From 竹村公太郎@元国土交通省/日本水フォーラム事務局長


1、近代化は沖積平野へ

幕末、欧米列国が
鎖国する日本に迫った。

日本は開国し、富国強兵の旗印の下に、
近代国家に変身しなければ
ならなかった。

近代工業の勃興と発展には、
広い土地と労働力が必要であった。

原料の輸入と製品の輸出に頼る工場は、
海に近い沖積平野に建設されていった。

工場に全国から人々が集められ、
沖積平野に住宅地が
スプロール的に増殖していった。


図ー1

(図ー1)は、過去100年間の
東京の土地利用の変遷である。

100年前は田畑が90%だったが、
現在は田畑は消え、
都市部が90%となってしまった。


2、沖積平野は湿地だった

日本人はこの都市に集中した。

そして、力を合わせて日本を
世界最先端の近代国家に変身させていった。

ところが、日本の
社会制度や産業経済は近代化したが、
日本列島は変わったわけではない。

江戸時代、この沖積平野は湿地であった。

人々は湿地に広がっていた
ヤワタノオロチのように
乱流していた川を堤防の中に
押し込めていった。

しかし、その堤防の下には
今でもヤワタノオロチは住んでいる。


写真ー1

(写真―1)は、湿地で
稲作をしていた昭和年代の
日本の農業である。

日本の近代文明は、
洪水に脆弱な沖積平野の上に
形成されてしまった。

日本の近代化が湿地帯の上で
発展したことに、
欧米列国は不思議な思いで見ていた。


図ー2

(図―2)は、欧米に発信された
日本の明治時代の風刺画である。

日本とはなんと面白い国なんだ、
歩いていると水の中に入って行ける、
と皮肉っている。


3、21世紀の近代化日本

近代化における沖積平野への
産業と人口の集中は、
急速な経済発展にとっては
効率的であった。

沖積平野へ資金と知恵と若さを
集中化することによって、
日本は世界史最後の
帝国国家に滑り込んで行った。

しかし、その近代国家の日本は
危険な国土利用の上にあった。


図ー3

(図―3)は、現在の日本の
国土利用状況を示している。

中央の棒グラフは日本の国土で、
67%が山地、20%が安全な台地。

10%が洪水が氾濫する
沖積平野などの低平地である。

その10%の低平地に
50%の人口が集中し、
75%の資産が集中してしまった。

この低平地の沖積平野は、
海からの高潮と、
河川からの洪水に極めて脆弱である。

この低平地は海岸と
河川の堤防で守られている。

それら堤防の向こうには、
狂暴な高潮と、狂暴な洪水が
虎視眈々と私たちを狙っている。

その堤防の下は、かつて海の砂浜であり、
かつては湿地の旧河道である。

この堤防の下のどこから
水が噴き出すのか分からない。

世界を見渡しても、
このような危険な国土に
文明を創ってしまった
先進国は日本だけである。

日本にとって、治水は
国の存続をかけた
宿命となってしまった。

(次回『地球の温暖化』に続く)