追い払いたいものある?
追い払いたいもの、というか、節分なので鬼、について少し。ワタシの個人的考えを。
さて。鬼といえば『鬼滅の刃』と『陰陽師』(夢枕獏さんの小説の)がワタシは
パッと頭に浮かぶのですが、鬼と化してしまう人の心の切なさがあるのは
物語は違っても双方同じです。(と、ワタシは思っている)
ですが、陰陽師の方は晴明が諭して成仏させるけれど、鬼滅の刃の方は
とにかく、鬼の首を斬るしかありません(爆。首を斬っても死なない鬼も後編には
出て来ますが)。
その時に、人の心を取り戻す鬼もいれば鬼の心のまま地獄へ向かう鬼もいます。
でも!優しい炭治郎はこんなふうに思うわけです↓
自分が鬼に死ぬ目に遭わされているのにも関わらず、『元は人間だったんだ!
自分たちと同じ人間だったんだ!けれど、深い悲しみや憎しみの心から
鬼になってしまったんだ。それを死の間際に後悔し反省もしているではないか』と。
生きていれば、誰でも深い悲しみだって、強い嫉妬の念だって恨みの念だって
抱く時はあります。そんな時にどう生きるかが重要なのではないかな~って
ワタシはそんなことを思ったりしています。
嫉妬する、というのは悪いことではないとワタシは思うのですよ。
でも、その先が問題だと。羨ましいと他人に嫉妬してその人をとことんまで
いじめ抜いて追い詰めて自分の目の前から消し去るようなことをして
それで満足、幸せですか?と。今を生きながら、鬼になりたいですか?と。
炭治郎くんは↑の出来事の後に、こうも思っています↓
現実の世界には、鬼に墜ちたとしても首を斬ってくれる鬼殺隊はいません。
また、そうなった心をすくい上げてくれる陰陽師(晴明)もいません。
我が心に長く鬼を棲まわせるのか否か。
自分次第、ですね。
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