※2023年4月

改行や文体を改訂・修正して

更新しています。

 

 

 

三連休。

 

 

 

 

 

 

皆さんには

穏やかな心地よい一日が

巡っているかな。

そうだといいな。

 

 

 

昨日から幾度か、

雲あれど太陽の明るさを感じる

空の下で

雨にパラパラと振られました。

 

 

傘を差すほどでもない雨です。

 

 

ひとつぶひとつぶが冷たくて

気持ちが良かった。

 

 

 

 

7月3日のこと。

 

 

 

 

バスで通りがかるたびに

なんとなく気になっていた

市街地にあるお寺さん。

 

 

初めて参拝してみました。

 

 

境内は、市街地の気になじんでおり

特別な仏様のご霊気や

ご神気は感じられなかった。

(※仏様がいないという意味ではなく)

 

 

物静かで主張しない

淡く優しい性質のご神氣が

蔓延していたように思います。

 

 

積極的にこちらに

はたらきかけてくるような

そんな想いも感じない。

 

 

 

バスで見かけた時に

気になっていたのは

特に呼ばれていたから、

というわけではなく

 

 

単純に、私が日頃から

神社仏閣に興味があり・笑

 

 

市の中心部にポンと現れる

その存在感に惹かれていたから

だったのでしょう。

 

 

 

私の他には参拝者は

ほとんどいなくって

しばらく佇むうちに

私ひとりに。

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、元々

「来るように」あるいは「行くように」

導かれていたお寺さんや

神社だったりすると

 

 

そのお寺さんを見ただけ

神社さんを見ただけ

あるいは境内に足を踏み入れただけ

ご神仏を一目見ただけで

 

 

「涙の響き」が起こるのですよね。

 

 

視えない世界の中で

あらかじめ「話がついている」

ものなのかもしれない。

 

 

 

『○○日に、◇◇(私)が行くので

このようなサポートをお願いします』

というような。

 

 

 

それは、「過去世からの縁」に

よるものだったり

 

私が別の場所で祈願した

志の応援を受諾してくださった

神仏たちの横の繋がりから

導いてくださっている

 

「縁」によるものだったりも

するのでしょう。

 

 

 

そういう時ばかりではなく

私が自発的に動いて

作っていく「縁」というものも

もちろんあって。

 

 

観音様に引きがあることが多いから

こちらでもそうだったりするのかな?

って思ったけれど

 

 

どうも美江寺の観音様とは

特にこれまでのご縁や

あらかじめ用意されていた

「引き」はないみたいで

 

私がお話を始めるまでは

しん、と静かでいらっしゃいました。

 

 

 

お堂の中には

仏様特有のご霊気が満ちており

確かに仏様たちの意識は

そこにいらっしゃるようでした。

 

 

 

4月末、

京都の三十三間堂で

中尊の千手観音様から

 

「今後は さまざまな仏縁を

結んでゆきなさい」

と教えていただいたけれど

 

どうも、それは私だけではなく

多くの人がその流れに

あるのではと感じるこの「令和」です。

 

 

そんなこともあって

今、私の興味は

仏様に向いている。

 

 

 

私は自己紹介をして

真言を唱え

自分がこれから取り組んでいくことと

その応援を祈念しました。

 

 

ロウソクがあったから献灯も。

 

 

…無反応。

 

 

 

あれっ。

ちょっとお願いごとの内容が

こちらの観音様には

合わなかったのかな…?

 

なんとなく

そんな風に思いながら

いったん、本堂をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

お堂の前の柱にくくられていた

こちらの仏様。

 

宿っていらっしゃる方も

控えめで静かだったけれど

見つめると

とても優しい感じがしました。

 

 

像の造形と同じ、

微笑みの気配。

 

木肌のままの「木彫り」って

柔らかな暖かみがあって…

素敵だな。

 

 

 

読んでくれてありがとう(*^_^*)

続きます。