かれこれ28年前のこと。6月初めの土曜日お昼過ぎ、午前中のバイトを終えて帰宅すると、茶の間に隣接する弟の部屋に母と弟がいた。母はベランダに干していた布団を取り込んでいて、弟は机に向かい勉強らしきことをしている。ベランダの窓からは、水色の空に浮かぶ白い雲がゆったりと浮かんでいた。

 

 その日子猫をもらってくると母は言っていたが、その姿はどこにも見えない。

「猫、もらってきた?」

「もらってきたよ」

 であればその内姿を見せるだろう。私は遅めの昼食を食べ始めた。

 

「猫がいない!」

 突然弟が叫んだ。聞けば彼の部屋で寝ていたらしい。

「まさか、ベランダから落ちたとか……」

 マンションの6階だ。猫といえど落ちたらひとたまりもない。

 3人で手摺り越しに下を覗き込む。1階の地面にそれらしき物体はなかった。

 

「いた!」

 弟の声に振り向くと、部屋の隅にある小さなテレビ台の裏を覗いていた。見ると埃にまみれた配線の上で、薄いグレーの毛皮をまとった小さな生き物が、まん丸くなってすやすやと眠っているではないか。

「こんなところにいたのー!」

 ひときわ高い声で、母はその小さな毛皮の生き物を抱き上げた。こちらの気も知らず、母の両手の中で子猫は眠たそうな目をうっすらと開け、きょとんと私たちに一瞥をくれるとまた眠りに落ちた。こうして子猫は家族になった。

 

 1年後、私は地元駅前の本屋で、ある最新刊の平積みに目を奪われた。小さなお腹をさらけ出して眠る子猫の表紙は、1年前の我が子を彷彿とさせる。

 

 主人公であり、語り手でもある「ぼく」は、一人暮らしの女性ミセス・ヴィジルの飼い猫である。後にボビー・ブープ、ザッカリーという子猫たちが加わり、1人と3匹の家族と、彼らを取り巻くご近所さんたちの物語が進行する。

 

 猫を飼ったことがある人ならば、誰もが経験する日常がそこにある。玄関ドアを開けようものなら、こちらの隙をうかがって飛び出してゆく。書いている真っ最中の手紙の上にどんと寝そべる。トイレットペーパーやティッシュペーパーを引き出して遊ぶ。猫の行動は古今東西万国共通である。

 

「ああ、なんてことなの! いったい何をしてるのよ!?」

 ついに彼女は我々をベッド・ルームに連れていった。ドアを閉めるとき、ミセス・ヴィは芝居がかった口調で言った。

「パンデモニウム(悪魔)、汝の名は猫」

 

 悪行の数々は、彼らと共に暮らす人々の大切な思い出となる。彼らの行動にため息をつきつつ、他人に話して聞かせる言葉には幸せと愛情がたっぷりとこめられる。

 

 猫たちは知っている。自分たちの行いが家族から許されるということを。家族から愛されているということを。そして私たちは、そんな彼らからたくさんの贈り物を受け取っている。

 

 小さなグレーの子猫はいつしか私たちの年齢を追い越し、14年前の8月、父と弟に見守られながらこの世を去った。14歳だった。あちらの世界でまた母にたくさんの贈り物をしているに違いない。