契約社員として工場で働くナガセの年収は163万円。お世辞にも高いと言える収入ではない。だから、夜は友人が経営するカフェや週末は高齢者相手のパソコン教室のパート、自宅ではデータ入力の内職も手掛けている。
そんな心許ない生活を送るナガセは働き者だ。でも、ある時感じてしまう。食べていくために、今の生活を維持するために、自分は「時間を金で売っている」のだと。そう思うと虚しくなってくる。
この感覚はよくわかる。私自身も学生時代、アルバイトと大学の繰り返しでしかない時期があった。実家通いだったので衣食住に困ることはなく、毎月の貯金残高が増えることが楽しみだった。そんな私がそこに気づいた途端、自分の生活がからからに乾いているような気がしたのだ。
あるとき、ナガセは会社の掲示板に貼られた世界一周クルージングのポスターを目にする。代金は163万円。自分の年収と同じだった。ある出来事をきっかけに、彼女は世界一周に行くために貯金することを決意する。
節約しよう。会社に申請している振込先の口座をいったん空にして、今までの預金は別の口座に移そう。ちょっと一年間だけ、ヨシカの店のバイトとパソコン教室の収入だけで生きてみよう。
次々と計画が頭をもたげてくるのは気持ちが良かった。ひさしぶりに、生きているという気分になった。
私の場合は沖縄でのダイビングだった。乾きかけた生活に何か潤いが欲しくて、午後大学へ行くとまっすぐ生協のカウンターへ向かい、ダイビングコースの載った旅行会社のパンフレットをいくつか持ち帰った。
世界一周旅行に行くことを決めたナガセは、毎日の支出を手帳に記録し、節約に努め、順調に貯金を増やしてゆく。しかし、そんな彼女の周囲にもちょっとした出来事が起きる。不仲の夫から幼い娘を連れて逃げてきた友人りつ子たちとの同居である。予期せぬ支出も発生するが、それでもナガセは友人を助けずにはいられなかった。
友人母娘と過ごした数ヶ月の後、りつ子は無事正社員の職を得、新しい住まいを見つけた。引越しの手伝いをした帰り、ナガセはあることに気づいて愕然とする。
また来るよ、と改札口で手を振りながら、ナガセはここに来るまでの電車賃について考えていた。けちくさいようだが、二週に一度ぐらいは来たいとなると、結構大きな額になるので、自転車で来ようかな、来れるかな、などと切符を見ながら首を傾げ、そもそも自分にはそんな時間さえ取れないかもしれないということに気付き、少し愕然とした。お金のために、お金を使わないために、無駄な時間を作らないために働いているからなのだが、そのことが理由で自分は、少し離れた友達の家に行く余裕すら持てないでいる。世界一周の費用は順調に貯まっていたが、ナガセにはなんだか、そのことが微かに空しく思えた。
豊かなお金の使い方とは何なのだろう。その答えは、目標を達成したナガセがちゃんと示してくれている。
