巨大なミキサー車が列をなし、ゴロゴロと石材が海中に入る音が響き渡る──辺野古では着々と埋め立て工事が進んでいる。玉城デニー知事は普天間基地の「移設反対」を掲げてきたが、政府の「代執行」によって公約は実質的に「無効化」された。そうした状況のなか、支持母体であるオール沖縄の弱体化も進んでいる。

「県民集会」の弱体化

玉城デニー沖縄県知事は、辺野古に反対する「揺るがぬ民意」を強調してきた。しかし『「辺野古」への基地移設も止められず…2024年、玉城デニー沖縄県知事が迎える「政治生命の危機」』で見てきたように、その実態は不透明なものなのだ。

玉城氏を支持する市民団体が開く「県民大会」「県民集会」の乱発も、オール沖縄の衰退の表れとして指摘されている。「本土」の中央政府に対し、県民一丸で「ウチナーンチュ」の意志を表示する場とされてきた。日米の政府が普天間基地の返還に合意する契機となった1995年の米兵少女暴行事件では、県民が抗議する集会に発表ベースで8万5000人が詰め掛けた。2012年、米軍輸送機オスプレイの配備に反対する集会にも同じく10万人が集まっている。

玉城デニー氏HPより

玉城デニー氏HPより© 現代ビジネス

対して、昨年11月に政府に対して「平和外交に徹すること」を求めて開かれた集会の参加者は「1万人以上」。辺野古問題で、玉城氏がいよいよ万事休すと追い詰められていた時期でもあったが、支持者・参加者らはワンイシューの主張で集っていたわけではなかった。

石垣島や与那国島など離島地域では、米軍基地問題よりも、「自衛隊のミサイル配備計画」など、中国の軍拡を念頭にした防衛力強化への反対を強調したい勢力が際立つ。反対派の革新系団体には、それぞれ重んじる主張にばらつきが目立ち、集会はまとまりを欠いていた。こうした様相は、いわゆる「一般」の県民にはわかりづらく映り、「なんとなく国と喧嘩をして反対している人」を印象付けている。

 

腹8分、腹6分でまとまる」こともできず…

辺野古の工事現場でも、反対派が日々抗議活動を展開しているが、人数は細っている。構成するのは社民党系、共産党系などの団体で構成する玉城氏の支持母体。曜日ごとに持ち回りで、キャンプ・シュワブのゲートに毎日3度、定刻に搬入されるダンプカーなどの列の前に立ちはだかり、座り込む。工事に反対する県民のほとんどは、平日の日中に駆け付けられず、高齢化も進む。数人しか集まらない日もあるという。

オール沖縄の衰退と同時に「共産党主導」も加速している。それが決定的になったのが、2022年10月の那覇市長選だ。オール沖縄を創設し現県政を樹立した翁長氏を巡り、次男・雄治(たけはる)氏と、秘書だった那覇市副市長・知念覚氏が激突する構図だった。

翁長氏を側近として長く支えた知念氏がオール沖縄から距離を取り、自民党の推薦を受けたことは大きな話題になった。さらに、オール沖縄陣営に属していた那覇市長の城間幹子氏も、知念氏を支持。オール沖縄で中核を成すに至った共産党は、城間氏を「裏切りだ」と激しく非難した。

オール沖縄内部でのこうした混迷は、翁長氏がかつて唱えた「腹8分、腹6分でまとまる」という理念と相容れない。自民党を離脱した保守系から共産党まで、他の政策では合致できずとも、辺野古移設を阻止するためだけに妥協し合ってまとまろう……。翁長氏のこの理念があったからこそ、オール沖縄は実現した。

ところが、そうした当初の姿はいまや失われ、「左傾化」「共産色」ばかりが目につくようになった。さらに、烏合の衆を率いる翁長氏が周辺に抱えていたような「調整役」の不在と、玉城氏自身のリーダシップ不足も、この那覇市長選の「内輪揉め」によって浮き彫りになってしまった。

辺野古阻止を掲げてきた玉城氏本人の政治決断もぶれ始めている。政府が埋め立てを開始したのは2018年。面積の3割ほどで作業がすでに完了しているが、残る大部分の工事が進まなかったのは、軟弱地盤を改良する設計変更の申請を2021年に玉城氏が不承認としたことによる。しかし裁判での闘争を経て、最高裁で県側の敗訴が確定すると、なんと玉城氏は承認に傾いたのだという。

 

 

記者会見の場に現れなかった

朝日新聞によれば、承認しないことが違法な状態となるため、玉城氏は行政としてやむを得ないと考えていたとされる。ところが後援会や知事派の国会議員らの説得を受けて方針を覆し、再び不承認とすることを決めた……というのが事の経緯だった。

さらに、この判断により政府の「代執行」が決定的になると、玉城氏は任期途中で辞職、知事選に打って出ることを考えた。時事通信によれば、辺野古問題の一点で民意を問い直すことを考えたものの、立憲民主党の小沢一郎氏の反対に遭って頓挫したのだという。

昨年末の12月20日午後2時、福岡高裁那覇支部が玉城氏に対し、政府が辺野古工事を進めるための設計変更の承認を命じる判決を出した。政府の代執行に道筋が付いた局面だったが、判決直後にセットされていた記者会見の場に、玉城氏は現れなかった。

同日午前に肺炎と診断されたためだ。玉城氏はただちに「代執行は到底容認できない」とのコメントを出したが、副知事が事務的に読み上げただけだった。

県の関係者によれば、玉城氏は当時微熱にとどまる軽症だったという。辺野古問題が一挙に急展開する重大な判決に、全国メディアが一斉に速報していた。報道陣は知事が発する「沖縄の声」に身構えていたが、オンラインでの会見開催の求めにも、頑なに拒むだけだった

この対応は、翁長雄志が2018年夏、急逝の2週間前にまさに命を削って会見に臨んだ姿勢とは極めて対照的だった

これまでの経緯を振り返ると、玉城氏自身が強い意志を持って反対を貫いているとは言いがたい。こうした政治判断は、自身を知事として一層苦しい立場に追い込んだ。

「基地の選挙」から「経済の選挙」に

裁判が決着し、工事の進展が避けられなくなった時点で承認、政府との条件闘争に入れば、政府側も交渉のテーブルに付く可能性はあった。玉城氏に仕える県の行政職員らの間には「採算性が見通せず事業化の見込みが立たない鉄軌道の導入など、辺野古を『カード』として政府から引き出せる政策はいくらでもあった」と残念がる声があった。

また自民党など反・玉城氏の陣営からは、玉城氏が知事選に出直したならば、玉城氏を下すことは難しかっただろうとの見方がもっぱらだ。自民党側も、対抗馬の見込みが立っていなかったのだ。

玉城氏が2期目の任期を満了するのは2026年。地元政界では、「基地の選挙」から「経済の選挙」に切り替わるのが次回の知事選だとみられている

沖縄では、「基地」か「経済」かに選挙の争点が振れる歴史が繰り返されてきた。翁長氏を含め、3期にわたり辺野古反対派・オール沖縄が県政を握ってきたが、今年1月の着工で「阻止」が立ちゆかなくなった。政権与党の支援を受ける自公系候補が経済を全面に出せば、「辺野古」を看板に戦う玉城氏の勝ち目は薄いだろう。

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『中国の脅威が迫るなか「自衛隊強化」に反対…玉城デニー知事から「沖縄の民意」が離れはじめた!《6月の県議選が正念場》《知事選の有力「対抗馬」》』に続く…