昨日のアクセス数が

スリーセブン

ばびりました。

 

誰にでも備わっている能力としての

サイキックな話をしたので

ガイドさんたちに

親指を立てていただいたみたいですね^^

 

「自分や他者の「霊的な感性」の向上に貢献する」

というお役目もあるみたいですから

自分が身につけてきたコツや知識などを

今後も

シェアしてゆければと思います。

 

ちなみに、私は

その道のプロフェッショナルでもなんでもなく

スピリチュアルな資格も一切持っていません。

 

鬱病を克服しようとあがく過程で

なぜか不思議体験の扉が開き

以来、

自分の体験と感覚を10年以上

ときに真剣に

ときにゆるゆると

独自に探求してきたというだけの

ただのスピリチュアル感性オタクです。

 

そんなオタクの語る話題であることを

前提にお聞きくださいね^^

 

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【感性】

対象からの刺激を感覚器官を媒介として

受け入れる精神の認識能力。

印象を受け入れる能力。

感受性。

また、感覚に伴う感情・衝動や欲望。

 

 

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私は自分の「感性」というものが

とても好きで

大切にしています^^

 

とはいえ、時には

大切にしているはずの

自分の「感性」について

疑念を抱き

心細く不安にかられることもあります。

 

果たして、自分には本当に

感性があるのか?

ないのか?

 

なんて。

 

先日も、ふとした拍子に

「自分の感性」についての自信が揺らぎ…

オラクルカードに質問してみました。

 

教えてくれたカードは

ムーンオロジーとグッドタロットです。

 

グッタロさんからは

「風の9」と「力(逆位置)」が

セットでぴょんと飛び出してきて。

 

ムーンオロジーからは

「水瓶座の新月」

ひと呼吸おいて

「牡羊座の満月」と「山羊座の新月」も。

 

これらのカードが

私に教えてくれたメッセージは

このようなものでした。

 

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自分の感性(力)について

不安や疑念、失望を抱き

悲観的に捉えるとき

実際に、あなたの感性(力)は失われる。

 

あなたにその力が元々あるか、ないか

ということは問題ではなく

 

あなたが「愛」を持って

状況や対象に接する時

あなたの「直感」は「完成した状態」になり

霊的なエネルギーに満ちている。

そして、その状態において

あなたが積み重ねた努力は必ず報われるのである。

 

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そういえば今までも

『あなたのスピリチュアルな力の発露の源は

「真心」ですよ』

と何度も教えられてきていたのでした(^_^;)

 

どの「感覚器官」で

「物事の印象」を受け取るか

受け取った印象を

どのように表現するか

といった部分の違いから

「人それぞれの形」があるにせよ

「感性」とは誰しもが持っているものです。

 

そういった意味でも

カードにも諭されたように

「あるのか、ないのか」

というその問い自体が

もう「トンチンカン」でもありましたね(笑)

 

「感性」は誰にでもあるけれど

それをいかに「精細に、正確に」

機能させるか、が大切なのですよね。

 

その「精細さ」や「正確さ」を

研ぎ澄ませられる状態、というのが

私の場合は

その感性を向ける対象に

「真心」や「愛」を持って

感じようとしている時なのです。

 

ですから、すごい!と言われたくて

「当てもの」を目的に

リーディングを試みたとしても

私の「感性」は全く働きません。

そこに「愛」も「真心」もないからです。

 

私の場合は、なんて書きましたけど

本質的には

誰だって、そうなんじゃないのかな?

 

元々、特別な霊感があるとかないとか。

そんなことは関係なしに

 

ただただ「愛」を持って

心を開いて

(=それは感覚を開くということでもあります)

相手を感じたい、理解したい

本当に相手のためになることで

自分にできることを知りたい

と想った時

 

誰だって、魔法のように

「大切な情報」を受け取り

相手に手渡してあげられるように

なっているんじゃ、ないのかな?^^

 

また、ムーンオロジーからは

もうひとつ「感性」に関する

大切なヒントをもらいました。

 

「自分が、何を知っているか

ではなく

誰を知っているか

について考えてみてください」

 

というものです。

 

感性の高い友人たちが増えてきて

いずれの方の感性も

私は信頼を置いているのだけれど

同じ状況にあっても

感じているものが異なっている場合もあります。

(符号している時は、わかりやすくて良いのですけどね^^)

 

そういった時に

誰が正解で、誰が間違っている

ということは基本的になくて

単純に

「照準を合わせている対象が違っている」

だけである、ということを

教えてくれたのでした^^

 

先日の天塚古墳の件でも

明日香野さんと私で

てっきり同じ人物だと思って

別の二人の巫女を

それぞれで感覚していた(笑)

なんてこともありましたし^^

(でも、気づいた時はアハ体験で超面白かった♪)

 

自分が何かを感じ取っている時

「何に照準を合わせていたのか」

把握しておくことは大事ですし

人からそういう話を聞いている時も

その人が「何に照準を合わせていたのか」に

意識を向けることも大事だなあと思いました。

 

でないと

 

「あの人の言っていたことと私の感じていたことが違う…」

「あれ?私が間違ってるのかな?」

「いや、あの人が間違ってるのかな?」

「うーーん。モヤモヤ。

もはや何が正しくてそうでないのかわからねぇ!」

 

ってなっちゃいますからね^^

これ、よくありません?(笑)

 

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「感性」とは

「印象を受け取る能力」ですから

「自分の期待や願望から生じた

根拠のない空想」

…つまり「妄想」とはまた別のものです。

 

ただ感じたものが

脳内で

映像や言葉に変換される時は

あくまで「自分の中にあるデータ」を使って

翻訳されていますから

それらはすべて

「感じ取ったものを表現するのに、

一番近い象徴としての情報」として

現れている、と私は見ます。

 

ですから

浮かんだ言葉、浮かんだ映像

見えた映像、聞こえた言葉

これ自体はゴールではなく

 

そこからさらに

「それが表している本質」に触れて初めて

「メッセージ」を捉えることができます。

 

「愛」や「真心」といった動機とは別の部分の

テクニックとして

「感性」を働かせる時には

自分を「無」にして

「期待や願望を持たないようにする」のも

大切なことだと思います^^

 

ただ

自己肯定感が低く、

未成熟な、強い承認欲求を抱えている人は

無意識に「期待や願望」を

感性の世界に投影したり

加味してしまいやすいので

 

「感性」をしっかりと働かせたいなら

自分の内面感情を整理・把握して

あらかじめ自分を

「偏りのない、フラット」な状態に調えておくことも

大切なことだと思います^^