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春に芽吹いた緑たちが
夏に向かって伸びやかに
背や腕を伸ばすこの季節。
爽やかな新緑の合間から漏れる
木漏れ日が
赤土の坂や岩の階段、木の根道に
白く神々しく光をおとして。
本当に雰囲気の良い
美しい登山道でしたよ。
どこからともなく
野鳥の澄んださえずりや
透き通るような響きの歌声が
聴こえてくれば
その愛らしさに心が和みますし
そこかしこに見る
シダ植物の柔らかな葉や
岩の表に蒸す苔や
まっすぐに伸びる杉の幹に手を触れると
力を分けてくれるのですよね^^
岩や木に語りかけながら
登山していましたが
とりわけ登山道付近の樹木は皆
「登山者」への好意を
その意識の中にたたえていて
とても優しいのです。
その優しさを思い返すと
なんだか泣けてきてしまいそうになるほど。
(触っていって)
(持ってもいいよ。足を滑らせないように
しっかりと握って)
そんな風に木々の方から
促してくれることもありました。
木々の幹に触れている間は
なんだかとても身体が楽で。
「疲れ」を引き受けてくれていたように思います。
岩は寡黙でした(笑)
山を護っていましたね。
広い意味で
登山者のことも護ってくださっていました。
岩が面白いことを言っていました。
別の山の岩とも繋がっているのですって。
それは「岩」の意識のネットワークのことを
指しているのでしょうか?
また「天然の水」というものも
癒しの力が強くて
二箇所?手水のできる場所があり
水で手を清めたのですが
もう、すっと身体が楽になりますね^^
山頂に近い方の
屋根のある手水舎のお水は
飲用も可能なようです。
(もう1つの方は飲まない方が良いみたいでした)
水筒に注ぎ足して飲んでみると
ふっと身体が軽くなって
さりげない清々しさが身体に満ちましたよ^^
手首に着用していたブレスレットや
紐型のお守りにもかけてあげると
依っている方たちが喜んでいましたから
良いお水なのでしょうね(^-^)
途中、急に吐き気がせりあがってきて
道の途中で小休憩させてもらった時もあったし
終盤は本当に足が重たくて
(私、ちゃんと最後まで登れるのかな?)
とハラハラした時もあったのだけど。
とにかく自然の力に助けられながら…。
もちろん身体はしんどいのだけれど
心は全く
疲れもしんどさも感じなくって
ただただ嬉しくて喜びに満ちていたんです^^
そのような道行きのなか。
私の脳内には
朝、家をでる頃から
ある「歌」が
ずっとずっとリフレインしていて。
それは。
陣内智則の有名ネタ「校歌」の。
勇気(カエルッ、さわることっ♪)
というワンフレーズ。
定期的に
「カエルッ さわることっ♪」
「カエルッ さわることっ♪」
「カエルッ さわることっ♪」
と口ずさみたくなるので
堪えるのに苦労しました。
ただでさえ日頃より運動不足で
体力も筋力も乏しい身で
参加していますから(^_^;)
皆さんの足を引っ張らないように
とにかく「前へと足を動かすこと」に
集中したいのにね(笑)
こんな風に、なんの脈絡もなく
特定の歌がリフレインする時は
視えない存在からの
メッセージであることも多いのです。
明さんに
「奥宮や本宮山に
カエルに関連しているものって
ありますかねぇー」
なんて尋ねてみたけれど。
明さんも
「うーーん?カエルですかぁ…??」
と小首を傾げていらっしゃいました。
が。
なんと、見つけちゃいました。
「蛙岩」を…。
(ちゃんと案内看板もありましたよ・笑)
とりあえず、歌詞のとおりに
ペタペタと触っておきましたが
ありゃなんだったんだろうな。
蛙岩を発見したあとは
特に歌が脳内をリピートすることは
なくなりましたけれど
「涙の響き」もありませんでしたし
蛙岩に触れた前後で
奇跡的な事象が起きたということもなく。
「うわーーー^^
カエルほんまにおったねぇ!」
という喜びと達成感には包まれたものの
この岩のどのへんがカエルなんだい?
ぜんぜん見えねーよ。
というのが正直な気持ち。
あとになって
「ああ。史料などには残っていないけれど
砥鹿神社は「猿田彦」に関連があることを
教えてくださってたんだな」
と理解したのですけどね^^
(涙の響きもアリ)
※カエルは猿田彦の眷属なのです。
つづきます。