります。

この日本の地方には山ほど存在する職人の技、すなわちクラフトマンシップについては、私が世界各国を訪問すると、会う人会う人に毎回絶賛されています。しかし、肝心の私たち、日本人が自らの評価ができていないのです。そのため、産業として発展させることができず、関係する地元の人々は低賃金労働を強いられ、心ならずも廃業していく事業者がいまだに多数です。

茶畑が本当にきれいな季節です。冒頭のような、地方の行政者が400万円のパックツアーを売るなどという表面的な企画ではなく、日本が数百年、1000年超と築き上げてきた歴史文化を持つものに価値を見出すことこそ、富裕層観光の入り口なのだと思います。