自ら人権を語り始めた中国は何を狙うのか

町田 穂高 : パナソニック総研 主幹研究員

2024年05月31日

福島第一原発の処理水の問題が、喉に刺さったトゲのように日中関係に残り続けている。先日韓国で行われた日中首脳会談で、李強首相は処理水の問題は全人類の健康に関する問題だと述べた。また、訪日した劉建超・中国共産党対外連絡部長は、処理水の問題を適切に解決し、日中関係の障害を取り除くよう日本側に求めた。

5月のプーチン・ロシア大統領の訪中では、中国は、ロシアとの共同声明を使って処理水の問題を取り上げて日本を批判した。

中国は、処理水を人権にも絡めている。昨年9月の国連人権理事会で、中国は、「日本政府が一方的に福島の原発で汚染された水を海洋排出することは、太平洋に面した国々および全世界の人々の健康権、発展権、環境権への著しい侵害だ」と批判した。

なぜ、中国は日本の処理水を人権侵害として批判したのだろうか。自国の人権状況について国際的な批判を受ける中国が、人権理事会の場で日本を批判した背景は何だろうか。

人権について積極的になった中国外交

長い間、人権は中国外交では取り扱いの難しい問題であり、中国外交で人権を自ら持ち出すことは少なかった。特に、欧米諸国との間では、1989年の天安門事件や、チベットや新疆における少数民族の扱いは、人権侵害として批判され、外交問題となってきた。中国は、人権は一国の国内問題だと主張し、欧米は人権を利用して内政干渉していると反発した。

中国外交が人権を積極的に取り上げることは少なく、国際機関などでも中国は人権については目立つことを避けてきたようなところがある。人権は、国際社会からの批判に対して自国を守るという防御的な問題だったと言える。

しかし、最近、中国外交は人権に関して積極的になっている。まず、各国との首脳往来の際に作成する共同声明などで、「人権を理由にした内政干渉に反対」や「人権の政治問題化に反対」といった中国の主張を書き込む例が増えてきている。

下の表は、昨年6月からの1年間に中国が作成した共同声明のうち、人権に関する中国の主張が盛り込まれているものである。このうち、セルビアやベトナム、アルジェリアといった国との間では、以前作成した共同声明には人権に関する内容は含まれていない。中国は、人権に関する立場を発信するのに積極的になっている。

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また、新彊やチベットといった欧米から人権問題だと批判されているものについて、相手国との間で、中国の主張を確認するような共同声明も出てきている。2023年2月のカンボジアとの共同声明や、同年9月のシリアとの共同声明では、「新疆の問題が人権問題ではないことを支持する」旨が明記されている。

今年1月のウズベキスタンとの首脳会談では、中国外交部は、人権を台湾、新疆と並ぶ「核心的利益」に関する問題だとして、ウズベキスタン側からこれら問題で支持表明があったと発表した。

途上国との協力を深める中国

中国は、途上国との間で人権に関する協力を進めることにも積極的になっている。1990年代から、中国は日本やアメリカ、EU(欧州連合)、オーストラリア、ノルウェーなどと人権対話を始めた。

過去、中国が行う人権対話は、ほとんどが欧米諸国との間であった。しかし、2015年にはブラジル、2016年にはAU(アフリカ連合)や南アフリカとの間で人権対話を立ち上げた。

昨年中国が人権対話を行ったのは、ロシア、ベトナム、インドネシア、カタール、エジプト、メキシコ、キルギス、モロッコなどとなっている。今年になって、中国はアンゴラやエチオピアとの間で人権対話を始めた。

反比例するように欧米諸国との人権対話は行われなくなり、日本との人権対話も2011年以降開催されていない。

国際的な場でも、中国は途上国と協力することで多数を確保して、積極的に中国の主張を発信し始めている。2017年に中国は、人権に対する発展の重要性を強調し、「人類運命共同体」の構築を促す決議案を国連人権理事会に提出した。

日本や欧米は反対したが、発展の重要性をうたう人権理事会初の決議という宣伝文句のもと、多くの途上国の賛同を得て決議は採択された。

2018年にも人権の互恵協力に関する決議案を提案し、アフリカを中心に約20カ国を共同提案国に加えて、賛成多数で採択された。

また、人権に関する国際的な場では、中国への批判は数のうえでは少数派になりつつある。2020年6月の国連人権理事会では、52カ国が香港の国家安全法への支持を表明したが、この数は香港の状況に懸念を示した国よりも多い。

昨年10月の国連第三委員会では、EUが新疆やチベット、香港における人権侵害を批判したところ、パキスタンが直ちに反論し、約70カ国を代表して、新疆やチベット、香港は中国の内政であり、人権問題を政治化すべきでないと述べた。

現在、中国は、国際的な課題を扱うシステム(グローバルガバナンス)に積極的に参画し、欧米中心、先進国中心の国際システムをより公平なものに改革すると主張している。2018年には、習近平は「グローバル人権ガバナンス」という言葉を使うようになり、特に人権に関するグローバルガバナンスを重視する姿勢を見せた。

影響力を争う場としての人権

さらに、中国は、人権を国際的な影響力を争う場として位置づけている。2022年2月の党中央政治局における講話において、習近平は、「グローバル人権ガバナンス」に積極的に参加して国際的な人権機構での影響力を強化すること、国際的な人権闘争を行って中国の人権をよく語り、中国の人権観の影響力を強化することを求めた。

中国は、途上国の支持を背景に、国際的な人権分野では自国が有利であり、西側に対抗できると考え始めている。国連人権理事会で、日本の処理水の問題を提起したのも、人権を切り口にすることで国際社会の日本批判を主導しようとしたのであろう。

同じように、中国は人権理事会でアフガニスタン政策やアメリカ国内での人種差別事件を取り上げてアメリカを批判している。人権を使った西側批判は今後も続いていくことが予想される。

中国との対話のチャンス

中国の積極的な「人権外交」の背景には、人権に関する中国の考え方を国際社会に浸透させ、国際的な人権概念を変えたいという思惑もある。中国は、人権の中でも生存権や発展権といった一定の生活を送る権利が優先されると主張している。

この考え方は、個人の自由や人権は経済発展のために一定の制約を受けることを容認するものであり、開発独裁体制には都合がよい。

また、人権のあり方は各国の国情によって異なるという中国の主張は、欧米から人権侵害を批判されている国々には有利である。中国の人権に関する立場は、多くの途上国に受け入れやすいと言える。

しかし、処理水の例を見ても中国の影響力はまだ限定的であり、処理水を人権と結びつけた中国独自の批判が国際社会で広がっているとは言えない。また、人権は国内問題である、という理由で他国からの批判は認められないのであれば、国連人権理事会のような国際機関は不要になってしまう。

中国も参加する国連人権理事会は、国際社会での人権保護の促進とそのための勧告を行うことを目的の一つとして設立されており、各国の人権のあり方は国際社会の正当な関心事項である。中国は、耳の痛い批判を内政干渉だと切って捨てるのではなく、国際社会からの指摘に真摯に耳を傾ける必要がある。

習近平は、「中国は人権の普遍性の原則と国情との結合を進めてきた」と述べ、人権の普遍性を認めている。また、習近平は、「人権保障には最善はなく、改善あるのみだ」ともしている。

日本は国際社会からの指摘を受けて自国の人権保障をより充実させてきた歴史を持っており、国際社会との対話の重要性を語る資格がある。同時に中国との対話の中で、中国の人権状況に関して改善すべきところを引き続き指摘し、外からの意見を聞く必要性を伝えていく必要がある。

中国が人権をタブー視することなく、積極的に語るようになった今こそ、中国との人権に関する対話のチャンスである。