中国非公式警察関係先を捜査した狙いとは

稲村 悠 : 日本カウンターインテリジェンス協会 代表理事

2024年02月29日

警視庁公安部は2月21日、新型コロナウイルス対策の持続化給付金を不正受給した詐欺容疑で、中国籍の女で、会社経営者と会社役員を書類送検した。女らは、2022年にスペインの人権団体「セーフガード・ディフェンダーズ」が指摘した中国非公式警察の拠点があるビルに所在する団体の幹部を務めており、非公式警察との関係も疑われる。

本事件は、中国非公式警察に関する問題だけではない。一部メディアでは相当以前から、今回検挙された女のうちの1名が、日本の参議院議員と深い関係にあり、機密情報の漏洩などの観点で懸念される(以下“懸念すべき件”)と報じられていた。

本事件の公安部の狙いは、まず中国非公式警察の活動に釘を刺すことやその実態解明に加え、前述の“懸念すべき件”に関する実態解明ないしは立件の糸口を探ったという面もあるだろう。

スパイ防止法の有効性を検証

 “懸念すべき件”については、スパイ防止法を求める声が多く聞かれる。
筆者としてもスパイ防止法の必要性に異論はないが、“懸念すべき件”が仮に現実の事案であった場合、スパイ防止法でどう対処できるのだろうか。その有効性を考察したい。

まず、架空の事案(以下、「本事案」)として、『ある国会議員の私設秘書が中国当局の機関員ないしは工作活動に加担する者で、同議員が保有する日本の政策動向や外交関連情報等を議員との活動の中で収集していたほか、同議員を感化させ中国を利する経済・政治活動を行っていた/行わせていた』と仮定する。

本稿では、1985年に自民党が制定を目指し、廃案になった「スパイ防止法案」を軸に考察する。

同法案(第三次案)第四条第一号では「①外国に通報する目的をもって(または不当な方法で)、国家秘密を②探知し、又は③収集した者で、その探知し、又は収集した国家秘密を④外国に通報して、④我が国の安全を著しく害する危険を生じさせたもの」を罰するとし、その最高刑は死刑または無期である(考察の便宜上、本事案において私設秘書に収集された情報は国家秘密に該当すると仮定)。

同法案第四条第二号では、「①国家秘密を取り扱うことを業務とし、又は業務としていた者で、②その業務により知得し、又は③領有した国家秘密を外国に通報して、④我が国の安全を著しく害する危険を生じさせたもの」を罰するとしている。

では、本事案の“私設秘書”に対するスパイ防止法の適用を念頭においた捜査上の考察をしてみたい。

第四条第一号は、私設秘書を対象としてその適用が検討されうるが、その構成要件は、

① 外国に通報する目的をもって、または不当な方法で
(国家秘密を)

② 探知or収集

③ 外国に通報

④ 国の安全に危険を生じさせる

としている。

では「①外国に通報する目的をもって、または不当な方法」はどのように捜査し裏付ければよいだろうか。

「外国に通報する目的をもって」については、私設秘書の行動から、中国当局関係者、または接点を持つ関係者や議員本人との接点・接触時の会話・コミュニケーションなどから、外国に通報する目的を立証しなければならない。

「不当な方法」については、情報の探知・収集行為における不法行為や詐術、脅迫などの不当行為を現認しなければならない。また、情報提供の見返りとして渡す報酬の動きなども着眼点となる。例えば、ここにハニートラップのような性的関係の利用を端緒に脅迫行為や強要行為が行われた時点で不当行為とみなすことができると考える。

一方で、諜報事件の捜査では、被疑者に認知されずに関係者から聴取することは捜査活動自体が被疑者に暴露してしまう危険が高まるため、捜査段階における関係者からの聴取はまったく期待できない。結局、その立証に必要な捜査手法は、これまでと変わらない。

次に「② 探知or収集」を裏付けるには、どうしたらよいだろうか。「探知」については、その行為自体の定義が曖昧であるが、前述のようにその行為自体を現認するか、関係者等との接点や接触時の会話・コミュニケーションから間接的にでも立証を試みるほかない。

「収集」も同様だ。両方の行為について、機密情報の管理履歴やPCのアクセスログなどの着眼点はあるが、例えば議員事務所内で犯行が行われた場合、事務所側に捜査協力を求めること自体が、捜査活動が暴露する危険が高まるため不可能だ。

そして、「③外国に通報」する行為の捜査も同様だ。「④ 国の安全に危険を生じさせる」については、さらに危険を生じさせた結果も裏付けなければならない。

議員側への捜査も同様だ。第四条第一号の検討に加え、第四条第二号の

① 国家秘密を取り扱うことを業務とし、又は業務としていた者

② その業務により知得し

③ 領有した国家秘密を外国に通報して

④ 我が国の安全を著しく害する危険を生じさせたもの

のそれぞれ②~④の捜査手法も基本的には前述の内容と大差ない。

これら私設秘書と議員側への捜査において、各構成要件の裏付けを秘匿で行い、証拠を収集したうえで、捜索差押許可状や必要に応じ逮捕状の発付を受け、一挙に強制捜査を行うのが通例だろう(任意捜査では証拠隠滅のおそれがあるため)。

捜査の手法自体はこれまで“公”になっているもののみをあげたうえで、具体的手法の言及は避けたが、それでもこれまでの捜査手法と大差ないのは認識いただけたと思う。

一方で、その最高刑が死刑または無期懲役とする同法による抑止力には一定の効果が見込める。諜報活動自体を行う工作員はいわばプロであり、同法の刑は抑止とはならないだろうが、それに加担してしまう一般人や議員側に対する抑止は見込めるだろう。

さらに、法的根拠を持った「防止」が期待できることは重要だ。例えば、「② 探知or収集」行為について、“疑い”がある段階で捜査を積み重ね、令状の発付に耐えうる「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の要件を満たすことで、法的根拠をもって探知行為の段階での検挙が見込める。これは機密情報の漏洩がなされる前の段階での防止となり、非常に重要な点だ(逮捕の必要性も満たす必要があるのは言うまでもない)。

ただし、スパイ防止法が存在したとしても、捜査の難しさは変わらない。

筆者は、捜査側の目線だけで言えば、(1)行政通信傍受の整備や司法通信傍受の拡大、(2)囮捜査の整備は、非常に効果が大きいと考える。

行政通信傍受とは犯罪が起きる前に行政機関が行う通信傍受で、未然に傍受することで犯罪の準備行為=「① 外国に通報する目的」や「② 探知又は収集」行為の立証が格段に容易となるが、現在は行政通信傍受は認められていない。

また、犯罪捜査における司法通信傍受では、犯罪行為が行われた“後”を前提に、その対象は薬物関連犯罪、銃器関連犯罪、爆発物関連など一部の犯罪に限定されている。今後、行政通信傍受の整備に加え、司法傍受の対象犯罪を拡大し、諜報事件を含むことも検討すべきである。

これにより、既存の刑法や不正競争防止法等においても、例えば機密情報漏洩事件では、行政通信傍受により未然に工作員と相手方とのコミュニケーションを傍受することで、その機密情報を工作員に渡す前に検挙できる可能性が大きくなるほか(未遂の罰則規定がある犯罪に限る)、司法通信傍受により、一層の真相の解明が期待される。

また、囮捜査については、現状では根拠規定がなく、グレーな手法となっており、日本における捜査においても一般的な手法とは言えない。まず根拠規定を整備したうえで、囮捜査の危険性や捜査ノウハウの蓄積など乗り越えるべきハードルは高いが、実施することで決定的な証拠が引き出せるほか、工作員側も疑心暗鬼になり一定の抑止も見込める。さらには、検察側の話にはなるが、司法取引を拡大させることで、スパイ網の一網打尽の可能性も出てくる。

これまで1985年自民党のスパイ防止法案をもとにその有効性や捜査手法について考察したが、実は、本事案の「同議員を感化させ中国を利する経済・政治活動を行っていた/行わせていた」行為については、検挙できない。なぜならスパイ防止法の構成要件にも該当せず、贈収賄行為等がなければ現行の法でも違法性は問えないと思われる。

よって、スパイ防止法に求められる内容は、1985年のスパイ防止法案に準拠するものでは足りず、例えば2023年7月に英国で制定された国家安全保障法は一つの参考となる。

ちなみに、英国では、2023年に相次いで中国による諜報活動関連の事件が摘発されており、大きな問題となっていた。

同法では、諜報活動による情報収集・漏洩に加え、例えば外国の諜報機関への協力を対象とし、外国の諜報機関による英国関連の活動(※1)を実質的に援助することを意図している行為(※2)などもその対象としている。

※1:英国内で行われる活動や、英国外で行われる活動で英国の安全または利益を害するもの

※2:外国の諜報機関を実質的に援助する可能性のある行為には、“情報、物品、役務または金銭的利益”を(直接的か間接的かを問わず)提供すること、またはそれらへのアクセスを提供することが含まれる。

日本では、中国の非公式警察問題だけではなく、中国・ロシアによる各種諜報活動による脅威が認識されて久しいが、いまだその危機意識が欠如しているような事件が散見される。

一方で、日本ではスパイ防止法の成立を目指すには、根強い反対論を乗り越える必要がある。スパイ防止法をはじめとした法整備を求める声が重要であると同時に、まず変えていくべきは、議員を含む我々社会におけるカウンター・インテリジェンスの意識である。