朝日新聞は、裏取りナシで虚偽報道を垂れ流す常習犯だ! | 旗本退屈女のスクラップブック。

麻生太郎が朝日新聞の虚偽報道に怒りぶつける!「安倍晋三記念小学院」デマ事件!朝日の捏造の歴史

 

森友学園が設立を予定していた「安倍晋三記念小学校(院)」がデマで本当は「開成小学校」という名前だった件について、麻生太郎氏が誤報を流した朝日新聞記者に詰め寄った。
麻生太郎「この話は極めて簡単で(安倍総理の名前は)書いてなかったんですよ。だろ?」
朝日新聞記者「はい」

森友学園が設立を予定していた「安倍晋三記念小学校(院)」がデマで本当は「開成小学校」という名前だった件について、麻生太郎氏が誤報を流した朝日新聞記者に詰め寄った。
麻生太郎「朝日は『書いてある!書いてある!』って煽った口だろあんたのとこは」
朝日新聞記者(無言)

森友学園が設立を予定していた「安倍晋三記念小学校(院)」がデマで本当は「開成小学校」という名前だった件について、麻生太郎氏が誤報を流した朝日新聞記者に詰め寄った。
麻生太郎「そうだったじゃねーか。素直に言えや」

 

https://twitter.com/i/web/status/934073900299718659
Mi2‏
@YES777777777
【素直に言えや】森友学園の設置趣意書に、朝日新聞が可能性を指摘していた「安倍晋三記念小学校」の記載がなかったことに、麻生太郎財務大臣「この話は極めて簡単で書いてなかったんですよ。朝日は書いてあるって煽った口だろ?そうだったじゃねーか。素直に言えや」

朝日新聞は紙面で謝罪な。
#news23
(動画)
23:59 - 2017年11月24日

 

小学校の「設置趣意書」「安倍晋三記念小学院」の記載は無かった!

またまた朝日新聞の裏取りナシの虚偽報道だった!

 

http://www.sankei.com/economy/news/171124/ecn1711240028-n1.html
「安倍晋三記念小学校」は朝日新聞が「煽った」 麻生太郎氏、森友問題で指摘
2017.11.24 13:28更新、産経新聞

閣議を終え、会見する麻生太郎副総理兼財務相=24日午前、首相官邸(斎藤良雄撮影)
閣議を終え、会見する麻生太郎副総理兼財務相=24日午前、首相官邸(斎藤良雄撮影)

 麻生太郎財務相は24日の閣議後の記者会見で、学校法人「森友学園」(大阪市)が開校を目指した小学校の「設置趣意書」に、朝日新聞などが可能性を指摘していた「安倍晋三記念小学校」の記載がなかったことについて、「朝日新聞は書いてあるとあおった」と指摘した。

 財務省から資料を入手した自民党の和田政宗参院議員が22日に公開した趣意書は、「開成小学校」との記載で、首相名はなかった。麻生氏は、「(安倍晋三記念小学校とは)書いていなかった」と強調した。

 趣意書をめぐっては、5月8日の衆院予算委員会で当時民進党の福島伸享前衆院議員(10月の衆院選で落選)が、財務省が開示した資料の一部が黒塗りだったことを挙げ、「籠池泰典前理事長(詐欺などの罪で起訴)の記憶では、安倍晋三記念小学院の設置趣意書だった。その名前だったからこそ、忖度(そんたく)がなされ、特例措置が講じられることになった」と追及した。

 朝日新聞も、籠池被告の証言をもとに5月9日付で「開設予定の校名として『安倍晋三記念小学校』と記載したことを朝日新聞の取材に認めた」との記事を掲載した。

 麻生氏は報道に対し、「自分に都合の悪いところを隠すんじゃない。だから報道はゆがんでいるといわれるんだ」と語った。

 

>朝日新聞も、籠池被告の証言をもとに5月9日付で「開設予定の校名として『安倍晋三記念小学校』と記載したことを朝日新聞の取材に認めた」との記事を掲載した。


朝日新聞は、自分に都合の良い話については裏取りや検証をしないまま虚偽報道を垂れ流す常習犯だ!

今回の「安倍晋三記念小学院」デマ事件】も、籠池泰典前理事長の証言のみを根拠として裏取りをせずに事実として報道を垂れ流した。

しかし、籠池泰典前理事長の証言は虚言であり、実際には小学校の「設置趣意書」「安倍晋三記念小学院」の記載は無かった!


朝日新聞は、同様のことを「南京大虐殺」についても、「従軍慰安婦強制連行」についても、「加計学園問題」についても、やらかしている!

例えば、平成29年11月24日付当ブログ記事でも説明したとおり、「加計学園問題」では前川喜平の主張と前川喜平が情報提供した文科省内の部内文書だけを証拠として「総理の意向」などと大々的に虚偽報道した!


朝日新聞が平成29年5月17日付で大々的にスクープした八枚の文書は、飽くまで文科省内部にだけ存在する文科省側の言い訳文書だ。

獣医学部を新設したくない文科省が規制緩和推進派の内閣府・特区有識者委員に一方的に打ち負かされたために自分たちに都合の良い言い訳などを創作して記載しているだけだ。

朝日新聞が一面トップでスクープした文科省内部の八枚の文書は、既に内閣府と文科省の双方が認めて公表していた合意文書と違い、内容に信憑性がなく、証拠価値の極めて乏しい文書だ。

朝日新聞は、公式の合意文書を無視し、証拠価値のない文科省の言い訳用部内文書を使用した上に、朝日新聞にとって都合の悪い部分を陰で隠して「総理の意向」など都合の良い部分を大々的に報道した!


上述したとおり、朝日新聞は、自分に都合の良い話は「裏取り」をせずに虚偽報道を垂れ流す常習犯だ!

朝日新聞は、昭和40年代(1970年代前半)頃から現在に至るまで、「朝日新聞にとって都合の悪いことは『報道しない自由』を行使し、都合の良いことは『裏取りなし!検証なし!』で垂れ流す」というのが報道の大原則スタンスとなっている!

昭和40年代(1970年代前半)、朝日新聞は公平中立の立場を放棄し、完全に支那に偏向していった。

広岡知男社長は「たとえ事実でも中国に都合の悪いことは書くな」という趣旨の命令を出し、現実に実行させていった。

これは、裏を返せば、「たとえ事実と確認していないことでも、ウソでも、中国に都合のいいことを書け」と言っているようなものであり、それもまた現実に実行された。

昭和40年代(1970年代前半)、文化大革命の中、支那はあらゆる「日本軍の蛮行」を捏造しまくり、「その悪鬼・日本から我々を救って下さったのは毛沢東主席だ」という大宣伝を行ない、その一環として「南京大虐殺」も利用したのだが、朝日新聞はそのプロパガンダを直輸入し、裏取りや検証など全くせずに大宣伝した。

上記の朝日新聞の反日大キャンペーンの中でも、昭和46(1971)年8月から連載された『中国の旅』の影響は絶大だった。
朝日新聞がつくった南京大虐殺!朝日報道の中でも、最大の決定打となったのは1971年8月から連載された本多勝一の『中国の旅』だ。
朝日新聞がつくった南京大虐殺!朝日報道の中でも、最大の決定打となったのは1971年8月から連載された本多勝一の『中国の旅』だ。

本多勝一記者は、支那に赴き、支那共産党が用意した「証人」が話したことを「裏取りナシ・検証ナシ」でそのまま掲載し続けた!

朝日新聞は、支那共産党が用意した証人の嘘出鱈目を「裏取りナシ・検証ナシ」朝日新聞本紙、週刊朝日、朝日ジャーナル、アサヒグラフなど、あらゆる媒体を使って大々的に掲載し、翌年には単行本にまとめて販売したところ、ベストセラーとなってしまった。

東京裁判の時には「南京暴虐事件」などと呼ばれた南京での出来事(99%が捏造)はその後20年以上全く世間の話題になることはなかったが、支那共産党と朝日新聞が大々的に宣伝したため1970年代になって四半世紀ぶりに「南京大虐殺」という名称に変わって一般に広まった!

つまり、いわゆる「南京大虐殺」は、1970年代に支那共産党と本多勝一記者をはじめとする朝日新聞が共同で創造して宣伝したと言っても過言ではない。

ところが、1980年代になると、「南京大虐殺」は嘘っぱちのでっち上げとの見解が広まる。


苦しくなった朝日新聞は、元兵士の日記と写真を捏造する事件を起こした!

昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊に5段抜きの大見出しが躍った。

日記と写真もあった南京大虐殺 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊

昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」
昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊
「日記と写真もあった南京大虐殺」
「悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」


この写真は、満州の張学良の部下が盗賊を銃殺して見せしめとして首を切って晒したものを撮影した写真であり、1937年の南京戦よりも何年も前から満州や朝鮮の土産屋などで「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と題して販
「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」
「鉄嶺」は満州の都市。
張学良の配下の者が匪賊を銃殺し、見せしめとして首を切ったものと考えられ、当時この写真は満州や朝鮮などで販売されていた。


「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題されたこの記事は、翌5日朝刊の全国版にも掲載され、一大センセーションを巻き起こした!

しかし、翌年の昭和60年(1985年)12月、朝日新聞が上記の大スクープで使用した写真は、実は張学良の配下の者が匪賊を銃殺して見せしめとして首を切ったもので、当時は満州や朝鮮などで販売されていた写真だと判明し、日記も写真も朝日新聞の捏造だったことが分かった!(詳細記事

また、大日本帝国陸軍の元将校などの親睦組織である「偕行社」は同じ頃の昭和59年~60年(1984年~85年)に南京虐殺は「幻か否か」について会員の証言を集め、1985年に『証言による南京戦史』を編纂した。

執筆担当者の畝本正己が、集めた証言や資料を基に日本軍による支那軍不法処理の疑いのある被害者数を推定した。

その後、畝本正己は、資料、証言を更に整理し検討し、昭和63年(1988年)に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、【うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみ】と結論している。

いずれも、日本軍による南京市民虐殺は0人だったとの認識だった。


●偕行の結論(1988年『南京戦史』)
南京市民虐殺=0人
不法な捕虜処断=0人~800人



朝日新聞が昭和59(1984)年8月に日記と写真を捏造までして「南京大虐殺」に係る捏造記事(フェイクニュース)を書いたことが昭和60年(1985年)12月に明白となり、また「偕行社」が年月を費やして綿密な調査をして南京市民虐殺は0人だったとの結論を昭和60年(1985年)の『証言による南京戦史』や昭和63年(1988年)の『南京戦史』にまとめたことにより、いわゆる「南京大虐殺」は学術的には虚構だったとの考えが優勢となり始めた。

すると、焦った朝日新聞は、「従軍慰安婦強制連行」に活路を見出した!

1989年に韓国の済州新聞「1983年に吉田清治が書いた本は捏造だ」と報じたにもかかわらず、1990年~1993年頃に朝日新聞は吉田清治の捏造本を証拠として「従軍慰安婦強制連行」を大宣伝した!


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▼いわゆる「従軍慰安婦」捏造の経緯のまとめ▼

1947年、吉田清治が日本共産党から立候補。129票を獲得しつつ落選

1971年、『週刊実話』が「従軍慰安婦」という言葉を使用

1973年、千田夏光著『従軍慰安婦』という悪質な捏造本が発行

1977年、吉田清治著『朝鮮人慰安婦と日本人』という悪質な捏造本発行
吉田清治が 「日本軍人が朝鮮女性を強制連行して慰安婦にした」 と証言

1982年、吉田清治が 「朝鮮人の奴隷狩りがあった」 と証言


1983年、吉田清治著『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』という悪質な捏造本(韓国が強制連行された従軍慰安婦が居た証拠だと主張している本)を発行
以後、朝日新聞や赤旗が「従軍慰安婦強制連行」に関する記事を掲載。

1989年、韓国・済州島の済州新聞「吉田清治著『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』は捏造」と報じる

1990年~1993年、朝日新聞は、1983年に吉田清治が書いた捏造本の「従軍慰安婦強制連行」というフィクションを真実であると大宣伝(テレビ朝日なども大キャンペーンを展開)

1991年、朝日新聞記者・植村隆が8月11日の紙面にて、従軍慰安婦について悪意ある捏造記事を記事を掲載 !
裁判で「親に売られた」と証言した朝鮮人の言葉を、植村隆が「日本軍に強制連行された」と捏造して紙面に掲載した。


1991年、12/06にアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件として、35人が慰安婦に対する賠償を求めて日本政府を告訴
原告団長は粱順任(ヤン・スニム)、原告代理人は、福島瑞穂、高木健一、林和男など
朝日新聞記者・植村隆の義理の母親が粱順任(ヤン・スニム)であり、植村隆は義理の母親が日本政府相手の訴訟で勝てるように、捏造して世論を動かそうとした。


1992年、韓国・済州島にて現地調査が行われる。島民からまったく裏付けとなる証言がでてこなかった

1993年、宮沢喜一と河野洋平が吉田清治や朝鮮人婆の虚言を事実であると認めて大宣伝
以後、南朝鮮の歴史教科書に「従軍慰安婦」が記述

1996年5月29日の週刊新潮のインタビューにて、「強制連行した」唯一の証言者である吉田清治はいろいろ言い訳しつつも「慰安婦強制連行がフィクションである」と認める。
吉田清治は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と朝鮮での慰安婦強制連行を捏造と認めた。


1997年1月3日、「朝まで生テレビ」に出演した反日左翼の吉見義明は、「強制連行は確認されていない」ことと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。

1997年、日本の中学校の歴史教科書に慰安婦問題が記載される。

1998年、「人権屋に利用された私が悪かった」 と吉田清治が反省

2004年、11/29に日本最高裁判所にて、日本政府を告訴した原告の敗訴が確定

2006年、02/21にアメリカ最高裁判所にて、在米韓国人・在米中国人らが起こした従軍慰安婦訴訟の判決で、原告の敗訴が確定
アメリカ国内で慰安婦問題について日本に賠償・謝罪を求める訴訟は二度と起こせなくなった

2011年、05/09に韓国国内にて粱順任(ヤン・スニム)が日本政府から賠償金をとるからと弁護士費用を集めて、詐欺罪で逮捕

2014年、朝日新聞が吉田清治の証言について裏付け得られず虚偽と判断

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(参考)
▼朝日新聞が掲載した『従軍慰安婦』という語を含む記事の件数▼
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年     件数   出来事  
1985(S60)  3 前年8月に朝日新聞がスクープした【「南京大虐殺」の証拠=元日本兵の日記と写真】捏造と判明!
1986(S61)  3
1987(S62)  2
1988(S63)  4 帝国陸軍の元将校などの親睦組織「偕行社」『南京戦史』「不法殺害の可能性があるのは捕虜処断最大約8百人の一例のみ(市民虐殺はゼロ)」と結論
1989(H01)  6 済州新聞「吉田清治著『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(1983年)は捏造」と報道!
1990(H02)  8
1991(H03) 110 朝日新聞が「吉田清治著『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(1983年)を証拠として「従軍慰安婦強制連行」を事実として大宣伝!植村隆は元慰安婦の証言を捏造した記事を掲載
1992(H04) 622 韓国の済州島にて現地調査が行われたが、慰安婦強制連行の証拠も証言も全く無し!
1993(H05) 350 宮沢喜一と河野洋平が、吉田清治や朝鮮人婆の虚言を事実であると認める!
1994(H06) 296 
1995(H07) 384 
1996(H08) 450 吉田清治が「従軍慰安婦強制連行」をフィクション(捏造)と認める!
1997(H09) 375 
1998(H10) 76
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「朝日新聞は、裏取りナシで虚偽報道を垂れ流す常習犯だ!」