パンデミックならぬ「ピンデミック」で大わらわ

朴眞煥 : 報道番組ディレクター、ジャーナリスト

2023年11月14日

1970年代以後、ほぼ姿を消し、ほとんどの韓国人が一度も見たことのない害虫、トコジラミ(南京虫)が全国各地に出現し、韓国社会に不安が広がっている。

韓国語でトコジラミを意味する「ビンデ」と「パンデミック」を組み合わせた「ビンデミック」という新造語が現れ、トコジラミに対する韓国社会の不安を表している。さらに、実際にはトコジラミを見たことがなく、トコジラミが発見されていない場所にいるにもかかわらず、不安を感じる「トコジラミフォビア(恐怖症)」を訴える人も増えているのが現実だ。

入浴施設や大学の寮で発見されてから…

トコジラミは、大きさ5〜8ミリ程度で、1週間に2回程度人や動物の血を吸うことで生きる虫である。トコジラミに刺されると激しいかゆみに襲われ、発熱する場合もある。繁殖力が高く、いったん家に持ち込むと駆除しにくい厄介な害虫だ。

韓国では先月16日、ソウルの外港都市である仁川(インチョン)市の入浴施設でトコジラミが発見されたことが明らかになった。9月に当該入浴施設でトコジラミを発見したという情報がSNSに公開され、仁川市西区が点検を行った結果、実際に見つかった。施設側は8月頃からトコジラミが発見されたと話しており、発見後も1カ月以上営業を続けたことが問題となった。

その3日後の先月19日には大学の寮でトコジラミが新たに見つかったことが明らかに。

韓国の東南部にある第3の都市、大邱(テグ)市に本部を置く啓明(ケミョン)大学の在学生1人が「9月中旬、ベッドのマットレスからトコジラミとみられる虫が見つかった」と写真とともに大学のネット掲示板に書き込んだ。

この学生は、皮膚のかゆみ、蕁麻疹、発熱などの症状で受診したと訴えた。大学側が学生の部屋を調べたところ、ベッドのマットレスからトコジラミが発見された。大学の関係者によるとトコジラミが発生した部屋はイギリスからの留学生が夏休み中に滞在していた部屋だという。複数の専門家は、トコジラミが海外から流入した可能性が高いと分析した。

さらに10月下旬からは人口約1千万人が暮らす韓国最大都市ソウルでもトコジラミの発見が相次いでいた。11月2日にはソウルの賃貸住宅の部屋の壁やマットレスからトコジラミが見つかったほか、トコジラミが発見された部屋と近い別の3部屋からもトコジラミが確認された。多くの人が集まる施設はもちろん、一般家庭からもトコジラミが発見されると、もはや「安全な場所はない」と、トコジラミに対する「不安」が急速に広がった。

政府「トコジラミとの闘い」を宣言

前述の通りトコジラミは厄介な害虫であるものの、感染症を引き起こす可能性が低い虫とされ、韓国では「感染症の予防及び管理に関する法律」が定める有害害虫ではない。そのため政府にトコジラミの駆除などの対策を講じる義務はない。しかし、トコジラミが全国規模で発見され、社会問題になりかねない事態を受け、韓国政府は「政府合同対策本部」を設置(今月3日)、実態の把握と対応を急いでいる。

2014年以降の10年間で報告されたトコジラミ発見件数は9件にすぎなかったが、11月6日現在、政府の「合同対策本部」には全国17の自治体から30件を超えるトコジラミの発見情報が寄せられ、実際にトコジラミが確認されたのは17件だった。

人口が密集するソウル市も対策を急いでいる。ソウル市では、すでに25区のうち半数以上の17区でトコジラミの発見情報が寄せられている。ソウル市は緊急予算を編成し、宿泊施設などトコジラミの発見可能性が高い3175の施設に対する点検に乗り出した。

また、「オンライントコジラミ相談センター」を開設し、相談があった場合、直ちに保健所が現場に出動し、消毒や駆除を行うシステムを稼働している。ソウル市の関係者によると今月6日まで232件のトコジラミ関連の問い合わせがあったという。

政府や自治体が対策に乗り出し、大規模な防疫を行っている。また、寄せられた情報の約半数は誤通報だったことが明らかになっているが、トコジラミに対する不安の声は収まる気配がない。その原因となっているのが、SNSに多く見られる真偽が確認されていない「不安の声」だ。

「トコジラミは布で繁殖しやすいと聞いた。布素材の座席に座るのが不安で映画のチケットをキャンセルした」「段ボールにトコジラミが付着し、家の中にトコジラミが持ち込まれるのが不安でネット注文を控えている」などの声がSNSに多く寄せられている。「大学の授業をコロナ禍と同じくリモートに変更してほしい」という声もある。その中でも、多くの人が過敏に反応したのは、公共交通をめぐる書き込みだった。

「電車の席に座りたくない」という人も

「トレンチコートから1匹のトコジラミ発見」というタイトルの書き込みが人々の注目を集めた。

「外出後に服を脱いで机の上に置いたら1匹の虫がトレンチコートに付いていた。ティッシュで虫を潰したら血が出てきた。最近話題になっているトコジラミではないかと思う。どこで付いたのかわからないが、電車、KTX(韓国の高速鉄道)、そして地下鉄を利用して帰宅した」

この書き込みは瞬く間に広がり、公共交通にもトコジラミがいるのではないかと「公共交通を利用するのが怖い」という声が出始めた。こうした声に対し専門家は「トコジラミは照明が明るい場所を嫌うため、公共交通によるトコジラミ拡散、増殖の可能性は低い。恐怖心を抱く必要はない」と述べた(8日、YTNテレビ)。

しかし、不安は収まらず、「公共交通の利用をなるべく避けている」「席が空いていても座らないようにしている」という声が広がっている。実際、筆者の友人の1人は、地下鉄の定期券を払い戻し、しばらくの間自家用車で出勤するつもりだと話した。

こうした事態を受け、ソウル市は7日、地下鉄などの公共交通に対する防疫を強化すると発表。とくに、トコジラミが発生しやすい布素材の座席を重点的に点検・消毒する方針を明らかにした。さらに、布素材の座席を段階的にトコジラミが繁殖できないプラスチック素材にかえる方針を打ち出した。

政府は個人情報保護や風評被害を防ぐために、トコジラミの発見場所を公開しない方針である。一方、市民からの情報提供や報道、政府発表資料を元に、トコジラミの発見場所を地図上に表示、一目で把握することができる「トコジラミ発生情報アプリ」のサービスも始めた。このサービスによると、13日に現在ソウル市を中心に41カ所からトコジラミが発生している。

トコジラミを吸い込む掃除機が爆売れ

あちこちで見つかっているトコジラミは、消費にも影響を与えている。

トコジラミ対策関連商品の売れ行きが好調だ。韓国の大手通販サイトによると今月1日から7日までのトコジラミを吸い込むことができる掃除機の販売が740%増えた(前年同期比)。トコジラミの繁殖を防げるマットレスカバーの販売は110%、スチームクリーナーの販売は65%増加した。

株価も反応している。トコジラミ駆除用薬品関連企業の株価が値上がりし、1日で前日比29.75%値上がりした企業もある。

一方、ホテルなど、旅行業界は「ビンデミック」が旅行自粛につながるのではないかと神経を尖らせている。ある旅行代理店関係者は「予約キャンセルについての問い合わせや、宿泊先についての詳細な情報を求めるお客さんが増えている」と話した。

コロナ禍が落ち着き、人と物の移動が活発になっている中、トコジラミの拡散は再び人々の動きを萎縮させる要因になるのではないかと、韓国社会に不安が広がっている。ただ、トコジラミに対する漠然とした不安が誤った情報を生み出している側面もあり、注意が必要だ。