人生の最後に必要な過程 | こんな娘でごめんなさい

こんな娘でごめんなさい

            

末期癌の父を看取った後は、認知症の母の在宅介護を5年。
現在母は脳出血で入院中で、このまま病院で暮らすことになりそうです。
私自身も遅れてやってきた介護ダメージと戦いながら、日々新しい人生の準備中~。

ハハヨちゃん、脳出血で入院した当初はまだ左手を自由に動かせていたので、

 

勝手に酸素マスクをはずしてしまって”ミトンの刑”に処されていました。

 

でも、いつからか自力で左手を動かすことはなくなり、

 

私がお見舞いに行ったときに手を握るため、肘から下を持ち上げる程度。

 

一応週2回、各20分のリハビリは行ってくださっていますが改善を目指すものではなく、

 

あくまでも関節が固くなってしまうのを防ぐための現状維持的なもの。

 

 

ところが最近、時々だけど自力で少しだけ左手を動かすようになりました。

(右手は完全に麻痺したままですけど)

 

私が帰りそうになると、まるで「え?まだいてよ」と言わんばかりに左手をバタバタと動かしますおねがい

 

 

この調子なら、

 

「五十音を書いたボードを作ってあげたら、文字を指させるようになるんじゃない?」

 

と、一瞬期待をしてみたものの・・・

 

うっかり、

 

「ぞ・ん・び・ち・ゃ・ん・に・あ・い・た・い」

 

なんてなぞられた暁には罪悪感に押しつぶされそうなのでやめておこうチュー

 

いや、百歩譲ってゾンビはいいとして、恐怖なのは、

 

「は・や・く・し・〇・た・い」

 

と、なぞられること。

 

恐らく今の環境では前向きな言葉など出てこないと思います。

 

皮肉にも、話せないことが幸いしている部分もあるのですね。

 

 

物が口から食べられない悲しみ。

(その代わり窒息や誤飲性肺炎のリスクが減る)

 

体を自由に動かせない苦しみ。

(代わりに転倒することもない)

 

言葉を伝えられないはがゆさ。

(訳のわからないことを言ってまわりを振り回さずに済む)

 

 

どれもかわいそうだと思うけれど、旅立つ前には必要な過程なのかも知れません。

 

諦めるのではなく、

 

本人も、そして家族も、徐々に現実を受け止められるから。。。