遺族会は、私にはハードルが高すぎた。

行ってみて思い知ったけど、私はまだ渦中にいる。

「さあ、思い出を語り合いましょう」と言われても、

渦中にいるから語るべき思い出は無い。

だから、ひたすら聞き手に回って、時間をやり過ごした。

聴きながら、声を立てずに静かに泣いていた。

誰かが背中をさすってくれた。

その手が暖かかった。

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緩和ケア病棟の空き待ちのあいだに入院していた病院は、直ぐ近くに川が流れていて綺麗な遊歩道が整備されていた。

朝食に付くパンは食べないから、

チミチミと小さくちぎってビニールに貯める。

朝の支度が一段落して落ち着いたら、

車椅子で散歩に出る。

途中、

院内の売店でスポーツ新聞を買う。

遊歩道の広場で、

日光浴をしながら新聞をゆっくり読む。

私は夫から少し離れて

ハトに千切ったパンをあげる。

ハトのフケは肺に良くないので。

マスクは必須。

あげ終わったら夫の傍に戻って、

ボーっとしたり一緒に新聞読んだり、

30分~1時間、大切な時間。

 

この遊歩道の光景は

フラッシュバックする光景のひとつ。

(実際の見え方は、広場の大きな木、鳩の群れ、川面、風、ベンチ、車椅子の夫などが同時に重なって透過したレイヤのようになる。)

フラッシュバックは思い出なのだろうか?

唐突で、自分で全くコントロールできないから、

これが起こると、いつも胸が灼けるような、突かれたような衝撃を受けて、神経が磨り減るのだけど・・・