日頃から、『言葉』というのは難しい、ということを感じつつ日々の生活を送っています。
同じ国の同じ言語同士であっても、かけた言葉によっては、必ずしも良い結果になる、
なんてことはなくて・・・。これが、違う言語同士なら尚更かなって。
AIによる翻訳にはやはり限界があります。AIはAI。細かな人間の感情まで
読み取ってくれるわけじゃないから。でも。何もしないよりはずっと良い。
そんなふうに思っていたところに、この記事を読みました↓
小学生の頃はとても積極的だったのに、ある日、先生から
「あなたの言ってる事は、何を言っているのか分からない」と言われ自信を喪失し
友達とすらもうまく付き合うことができなくなった、と。
幸いにして、ワタシはそういう教師には出会いませんでした。
ワタシの学生時代には、まだそんな、『ハイリー・センシティブ・パーソン』という言葉もなく
何故か、同じ年頃の同じ性別である、女の子同士では上手く行かず、わがままだと
片付けられ(sad)、例えば、仲間に入れてもらえなかったり、わざと意地の悪い事をされ、
「冗談だよ」と言われ続けたりね~・・・。子供は子供で残酷なのよ。
自分でも『あ、なんだかワタシは周囲と違う』って感じてましたしね。
同じ年齢でも、ワタシと合うタイプ、といえば、それこそ、『ママのような人』だけでした。
これもね~・・・微妙に難しい所で、『姉タイプ(older sister type)』ではだめだったのよ。
older sister typeって、威張っちゃうのね💦。でも、ママタイプはそうではなく、
許容するのね。ちょっと違うんです。と、友人関係ではそんなだったけど
大人である、教師は『あ、ちょっと他の子と違って、感じやすい子なんだな』というのを
理解して接してくれてたというかね。他国はどうか知りませんが、日本は、学業や
部活動などの個人の記録に加えて、性格や性質なども『内申書』のようなもので、
多分、小学校から中学校へ、そして高校へと、生徒にはわからない形で順々に
申し送りをしているはずで、ワタシはたまたまそういうことも書き足してくれる
良い担任に出会った、ってことだろうとは思いますけどね~・・・。
そして。この記事にある、教師から心無い一言を言われ傷ついた女の子のその
教師ですが、いじめとかパワハラとかとは、どこか違う気がします。
なんて言うかな~・・・何でも、いじめ、パワハラ、とすることがワタシは正しいとは
思えないんですね。教師も人間であって、決して聖職ではないと思ってます。
日本は今は一クラス何人いるのかは知りませんが、ワタシの頃は1クラスに
40~45、6人いました。それを一人の教師が見るんです。特に小学校では。
全教科担任1人が担当するから。となると、どうしても接する時間も長くなり
大人と子供でも、合う合わないの問題も出てくるのではないか、と思うんですよねぇ。
『言ってはいけない一言』っていうのはあるのですが、意地悪しようとかではなく
ポロッと出ちゃうこともあるのよね・・・。先生もAIではないので、感情がありますし
それを、6時間授業がある時で、単純計算で1日6時間として、朝の会やら帰りの会なども
含めたら結構長時間、数十人の子供達と向き合わなければならず、イライラすることも
あるでしょうしねぇ・・・。難しい問題だな、と思いますね。
大人なら、スルースキルを身に着けて、子供の言動などでイライラすることがあっても
流せるようにすべきだ、というふうに考える方もそりゃいるでしょう、いるでしょうが
それを完璧に、100%に、などとは無理な話であって。だからこそ、必要なのは
そういうことが起きた時の周囲のフォローではないかな~。時間はかかるかもですが。