母入院手術

これまでの経緯

 

7月某日午前4時ごろ

キッチンで水を飲もうとベットから出たものの、足がしびれていてもつれ、寝ぼけていたこともあり右肩から倒れ強く打つ。(ただ、もし手をついていたら手首をやっていただろう)

「脱臼だろう」と軽く考え、病院が開く時間まで激痛を耐える

朝いちばんに近所の個人病院の整形外科へ行くが、レントゲンを撮った時点で「うちでは手に負えない」と、同じ地区の総合病院に紹介状を書かれる。ここで固定をしてもらったものの激痛はひどくなっている

普通に電車で紹介してもらった病院に行く

(救急車読んでもらえないの?せめてタクシー…)

総合病院でMRIなど詳しく検査の結果、右肩の関節を守っている骨が複雑骨折、肩に続く腕の骨も縦に割れていることが分かり、この病院でも対処できないと紹介状を書かれる。

この時、「希望の病院があるか」と聞かれたが、入院を軽く考えていた母は、「先生が良いと思う病院を紹介してください」と言う

結果、母の家からも、まして私の家からはさらに遠い病院を紹介される。

次の病院にも激痛のなか電車で行く

その病院で、緊急入院緊急手術が決まる。

翌日の入院、翌々日の手術が決まった時点で私にメールで知らせる。

「右肩骨折して入院手術になった。時間はまた知らせる」と。

私は仕事中で、このメールに気づいたのが午後6時半

びっくりして連絡を取るも全く電話にです、連絡が取れたのが午後8時半。

もしかしてもうそのまま入院したのか、家に行ってみるか悶々と時間が過ぎた。病院名さえ知らされていなかったので動きようがなかった。

母は、5時に病院から戻って、ずっと事務所のスタッフに仕事の引きつぎをしていたとの事。

なんとか連絡がとれそれからあわてて準備、翌日入院に連れて行った。

遠い・・・

まず外来で、麻酔科と手術担当の先生の説明を聞く。

複雑骨折している関節にはボルトを10本は打つ事、割れた腕の骨にはプレートをいれる事、当然全身麻酔、最悪の場合の輸血、無呼吸症候群があるので全身麻酔のリスクが上がる事、わりと大きな手術になる事、

入院だけでリハビリ込で1か月半、その後リハビリ通院、結局全治何か月だろうか?

入院手続き。

準備が足りなくて、何往復も大型スーパーなどに行ったりきたり

担当看護婦さんの説明、書類の準備、装具の装着、色々な書類の手配などで、朝8時40分に病院に入って、出たのは午後5時。

翌日手術

次の日手術後に足らないものを買い足したり、今後の流れなど。

手術から2日目、尿管を抜き、自分でトイレに入れるようになる。

内臓じゃないから早い。

手術から3日目、清拭も始まる。動けるようになったので、売店を一緒に行って確認してもらったりして午後からは会社に出る。

4日目~6日目、私は仕事に出る。遠いので病院には仕事前も終わりにも行けない。

7日目、母が自分の事務所を心配して、事務所のスタッフさんの頼りなさ?に限界が来たらしく、外出届をだして、一人で家の様子と仕事のため戻ると言い出す。

私の出社直前に電話がかかってきて、すったもんだ。

母の家は、私がすでにごみ全部回収したり、洗濯物を持って帰ってあらったり、簡単な掃除したりしている。

一度言い出したら聞かないので、仕方なし午後休をとって母の事務所に行く。

結局病院に戻ったのは午後8時ギリギリだった。

母は体は元気だから飽きているんだろう。

今日は、明日台風が来るので、午前半休をして、母の家の台風対策、医療費申請書等の手配で地域区役所。病院にも顔を出す。午後から自分の仕事。

15日は台風で動けない。

次は17日の午前中に行くと言ってもイマイチ表情が暗い。

盆休みをとっていないのが腹立たしいらしい。「お盆なのに。連れ出してよ。」と言われるも、

「24日には外出届出してドライブでもいこう」となんとかごまかす。

まだ抜糸もしていないのだから大人しくしてほしい。

 

私の仕事が忙しくなったタイミングで、今回の入院にまつわるゴタゴタで結構休んでしまって私も切羽詰まっている。

仕事、私の代わりなんていくらでもいる。これ以上休むと私の死活問題だ。

 

入院手術時、「全部自分でできる。あんたには頼らないと思っていたけどそういうわけにはいかないんだ…甘く考えていた」と、しゅうしょうな事を言っていたけど。

そうなのよ。本当に、通って世話をする人間の事を考えて病院を決めないとえらことになる。

 

母はかたくなだ。人のいう事を元々聞かない。特に私のいう事は。

歳と共にひどくなっている。今慣れない入院生活できついんだろう。

談話室に通って、友達を作れと言っても、嫌がる。年の近い人がたくさんいるのに。

まあ、今行くと喧嘩になるかもだけど。

 

今回の入院で、血液型が間違っていたことが発覚した。

ずっとO型だと言っていたのに実はA型だった。

幼少の頃は母親の血液型をとる事があるけど、成長と共に自分の血液型になる事があるらしい。

要するに、生まれてから今日まで、血液型を調べなきゃいけないような病気らしい病気もケガも一切なかったという事。頑丈だし、強い細胞だ。

その分、今回の事がショックすぎるようで、本当に参っているんだろうな。

 

私も正直参っている。

これからリハビリ通院とかどうすればいいんだろう。

肩の手術などが得意な専門病院で、リハビリの先生の事も気に入っているようだ。

今のところ、退院しても病院を変えるつもりはないらしい。