新型コロナウイルス感染拡大の「第6波」で新たに13都県に「蔓延(まんえん)防止等重点措置」が適用され、行政や企業などは改めて対応に追われている。約2年にわたる「コロナ危機」で、何度も繰り返されてきたパターンだが、旧建設省(現国土交通省)時代から災害対策や危機管理などに取り組み、国交省の技術系トップである技監を務めた大石久和氏は「感染者数の増大に動揺せず、柔軟な危機対応をすべきだ」と主張。憲法に緊急事態条項を設け、国の危機対応の法的基礎を整備する必要性を訴えている。

 

危機とともに生きられない日本人、意識改革と憲法改正の時だ

新型コロナ感染拡大の収束は何より大事だが、同時にせっかく軌道に乗りつつある経済活動の正常化も止めるわけにはいかない。これまでも緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置は繰り返されてきたが、今回は感染対策と経済正常化の両立を重視すべき局面だ。

 

いま中心といわれるオミクロン株の感染力は強いが、それに動揺してはいけない。現時点では重症化する割合はこれまでのウイルスより低いとみられているし、どうしたら過度な行動制限や自粛を行わずに済むか柔軟に考えるべきだ。

危機管理で重要なのは、多面的に物事をみること。せまい観点にとらわれると失敗する。例えば東日本大震災の発生直後、当時の民主党政権は大地震と津波の一次的な被害、原発事故対応に追われ、災害対策基本法の定める「災害緊急事態」の布告の議論まで頭が回らなかった。もし布告されていれば政府の指導力はより高まったし、物資の融通などもよりスムーズに行えたはずだった。

また、後先のエネルギー事情を考えず日本中の原発を停止するなど極端な対応に走った結果、中長期的な日本のエネルギー政策は不安定になった。リアリズムを喪失した対応が国益に大きな害をもたらした。

一連の「コロナ危機」を振り返ると、日本では神経質なほどに反応するわりには、有効な対策が後手に回る場面が少なくなかった。例えば、初めに感染が急拡大したときも欧米のロックダウンのような措置を講じることができなかった。一方で欧米は感染拡大をみるや否や、ロックダウンという厳しい行動制限をかけたが、状況が落ち着いてくると、感染者が日本よりもはるかに多くても制限を緩和し、マスクなしの自由な生活すらも認めた。

背景には日本と世界の歴史の違いもある。欧州や中国は、諸都市が自分たちの町を城壁を囲って外敵から守り、その中で日常生活を送るという「城壁都市」の歴史的経験を持つ。自分たちが常に危機とともに生きているという意識が根付いている。日本人にそうした意識が希薄なのも、やむを得ないところもある。

しかし、だからといって、このままではいけない。日本では憲法に緊急事態条項すらないのに、その憲法が全く改正されない。危機のたびに混乱が繰り返されるようでは国家の存立は危うい。日本人は意識改革をすべき時だ。

大石久和(おおいし・ひさかず) 昭和20年生まれ。京都大大学院工学研究科修士課程修了。旧建設省入省、道路局長や国交省技術系トップの技監などを歴任。現在、全日本建設技術協会会長、国土学総合研究所長。最新の著書「新版 国土が日本人の謎を解く」(産経新聞出版)では、コロナ危機を前にした日本の問題点も論じられる。