「それくらいやってよ」
さぁ、この発言をしたのは私でしょうか?
それとも母でしょうか?
答えは・・・
母 です
以前に、とうとう母がトイレの失敗をしだしたとブログに書きました。
一時的なものならいいな~と祈るような気持ちで様子を見てましたが、
どうやら・・・一時的ではなかったようです。
ただ、あの日以来、
夜に寝る時だけ紙パンツをはいてもらい、防水シーツも敷いているので、
後始末は全然楽ですけどね。
それよりも何が嫌って、粗相をすると母が攻撃時になること。
とうとう自分にも紙パンツが必要になってしまって戸惑うのはわかるのですが、
なにせ、自分が飲んでる薬をまったく把握してくれないので、
下剤を飲んでる という自覚がまるでないんです。
今朝も第一開口が、
「私の体おかしいの。病院に行くっ」
でした。
「昨日の夜に下剤を飲んだから、なるべくしてなったんだよ。
病院に行っても、下剤の量を調整してみてくださいって言われて終わりだよ。
とりあえず、今週の水薬(下剤)は6滴から5滴に変更して作るから様子をみよう。」
と言いました。
ただこれは、母が眠ると便意に気付けなくなったことがそもそもの原因なので、
根本的な改善にはならないんですけどね
そして、ここで母の問題発言が登場します。
「病院くらい付き合ってくれたっていいじゃないそれくらいやってよ
」
と。。。
うわ~この人、とうとうこれ言っちゃったよ。
自分の病気でもないのに、長い診察待ちに付き添う辛さ。
受付・診察・薬・会計、母の名前が呼ばれれば私が飛んで行く。
病状の把握、薬の把握、緊急時の対応、気が抜けない。
母はこのことをきちんとわかっていた人だったのに・・・
認知症という病気が言わせた言葉だと信じたい。
信じたいけど、
ちゃーんと自分の欲求には頭が働くんですよね。
前回の失敗があった後、すぐに水薬(下剤)を6滴から5滴に変更したんです。
そしたら今度は出なくなったみたいで、
朝の4時に起こされて「便が出ないから下剤を追加してほしい」と。
でも下剤っていうは、寝る前に飲んで朝効くのが普通なので、
「朝までもう少し様子をみてみようよ。下剤は速攻で効くものじゃないから、
むやみにたくさん飲み過ぎるとトイレから出れないくらいひどい事になっちゃうよ」
と説明しました。
そして母は「そう。。。もらえないのね」と言ってすごすごと1階に降りて行きました。
てっきり理解してくれたんだと思った。
なのに、
なのに、、、
母は、お薬カレンダーに入ってる先の分の水薬を勝手に飲んだんです。
私が朝起きてもその事を告げず、
たまたま私が「きちんと朝の薬を飲んだかな~」とお薬カレンダーをみた時、
先の日の分の水薬容器がカラになってるのを発見して気付きました。
「やりやがったな」
という気持ちと、
「ほ~そこまで考え付いたか」
という気持ちが複雑に頭の中でグルグルしてました。
でも、やっぱり悲しかった。
寝てる時に起こされることは、末期がんの父の介護をしていた時で慣れてるから、
きちんと優しく対応したつもり。
無視したとか、嫌そうに対応したなら、勝手な事をされても仕方ないけど、
誠意をもって対応しても平気で自分の欲求を優先するようになったのかと。
裁判の前の日でピリピリしてたし、怒りを抑えるのが本当に大変だった。
その事があったから、「じゃあ、また6滴に戻すね」となったのに、
今週はまた5滴に減らすいう不安ループ。
5滴と6滴をいったりきたり。
とりあえず母には、
「今週は訪看さんが来るから、いろいろ相談してみようよ。
病院に行くのはそれからでもいいでしょ?
下手に行くと、念の為大腸検査でもしておきますか?とか言われちゃうかもよ?」
と言うと、
「検査?それならそれでいいじゃない」とサラッと言いやがる。。。
検査で楽なものなんて一つもないよ。
検査なめんな
なんだか長文になってしまいました。すんませーん