元受刑者の出所後10年間を追跡した調査によれば、殺人罪で服役し、また殺人の罪を犯す者は1%に満たない。最も重大な犯罪だが、ほとんど一回完結型といえる。これに対し「魂の殺人」と呼ばれる性犯罪の同種再犯率は15・6%に達した。被害者の身体のみならず心の奥底まで深く傷つけ、ときに自殺という形で間接的に死に追い込む性犯罪。その卑劣な衝動を抑えるすべはないのか。必要なのは内面にアプローチする「治療」だが、日本では議論さえ進んでいない。

 

ジキルとハイド

「性犯罪の再犯をなくすための社会的な活動を今後していきたいという思いがあって、その話も母にしました」

「樹月カイン」なるペンネームで活動していた男(48)は、月刊誌「創」(平成30年11月号)が企画した座談会で、将来の展望をこう語っていた。

性犯罪で13年間服役し、当時は出所したばかり。刑務所で再犯を防ぐための「性犯罪者処遇プログラム」(処遇指標の符号から『R3』の通称で呼ばれる)を受講した体験を語り、「私の場合はR3だけじゃなく個人的に10年間それなりの訓練を続けてきた」と、性衝動のコントロールに自負心すらのぞかせていた。

しかし昨年7月、男は20代女性に対する強制性交容疑で逮捕される。高額の金銭援助を持ちかけて性行為に及んだ後、隠し撮りした画像をネット上にばらまくと脅し、さらなる性交を強いる悪質な手口。自ら「うずしお先生」と名乗り、援助のやり取りをしていた女性は200人超に及んだ。

実際に性犯罪者の社会復帰支援団体まで立ち上げた「樹月カイン」と、その裏で性暴力に及んでいた「うずしお先生」という2つの人格-。数多(あまた)の死刑囚や犯罪加害者を取材してきた「創」の篠田博之編集長をして「まさにジキルとハイド」と困惑させた。

男の言葉に再犯を絶つ覚悟を感じていた。今もその思いは変わらない。「性欲が強いからという単純な問題ではない。薬物事犯や窃盗犯にみられるような依存症に似ていると感じる」

処遇の限界

男が受講した「R3」は心理療法の一種である認知行動療法をベースとしたプログラムだ。何が性的衝動を呼び起こす「引き金」となるかを知り、例えば「女性も喜んでいる」といった性犯罪者特有の認知のゆがみを修正する。そして日常生活の中で「引き金」を避け、遭遇してもコントロールする技術を学ぶのだ。

再犯者が引き起こした平成16年の奈良小1女児誘拐・殺害事件を機に18年に導入された。厳罰化だけで加害の連鎖を絶てないと思い知らされた法務省は、刑を執行する場でしかなかった刑務所内での「治療」にようやく踏み込んだ。

実際、R3受講者の出所後3年間の再犯率は非受講者を7・5ポイントも下回るなど一定の効果を挙げてはいる。だが認知のゆがみや引き金への対処法をいくら頭で理解しても、犯罪への衝動はときにそれを超える。「うずしお先生」の存在が意味するのは刑務所内処遇の限界に他ならず、その一例にすぎない。

「治療は可能」

こうした衝動に対抗するため、認知行動療法と合わせて海外で導入されているのが薬物療法(化学的去勢)だ。男性ホルモン(テストステロン)を抑制する抗アンドロゲン薬を用い、性的欲求を思春期以前の水準まで低下させる。性衝動の根底にあるテストステロンをターゲットにするため性犯罪者の再犯防止に「最も効果的」ともいわれる。効果は一時的で、時間がたてば性欲は回復する。海外では裁判所による治療の義務付けや本人同意に基づく投与を法制化している。

ただ薬物だけに、体重増加や血圧上昇など副作用もある。国際人権団体は、強制的な化学的去勢について「残酷かつ非人間的」と反対する声明を出している。

確かに人権を制約する側面はあり、日本で採用するには立法措置が欠かせない。法務省の研究会は18年の報告書で、先のR3をベースとしつつ、薬物療法も「新たな可能性」に挙げたが、国内議論はそこでほぼ停止している。法務省関係者は「人権の問題も含めて超えなければいけない壁が多すぎる。まったく必要ないとはいえないが、優先順位としてはずっと『検討課題』のままだ」と明かす。

こうした現状について「日本の加害者対策は世界より30~40年遅れている」と指摘するのは精神科医の福井裕輝氏。これまで性的な問題を抱える5千人以上を診察した。福井氏は認知行動療法をベースに場合によっては薬物療法も併用。患者の再犯率は3%以下に抑えられているという。

福井氏が訴えるのは医療環境の乏しさだ。出所後も治療のメインとなるのは認知行動療法だが、刑期終了後の受診は任意。受け入れ可能な医療機関は限定される上、薬物療法も含めて保険適用外のため、費用も全て自己負担となる。

福井氏は治療を受けやすい環境の整備を求め「国は新たな知見を積極的に取り入れ、性犯罪者の治療は可能という認識を広めるべきだ」と強調した。

最新の犯罪白書によると、令和2年の全刑法犯の49・1%が再犯者だった。人権擁護を叫び、精神的な支援に終始しても再犯率は減らない。犯罪の根源たる衝動と向き合い、真に有効な手立てとは何か考える。