昔はどうして一人でいることが怖かったのだろう。中学生のころ、授業前や休み時間、一緒に過ごす誰かがいないことが怖かった。「いつも一人でいるやつ」と見られることが、何よりも嫌だった。
それに比べて今の私は、会社の昼休みも一人で過ごし、観たいものがあれば誰とも合わせず出かける。一人でいる方がむしろ心地いい。1人ポツンとなることが怖かった10代の私は、長い年月を経て他人と行動を合わせることが苦手な大人となってしまった、というわけだ。
そんな私は「しっかりしてそう」と思われがちである。特に、じくじくと毎日悩み続けている他人からすると、割と強めにはっきりと物を言うところが、そのような印象を与えるのであろう。「しっかりしている」と言われる一方で、他人の弱さを一方的に預けられることに、苛立ちを覚えたりもする。あんたは私の何を知ってるんだ、などと腹が立つ。
だから、高校生の葵が、1人で自由に過ごし、どんな物事もポジティブに捉えるナナコのことを、優しい家族の下で十分な愛情を注がれ、世の中の嫌なものなど見ることもなく、ただただ綺麗なものだけを見てきた女の子、と勝手な印象を持ったことに、私は反発心を覚えた。あんたが見えているものだけが、その子の全てじゃないんだよ。そう言ってやりたい気持ちになった。
そんな葵が無理やりナナコの家に押しかけ、衝撃を受ける。そして彼女は誓うのだ。その誓いを読んで、私は恥じた。私自身も葵の一部分だけを見て、否定していたのだと気づく。
窓の外にすぐ見える、ひびの入った壁が橙に染まるころ、葵はナナコの家を出た。最寄りのバス停までナナコは送ってくれた。バスを待つあいだ、葵とナナコはいつもどおり、ふざけ、笑い、あれこれと話した。ナナコの家になど立ち寄らなかったかのように。何も見なかったし、見られなかったように。以降、葵はナナコのプライベートを知ろうと思わなくなった。クラスメイトたちの噂が本当でも嘘でも、自分だけはナナコ本人だけを見ていようと決めたのだった。
真のナナコを丸ごと受け入れる。歪んだ偏見を無くし、まっすぐ彼女を見つめることを、葵は決めた。
私が嫌いな問いかけがある。
「私たちって友達だよね?」
そう尋ねられた瞬間、私は猛烈に拒否したくなる。友達でいるために、友達であることをいちいち言葉で確認する必要が、どうして必要なのだろう。ただ、ありのままの相手をまっすぐ見つめればいい。それができる以上に、何が必要なのだろう。
一方で、それは簡単ではないこともわかる。気づけば結局、私も一面で他人をあれこれ判断していたりする。できればじっと目の前の相手を濁りのない目で見続けていられる、そんな度量が私はほしい。
