『君主論』が説く、リーダーに求められる振る舞い

ニコロ・マキャベリ : 政治思想家

2023年03月27日

リーダーに求められるのは優しさか、それとも厳しさか。リーダーの手引書として500年読み継がれる古典「君主論」。現状に不満を抱く民に対して、君主の振る舞い方いかんで「寝首をかかれる」か「ついていきたいと思われるか」はっきり分かれる様が描かれています。

ビジネスシーンのマネジメントに読み替えられる第3章を、『すらすら読める新訳 君主論』より抜粋します。

変えていいものといけないもの

新しい国を手に入れたことによって、新旧の領土をあわせもつ混合型の国について話そう。そこでは、すべての新しい組織に共通する困難のせいで政変が起きる。共通する困難とは、「リーダーを変えさえすればすべてがよくなっていく」という民衆の思い込みだ。

民衆は武器を手にそれまでの支配者に刃向かうが、そうすればよくなるというのは思い違いに過ぎない。人々は結局のところ、すべてが以前より悪くなっただけだと知ることになるだろう。

新しい領土を獲得して、元の領土に併合するといっても、両方の領土が同じ地域にあって人々が同じ言語を持っている場合とそうでない場合では話が別だ。

前者の場合、とくにその地域の人々が自由な生活に慣れていないときには、新しい領土を保持しつづけるのはとてもたやすい。これまでの君主の血統を絶えさせてしまうだけで、その領土は確実にわがものとなる。風習に大きな違いがない限りは、あとはこれまでの状態を保てるようにすれば、人々は平穏に暮らしていけるからだ。

長年にわたってフランスに併合されてきたノルマンディーなどがこの例である。この地方では言語に多少の違いがあったとしても風習が似ているため、お互いがお互いをすぐに受け入れられた。

新しいリーダーは、以前の統治者の血統を絶やすことに加えて、住民たちの法律や税制を変えないようにすることも必要だ。これらさえ守れば、新しい領土もすぐに古くからある領土と一体化していく。

一方、言語も風習も制度も違う地域の領土を手に入れると、それを維持するには大きな幸運と努力が必要になる。この場合のもっとも効果的な策は、トルコがギリシアに対して行ったように、新たな君主自らがその領土に移り住むことだ。

トルコの君主は、たとえ他にどんな策を講じたとしても、自らそこに移り住まなかったならば、ギリシアを統治しつづけられなかったはずだ。

現地に住めば、不穏なことが起こりそうなときには、察知してすぐに対処できる。しかし、遠くにいたら、事態が大きくなってから知り、手遅れになる。

さらに君主が住んでいれば、その地域を任せた重臣たちにその地を奪われることもない。君主に従順な住民たちは、君主がそばにいればすぐに訴えを聞いてもらえるので安心でき、従順でない者たちは、反対に君主を大いに恐れることになる。そうなれば、外部から攻め入ろうとする者も、より慎重にならざるを得ないだろう。

つまり、君主が新しい領土に住んでいれば、やすやすとその国を奪われることはないのである。

「寛容」か「抹殺」か一本化する

もう1つの効果的な策は、新しい領土の拠点となる1、2箇所に移住民を送り込むことだ。そうしなければ、多数の騎兵や歩兵を駐屯させることになり、莫大な費用がかかる。

移住民を送ってそこに住みつかせれば、君主はまったく、あるいはわずかしか費用を負担しないですむ。移住民によって田畑を取り上げられる者(地元民)も出てくるが、それはほんの一握りにすぎない。その人たちはばらばらになって貧困に陥るので、結局、君主にとって危険な存在になることはない。

それ以外の人たちは損害を被らなかったので、新たな君主に従順になり、さらには、自分たちも下手なことをすれば略奪されてしまうのではと怯えて、おとなしいままだろう。つまり、拠点に送られた移住民は君主により忠実で、元からいた住民を傷つけることもあまりなく、略奪された人々も貧困に陥ってばらばらになるので、君主を害することがないのである。

ここで一つ大事なことがある。民衆に対しては、優しくするか、あるいは抹殺するかのどちらかにしなければならない。というのも、人間は軽く傷つけられたときには仕返しをしようとするが、大きなダメージを受けると復讐できないからだ。

風習・言語・制度が違う地域に移りこんだ君主は、近隣の弱小勢力集団の長および庇護者となって、その地域の強大な勢力を抑え、たとえ不測の事態が起こっても、自分と同じぐらい強い外部勢力が入り込んでこないよう警戒しなければならない。

とてつもない野心や恐怖心から不満を抱く人たちは、外部勢力を領土の中に引き入れようとするものだが、そういう危険は常にあると考えるべきだ。その昔、アイトリア人がギリシアにローマ人を引き入れたのもその例である。ローマが侵攻に成功した地ではどこでも、現地の住民がローマ人を導き入れたのだ。

さらに、強大な外国勢力が入り込んでくると、その地域の弱小勢力は、これまで自分たちを支配してきた君主への恨みや憎しみに駆られて、新たな勢力の側につくことになる。つまり、新たな権力者は弱小集団を簡単に手中に収めることができるのだ。

他者に権力を与えた者は自滅する

ただし、そうした弱小集団が力や権限を持ち過ぎないように注意しなければならない。そうすれば、新たな君主は自らの力に弱小集団の支援を合わせることで、他の勢力を次々に弱体化させ、その地の完全な支配者となれるだろう。

だが、こうした策をとれない者は、手に入れた地をすぐに奪われる、あるいはたとえその地を保持したとしても、多くの問題や厄介ごとにわずらわされることになる。

ローマ人は攻略した地において、この掟どおりの行動をとった。移住民を送り込むとともに弱小勢力を手懐けてその力が増大しないように抑えこみ、強大な勢力は叩き、外部勢力が入り込むすきを与えなかった。

例えばギリシアでは、ローマ人は、アカイア人やアイトリア人を味方につけ、マケドニア王国を打ち負かし、セレウコス朝の王を追放した。しかし、アカイア人やアイトリア人に功績があったからといってそれらの勢力を拡大させることはなかった。マケドニア王が言葉巧みに近寄ってきても、その勢力を弱体化させてからでないと味方になろうとはしなかった。ローマ人は、懸命な君主がすべきことをしたのである。

つまり、明君たるもの、目の前の紛争だけでなく将来に備えて万全の対策をとっておかなければならないのだ。

早くから予見していれば容易に対処できるが、目の前に近づくのを待っていては手遅れになる。医者もよくこう言うではないか、「初期段階の肺病は発見は難しいが、見つかれば治療はやさしい。ところが、遅くなればなるほど、簡単に発見できるが、治療は難しくなる」。国を治める場合にも同じことが起きる。

その国に生まれた病を早期に発見できればすぐに治すことができるが、反対に発見が遅れて誰の目にもわかる段階まで放置してしまうと、手の施しようがなくなるのである。