(譚 璐美:作家)

 2月24日未明、ロシアがついにウクライナへ侵攻した。

 それに先立つ23日、台湾の蔡英文総統は、「ロシアによるウクライナへの主権侵害を非難する。関係各国に対し、平和的かつ合理的な手段によって紛争を解決するよう引き続き求める」と述べる一方、目下の台湾情勢に触れて、「台湾社会の士気をそごうとする外部勢力の試みに直面しており、全政府部門が認知戦に対し警戒を強めなければならない」と述べて、台湾海峡周辺の軍事動向の監視の強化を指示したことを明らかにした(AFP 2月23日付)。

 ロシアのウクライナ侵攻が、そのまま中国の台湾侵攻の姿と重なって映るのは、台湾ばかりではない。日本や米国、アジアの国々も同じことだろう。

 しかし、とりわけ台湾が警戒するのは、「外」からの攻撃と同時に「内」からの攪乱工作のせいだ。ウクライナでも以前からロシアの工作員による攪乱が行われてきたというが、台湾も同様なのだ。蔡総統が指摘する「台湾社会の士気をそごうとする外部勢力の試み」、つまり、台湾内部にはびこる中国共産党スパイによる特務工作が極めて深刻な状況になっているのである。

スパイ容疑で逮捕・有罪となる軍の現役幹部やOBがぞろぞろ

 ロイター通信(2021年12月20日付)によれば、中国共産党のスパイは台湾軍に深く浸透し、あろうことか、蔡英文総統の身辺警護に当たるシークレットサービスからも中国共産党のスパイが摘発されたという。

 ロイターは「T-Day台湾侵攻」(T-Day:The Battle for Taiwan)と題して一連の調査レポートを公表した。91ページに及ぶ「台湾有事 6つのシナリオ」(2021年11月5日)に続いて、「(中国による)謀略の島」(2021年12月20日付)では、中国共産党のスパイがいかに深く台湾軍部や政府など各階層に浸透しているかをレポートした。

 同レポートによれば、過去10年間に少なくとも大尉以上の現役軍人と退役軍人21名がスパイ容疑で逮捕・有罪判決を受けた。そして今も、少なくとも9名の警官が中国共産党のスパイに情報提供した容疑で逮捕され裁判中だという。

 中国は目下、共産党スパイを台湾へ浸透させ、台湾の防衛計画と最新鋭兵器の情報を収集し、政治家や軍高官、国民の戦闘意欲を削ぐことに力を注いでいるという。

 台湾国防部のスポークスマンは、「台湾軍は機密情報の漏洩を防止し、長年、軍人や公務員教育を実施して警戒を強めてきたが、中国共産党のスパイは至るところに潜んでいる」として、「多くのスパイ事件では、しばしば軍内部から通報を受け、調査の段階でも安全に制御できる範囲内であり、未然に情報漏洩を防ぐことができたので実質的な損害はない」と述べている。

 だが、残念ながら機密漏洩が防げなかったケースもある。

総統の身辺警護官まで

 2021年7月に発覚した謝錫章事件は、「史上最大のスパイ事件」と呼ばれた大規模な大規模な情報漏洩事件だった。香港のビジネスマンを騙る中国の陸軍大尉の謝錫章は、22年にわたり台湾を訪問し、ターゲットと見定めた相手に金銭やプレゼントを贈って諜報ネットワークを築き、台湾のミラージュ戦闘機やレーダーステーション等に関する軍事機密を手に入れた。謝錫章事件で逮捕された台湾軍人の中には、元空軍少将の銭耀棟、元中佐の魏先儀ら、多数の元高官の軍人の他に、前国防部副部長の張哲平も含まれていたことから、台湾社会に大きな衝撃が広がった。

 蔡英文総統の身辺警護を担当していたシークレットサービスの王文彦事件は、最高機密である蔡英文の活動日程や警備担当者の各種資料の情報漏洩事件だ。王文彦の叔父は李登輝総統時代には憲兵だったが、退役後に中国共産党にリクルートされて情報提供者となった。王文彦は思想的にも蔡英文反対派であったことから、叔父を介して中国共産党スパイと通じたようだ。それが発覚し2人とも逮捕され、現在服役中である。

「二つの中国」主張する蔡英文総統誕生をきっかけに中国の諜報活動がより活発化

 少し古い報道になるが、BBC(2017年3月15日付)によれば、この年の3月13日、民進党立法委員の羅致政は記者会見で、「台湾では近年55件のスパイ事案が発覚した。共産党のスパイはすでに軍隊、政府、企業など各分野に浸透しており、人権保護の前提の下で、国防と機密保護を強化しなければならない」と述べた。

 ちようど、3月10日に台湾国立政治大学の留学生で中国籍の男性が、スパイ容疑で台湾当局に身柄拘束されたばかりの時期だ。

 2017年当時、中国共産党のスパイはすでに横行していた様子で、台湾立法院国防事務委員会主席で民進党立法委員の王定宇も、「中国のスパイは学術研究者、ビジネスマンなどと身分を偽り、台湾へ潜入している。北京は台湾社会を内部から混乱に陥れようとしている」(同3月18日付)と語っている。

 中国共産党のスパイの中には、結婚して台湾へ来る者や、研究者、ビジネスマンを偽り、台湾社会の各職種に浸透して、台湾の軍人や公務員を情報協力者にリクルートするのである。現在、共産党のスパイは5000人にのぼるという推定もあるほどだ。

 だが、台湾で中国共産党のスパイが横行するのは、今に始まったことではない。

 中国共産党と国民党の関係は古い。1920年代から政敵として内戦をくり広げ、1949年に共産党が勝利して中華人民共和国を樹立すると、国民党は台湾へ避難して国民政府の旗印を上げた。それ以来、「両岸関係」、つまり台湾海峡を挟んで、中国と台湾の間には緊張関係が続き、スパイ活動でもしのぎを削ってきた。

 1990年代になると、当時の馬英九総統率いる国民党政権が対中親和政策を取り、「両岸関係」が改善されて交流が盛んになった。台湾から中国への里帰り、台湾人と中国人の結婚、留学、企業経営などが活発になり、2008年には中国人観光客が100万人も台湾へやって来た。その人的交流の波に紛れてスパイ活動もやりやすくなったようだ。

 2017年、国民党政権が倒れて、自由と民主主義を掲げる蔡英文総統率いる民進党政権が誕生すると、台湾では独立の期待感が高まった。すると今度は、それを警戒した中国が台湾情報の入手に躍起となり、諜報ネットワークの組織化に一層力を入れるようになったのである。

 さて、「美人スパイ」の名を馳せたのは浙江省出身の林偉である。1991年に台湾の企業家と結婚して台湾に居住し、1997年に台湾籍を取得した。彼女は、2001年に空軍を退役して研究機関でロケット研究をしていた黄正安と知り合い、親しくなった。黄正安は林偉を通じて、中国軍に700万ドルで台湾の軍事機密を売り渡した。黄正安の元妻が当局の尋問を受けて白状したことから全貌が明るみになった。おそらくハニートラップなのではないか。逮捕された黄正安は軍事機密漏洩罪で禁固8年、林偉は懲役7カ月の有罪判決を受け、後に3カ月半に減刑された。

スパイ取り締まりのための法整備も進展

 それにしても、これほど重大な情報漏洩事件にも関わらず、あまりにも刑期が短すぎるのではないだろうか。

 実は、これまで台湾には国家安全保障のための軍事法廷が存在していなかった。そのため、スパイ事件が発覚して逮捕されても、一般の刑事事件や民事裁判と同じように扱われ、その結果、有罪判決を受けても刑期が軽いということになってしまう。

「これでは国家の安全保障の上で、効果的な抑止力になっていない」と、嘆く研究者もいるほどだ。

 昨年、台湾民進党の羅致政立法委員らは、「国家安全法」に関わる法律の改定と、国家安全保障のための軍事法廷の設置を提起した。間もなく法整備がされることだろう。

 安全保障は国家の一大事だ。中国の軍事侵攻による脅威が増している今日、機密漏洩はまさに命取りで、同盟国との情報共有や兵器開発にも著しい支障をきたすはずである。

「外」からの攻撃を警戒するだけでなく、一刻も早く「内」からの攪乱工作への防止対策を強化すべきだろう。