シロくんとレオくん、それからチャコちゃんもまだ公園に戻りません
東京にいては捜索のための活動は何もできないので、地元に戻るまでは仕事を片付けることに集中し、帰ってから心おきなく猫活動できるように備えておくことにします。
公園では、避妊手術後、抜糸まで入院していたチョコちゃんが公園に返されました。同じくメスのナナちゃんがお出迎えしてくれたようです
また、寒い冬の間スタッフ宅で保護されていたピアスくんが、病院で健康診断をしてもらったようです。かなりの高齢にくわえて腎臓疾患等あちこち問題はありますが、とりあえずは元気そうです
大柄だったピアスくんが、びっくりするくらいボリュームがなくなって、体重も軽そうです
昨晩実家に電話したら、今年は寒さが長引いたせいで、桜の開花は遅れているそうです。ピアスくんには、大好きな公園の満開の桜を楽しんでほしいと思います
私たちにとって、とてもとても大切なネコさんです
さて、今回から地元ネコ公園である大牟田市の延命公園を、私の思い出を交えながらご紹介していこうと思います。地元の方には、公園での私たちの活動を理解していただきたいと思いますし、欲を言えば、可能な範囲でかまわないので、ご協力を賜ることができればいいなという思いを込めて・・・
読者の中には、私のように地元を遠く離れて生活なさっている方もいらっしゃるかもしれません。高校卒業と同時に郷里を離れた私などは、年とともに地元への思いを強くしています。私が郷里を後にした頃、市の人口はまだ17万人ほどはあったかと思います。それから帰省の度に寂れてゆく様を感じてきたわけですが、それが昨年5月に12万人を切ったというニュースに接しました。小中学校は次々と統廃合され、私はその両方の母校を失いました
そんな中でこの3月、大牟田市は市制100周年という節目を迎えました。
もとは炭鉱で栄えた町でしたが、1997年に炭鉱が閉鎖されてからというもの、基幹産業を失った地方都市の御多分に洩れず、人口減少が続いています
公園の正面入口から入ると、真っ先に目にするのは下の画像にある炭鉱夫の立像です。材質が独特で、銅像でも石像でもなく、たんなるモルタルでしょうか? これが特定の誰かをモデルとした像だとは聞いたことがありませんし、像の土台にも何の説明書きもありません。単に炭鉱の町の象徴として建てられたものなのでしょう。
小さな頃から目にしてきた像ですし、町の栄枯盛衰を見つめてきた像です。市民はむろん、公園で生活しているネコたちも見守ってきました。これからもネコたちを見守ってほしいです