「中国化」と引き換えに発展する新疆ウイグル自治区 「何も言えないけど、分かってください」 目で訴えるウイグル族

北京で出会ったウイグル族の友人に導かれ新疆を訪れてから10年。この間、新疆ウイグル自治区は「教育施設への強制収容」「虐待、拷問」など中国の「人権問題」の象徴として世界の注目を集めていた。今回、JNN北京支局カメラマンとして10年ぶりに訪れた新疆で、私が見たもの。それは「中国化」と引き換えに発展する街並みと、沈黙を守る人々だった。

10年ぶりに北京支局カメラマンとして訪れた新疆 “変貌ぶり”に驚嘆

北京で出会った初めてのウイグル族の友人アクバル(仮名)とウルムチの夜を過ごしてから10年。今回、私はJNN北京支局のカメラマンとしてウルムチ、カシュガル、ホータンの3か所を取材で訪れた。この間新疆ウイグル自治区の何が変わったのか、自分の目で確かめたかった。

2017年以降、欧米諸国は中国政府がウイグル族を再教育施設へ強制収容していると厳しく批判。ウイグル族は中国の人権問題の象徴ともいえる存在になっていた。

中国政府は外国メディアに新疆の現状を見せたくないのか、記者が新疆に入るとたちまち公安関係者に尾行され、取材を妨害される、という状況が続いていた。

しかし、今回私たちは取材を妨害されることもなく、行きたいところに行き、撮りたいものを撮影することができた。

観光地には大量の漢族の旅行客が押し寄せ、漢族の観光客相手にウイグル族の店員がにこやかに商売をしていた。そこに、民族間の緊張は感じられなかった。

10年前にも訪れたウルムチの街は、急速に発展していた。林立する高層ビルを目の当たりにし、同じ街に来たのか分からなくなる程の変貌ぶりに驚嘆した。

街行くウイグル族の若者をつかまえて「漢族とウイグル族の争いはもう無いの?」と聞くと、「当たり前でしょう。ウイグル族だって中華民族なんだから、みんな仲間です」と中国語で淀みなく話した。

制限の無い取材環境、発展した街なみ。両民族の友好的な共存を目の当たりにして、10年前アクバルが打ち明けてくれたウイグル族の中国における立場はここ数年で変わってしまったのか、と煙に巻かれたような気持ちになった。

「上の人はモスクを開けさせたくないのよ」 新疆の裏側にある“違和感”

しかし、数日間街を歩き、つぶさに観察すると10年前と違う点に気が付いた。

一つは女性の服装だ。

10年前に撮影した写真を見返すと、ほとんどのウイグル族女性イスラム教徒が習慣的に着けるヒジャブと呼ばれるスカーフで頭を覆っているのに対し、現在では年配の一部の女性を除いてほとんどつけていなかった。

モスクにも変化が見られた。

10年前はどこの街角でもモスクを見ることができ、礼拝をするイスラム教徒の姿が印象に残っていた。しかし、今回カシュガルでは街の中心部にある観光地化した大きなモスク以外、小さなモスクはほぼ閉鎖されていた。

ある高齢のウイグル族の女性は小さな声で「上の人はモスクを開けさせたくないのよ」と話し、私たちに向かって人差し指を口の前に立て「シー」というジェスチャーをした。彼女が立ち去る姿に、ウイグルの人たちが置かれた状況を想像せざるをえなかった。

閉鎖されたモスクの隣に住む男性と話をした。はじめは「知らない」と言葉少なだったが、打ち解けてくるにつれ、思い切って何かを話してくれそうな様子を見せ始めた。

「私はただ平穏に暮らしたいだけなんだ」

周囲で誰か聞いていないか。誰も見ていないか。そんなそぶりをし始めた彼は、ふと私の持っているカメラに目を止めた。

「まさかそれで今撮影していないだろうな?」

私は「撮っていない」と答えたが、彼が話を続けることはもはやなかった。動揺した彼は頭から汗を吹き出しながら「私はただ平穏に暮らしたいだけなんだ。余計な面倒には巻き込まれたくない」と言って、私たちを部屋から追い出した。

彼が何を伝えようとしたのか、今となってはわからない。しかし、彼の仕草、あの動揺ぶりが、何よりも雄弁にウイグル族の現状を物語っていたように思えた。

「ウイグル語を話してはいけない。そういう決まりがあるんだ」

ウイグル族の若者の中国語能力の向上も実感した。10年前に訪れた際は、若者であっても簡単な中国語しか通じなかった。しかし、今回の訪問ではタクシー運転手やお土産店の店員と、中国語でスムーズなコミュニケーションをすることができた。中国語が話せないと仕事に支障がでるため、幼稚園から中国語を学ぶそうだ。

小学校を訪れると教室からは生徒が中国語の文章を読み上げる声が聞こえた。校庭でサッカーを楽しむウイグル族の小学生に話を聞くと「学校では先生も生徒もウイグル語を話してはいけない。そういう決まりがあるんだ」と話した。口をつぐむ大人たちに反して、子どもはあっけらかんとウイグル族の置かれた状況を教えてくれた。

また、私たちはウイグル族を強制収容し、中国語教育や共産党思想教育などを強いていると国連などから指摘された「再教育施設」とされる場所を10箇所以上訪れた。有刺鉄線や高い塀など異様な特徴をもつ建物を見ることができた。

近所の住人は「以前はそうだったが、既に施設は無くなった」とだけ話した。以前施設に両親が収容されていたと話すウイグル族の男性とも出会った。「2年近く両親が収容され中国語を学ばされた」と打ち明けてくれたが、それ以上多くを語らなかった。

「何も言えないけど、分かってください」 目で訴えるウイグル族

モスクや中国語教育、再教育施設など政治性を帯びた話に及ぶと、途端に口が固くなるウイグル族の人たち。彼らにとって政治的な話題を口にし、誰かにそれを聞かれるということは自身だけでなく家族や親戚を危険に巻き込むタブーなのだ、とこの取材中何度も思い知らされた。

物言えぬ中国社会の中で彼らはYesともNoとも言わず、いつも私たちに目で訴えかけてくるのだ。「何も言えないけど、分かってください」と

その目を見るたび、10年前出会ったウイグル族の友人アクバルがウルムチで政治的な話題に触れた私に話した「どこに私服警察官がいるか分からないから、政治的な話はここではやめてくれ」という言葉と強張った顔が何度も思い出された。

この10年、経済的な発展を遂げ、ウイグル族の人々の暮らしぶりは豊かになったように見えた。しかし、その発展は、ウイグル民族らしさやイスラム色の強い文化を手放し、中国化を受け入れることと引き換えなのだと改めて思い知らされた。

今回、新疆に行くにあたって、久々にアクバルに連絡をしてみたのだが連絡はつかなかった。彼がいまどこで何をしているのかはわからない。

10年前、私を新疆に導いた彼は、ウイグル族が置かれた今の状況についてどのような想いを抱いているのだろうか。

いつかまた北京のあのバーで、ビールを飲みながら聞いてみたい。