作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は能登半島地震で考えた、地震大国・日本で災害時に為政者がすべきことについて。

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 お正月は北原糸子編『日本災害史』(吉川弘文館)を読んでいた。

 この本には、古墳時代から阪神・淡路大震災までの日本の災害史が紡がれている。いつ災害が起きたかという記録ではなく、災害が起きたとき為政者は何をしたのか、人々は何を語ったのか、この国はどのように復興してきたのかをたどる天災復興史だ。

 私たちは世界有数の地震大国に暮らしている。山は爆発し、地は揺れ、津波で土地がのみ込まれる。天災そして復興、天災そして復興、天災そして復興、その繰り返しが日本史だといってもいい。『日本災害史』は東日本大震災後に友人に勧められ購入したのだが、この国に暮らす私たちが繰り返し読むべき一冊だろう。

 そして改めて実感するのだ。2024年のこの国の為政者は、日本災害史上、かなりダメなほうに入るのではないか。

 たとえば今からちょうど170年前、1854年12月23日の安政東海地震のことだ。

 黒船来航の翌年に起きた安政東海地震はマグニチュード8クラス・最大震度7(推定)の巨大地震で、その後に襲った津波は外交の舞台だった下田港をのみ込み(停泊していたロシア船が壊れるほどの勢いで)、下田の町は壊滅的な被害を受けた。

 驚くのは、その後の支援である。津波が下田港を襲ったのは朝8時〜10時頃だったといわれるが、その日のうちに「お救い小屋」(避難所)が設置され、炊き出しが行われている。翌日には被災者の情報調査が行われ、頼れる者がいない人々が「お救い小屋」に入ったという。さらに地震から6日後には、幕府から米1500石と金2000両が届けられ、さらにその7日後には生活困窮者に対し金銭が与えられた。

 なにそれ……である。無線もないのに、電気もないのに、ヘリコプターもないのに、自衛隊もいないのに、だいたいロシア船が壊れるくらいの大津波なのに、なんでそんなに早く動けるのよ……と思うが、江戸時代には被災直後に何をすべきかというマニュアルが整えられていたのだ。避難所の名前が「お救い小屋」というのもいい。そこでは炊き出しが行われ、お握りや粥などが配られた。

 その翌1855年には、江戸でマグニチュード7クラス(同)の大地震が起きる。大都会での震災は火災に苦しめられ(吉原では閉じ込められていた遊女が火災で600人以上亡くなった)、「お救い小屋」が設置されたのは3日後だったが、江戸の町方人口の5%にあたる2700人が入所したという。さらに地震の10日後から約1週間で20万人以上にお握りが配られ、さらに38万1200人に「お救い米」が配布された。38万1200人とは当時の江戸人口の7割である。

 なにそれ……である。誰が20万人分のお握りを握ったの? お握り工場もないのに、電気もガスもないのに、大型輸送車もないのに……と思うが、こういう震災後の支援対策にもマニュアルがあったという。「お救い小屋」とは室町時代からあり、「お救い米」の配布も当時の救済マニュアルに基づいて行われていた。

 つくづく思う。助けられる命を救うために権力はあるのだ、と。だからこそ、こんな地震大国の為政者の重要な役割とは「天災への備え」であろう。……で、やっぱり疑わずにはいられない。江戸時代の為政者のほうがよほど、今の為政者よりもずっと備えてはいませんか。というか、備えていました? 馳さん? 岸田さん?

 能登半島ではここ数年、地震が続いていたという。もし大地震が起きたら、半島の細い道は遮断されることなど簡単にわかることだろう。津波で海路が使えないことも、空港が地割れで使えなくなることも想像できることだろう。というか、これほどの規模の地震を「想定していなかった」としたら、それこそ怖い。福島の原発事故も「これほどの津波を想定していなかった」(想定する研究はあっても東電も政府も耳を貸さなかった)ために、人類史上最大級の放射能事故を起こした。最悪の想定をして備えるべきであることを、私たちは残酷な犠牲を払い知ったはずだ。それなのに大地震の想定を甘くみつもり(またはせず)、原発再稼働や新設に意欲を燃やす一方で、大震災が起きたときに迅速に人の命と生活を守ることができないのなら、それはこの国の為政者としての資格がないということではないか。

 今も冷たい夜を絶望のなかに過ごしている多くの人々がいる。

 高齢者や病人の方々の苦痛は想像を絶するが、とにかく一刻も早く温かい食べ物を十分に、清潔な水を十分に、清潔なトイレを十分に用意してほしい。何十年も言われているのに、いまだにプライバシーゼロで雑魚寝するしかない避難所や、何十年も言われているのに、いまだに性被害対策が取られていない避難所や、何十年も言われているのに、いまだに生理用品や化粧品が配布されない避難所の現実に、私たちは「岸田さんは江戸より遅く、備えてない」と呆れ、怒っていいのだ。

 多くの命が失われたお正月、犠牲者の冥福を強く祈るとともに、一刻も早い救済を求めます。