西村眞悟の時事通信
平成28年1月20日(水)
(松茸のお土産)
北朝鮮は、六日、核爆弾を炸裂させた。
しかし、我が国外務省は、
平成十四年九月十七日に小泉総理と北朝鮮の金正日国防委員会委員長との間で交わされた
「日朝平壌宣言」を維持している。
我が国がこの「日朝平壌宣言」を維持するということは、日本側だけが、
「この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」ことになる。
その結果は、日本から北朝鮮に対する巨額の金の支払いに帰結する。
他方、北朝鮮側は、既に「この宣言に示された精神及び基本原則」を完全に無視している。
つまり、北朝鮮は、
「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守する」ことも、
「ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく」ことも、
すべて完全に破っている。
では、北朝鮮が拉致被害者を解放して日本に帰国させる約束はどうなったのだろうか、と思われている方にハッキリ言っておく。
外務省がそのように説明し、小泉総理の北朝鮮訪問が「拉致被害者救出」の為だったと大いに喧伝されたから無理もないが、
実は、北朝鮮は、拉致被害者を解放して日本に帰国させる約束など、一切していない。
平成十四年九月十八日に外務省が拉致議連に「北朝鮮が拉致問題の解決を約束した」と強弁した「日朝平壌宣言」の文言は次の通りだ。
「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、
朝鮮民主主義人民共和国側は、
日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が、
今後再び生じることがないように適切な措置をとることを確認した」
この文言をよく読んでいただきたい。
北朝鮮が「確認した」のは、「このような遺憾な問題」が、
「今後再び生じることがないように適切な措置をとる」ことだけである。
これは、何を意味するのか。
それは、小泉訪朝団が、北朝鮮の金正日が九月十七日午前十時頃に、
拉致被害者は「五人は生きているが八人は死亡した」
と伝達した内容を真実として納得したことを示すものである。
つまり、平壌で日朝双方は、
拉致被害者「五人生存八人死亡」で
「拉致問題が解決したことで一致した」のである。
従って、文言は、
拉致は「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題」であると「過去形」で書かれているのだ。その上で、つまり過去の「拉致問題の解決」を前提にして、
北朝鮮は「今後再び生じることがないようにする」と応じているに過ぎない。
そして、日朝の小泉と金は2002年9月17日の共同宣言で謳い挙げた。
「国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、
そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした」と。
日朝の小泉と金は、実に、翌月には国交正常化交渉を再開すると約束したのだ!
これは、まさに、拉致問題が解決したから為しえた約束ではないか。
ここにおいて、小泉訪朝団が、
北朝鮮からトラック二台分の松茸のお土産を政府専用機に積んで帰国してきた理由も明かであろう。
松茸は、まさに小泉に対する拉致問題解決と国交正常化=カネの支払いに対するご褒美である。
それを小泉訪朝団は受け取って帰ってきた。
帰国する小泉訪朝団の仕事は、
平壌で合意した拉致問題解決=8名死亡を
その家族に伝達し息子や娘の死亡を信じさせて納得させることであった。
従って、官房長官と外務副大臣は、
「残念ですが、貴方のお子さんは既に死亡されています」
という断定的な死亡宣告を行ったのだ。
小泉内閣は、北朝鮮が渡した死亡年月日リストを隠し、死亡を確認もせず、
家族に死亡宣告をした。悪魔の所業ではないか。
この時、横田めぐみさんや有本恵子さんらは、
小泉内閣によって、生きながら消し去られる寸前だったのだ。
しかし、母の一念が、北朝鮮のウソを見破った。
「めぐみは生きている」と。
そして、8名死亡はウソだと分かった瞬間、
小泉総理らが北朝鮮から貰ってきた松茸は、
小泉・金の日朝双方の邪悪な合意を雄弁に裏付ける代物となった。
家族の集まる友愛会館に来た官房副長官に私は言った。
「松茸、どうするんや」
官房副長官は、絶句して顔を引きつらせた。
冒頭にも書いたが、安倍内閣と外務省は、今もなお、この「平壌宣言」を維持している。
これは、拉致被害者の救出のための宣言ではなく、
日朝国交正常化の為の拉致被害者を除去する宣言ではないか。
(山本美保さん)
昭和五十九年六月四日、二十歳の山本美保さんが住んでいた山梨県甲府から忽然と姿を消した。
その四日後、新潟県柏崎の海岸で美保さんのバックが発見された。
ここは六年前に蓮池さんらが北朝鮮に拉致されて海岸だった。
美保さんの父親は山梨県警の警察官で、その頃の行方不明者を徹底的に調べたが美保さんに該当するものはなかった。
失踪から十八年が経った平成十四年九月十七日、
小泉訪朝で北朝鮮が拉致を認め、翌月五人の拉致被害者が帰国してきた。
そして、俄に美保さんも拉致されたのではないかという疑いが高まった。
そのような折り、「特定失踪者調査会」が設立され、
山本美保さんを「北朝鮮による拉致濃厚の失踪者」のリストに入れた。
また、美保さんの同級生らが中心になり、美保さんの失踪の真相を究明する署名活動が始まった。
すると、平成十四年十一月から十五年十二月までの間に、二十万以上の署名が集まった。
いよいいよ、十三歳の横田めぐみさんと同じように、
二十歳の山本美保さんも北朝鮮に拉致されているという国民の思いが高まってきた。
すると二十万の署名達成から三か月後の平成十六年三月五日、
山梨県警警備1課長補佐から美保さんの実家に電話があり、二十年前に山形の海岸に漂着した遺体と美保さんのDNAが一致したとの連絡があった。そして、美保さんの家族が警備一課長らから説明を受けるために警察に行くと、既に、テレビで、二十年前の山形の海岸に漂着した遺体が美保さんであると判明したというニュースが流されていた。
その遺体は屍ろう化し歯が十三本も抜け落ちていた。
遺体発見は昭和五十九年六月二十一日、美保さん失踪は同年六月四日。
従って、その遺体が死後十七日以内の遺体であれば、
十七日間で屍ろう化し歯が十三本も抜け落ちるなどということはあり得ない。
また遺体の下着のサイズは美保さんの体型に合わない。
さらに美保さん失踪から十七日後に発見された女性の遺体を、
当時の山梨県警の美保さんの父親を始めとする警察官達が見逃すはずがない。
彼らはその時、美保さんの遺体ではないと判断しているはずだ。
残念ながら美保さんの父親は既に亡くなっているのだが、
父親は確実に、失踪直後に発見されたその遺体が美保さんではないと判断していたはずである。
以上を総合すれば、
二十年後に美保さんの家族にも知らせずに実施したDNA鑑定で、
突如漂着遺体のDNAが美保さんと一致したとする警察の発表は
美保さんが北朝鮮に拉致されたとする関心の高まりをみて、
拉致問題と美保さん失踪を無関係とするために為されたものと判断するのが合理的である。
そして、この判断は、拉致問題を常に日朝国交正常化の「障害」と位置付けてきた小泉・金の日朝平壌宣言の方針に合致するのである。
山本美保さんと漂着遺体のDNA一致の発表は、「拉致問題の大きな闇」である。
北朝鮮は、六日、核爆弾を炸裂させた。
しかし、我が国外務省は、
平成十四年九月十七日に小泉総理と北朝鮮の金正日国防委員会委員長との間で交わされた
「日朝平壌宣言」を維持している。
我が国がこの「日朝平壌宣言」を維持するということは、日本側だけが、
「この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」ことになる。
その結果は、日本から北朝鮮に対する巨額の金の支払いに帰結する。
他方、北朝鮮側は、既に「この宣言に示された精神及び基本原則」を完全に無視している。
つまり、北朝鮮は、
「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守する」ことも、
「ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく」ことも、
すべて完全に破っている。
では、北朝鮮が拉致被害者を解放して日本に帰国させる約束はどうなったのだろうか、と思われている方にハッキリ言っておく。
外務省がそのように説明し、小泉総理の北朝鮮訪問が「拉致被害者救出」の為だったと大いに喧伝されたから無理もないが、
実は、北朝鮮は、拉致被害者を解放して日本に帰国させる約束など、一切していない。
平成十四年九月十八日に外務省が拉致議連に「北朝鮮が拉致問題の解決を約束した」と強弁した「日朝平壌宣言」の文言は次の通りだ。
「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、
朝鮮民主主義人民共和国側は、
日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が、
今後再び生じることがないように適切な措置をとることを確認した」
この文言をよく読んでいただきたい。
北朝鮮が「確認した」のは、「このような遺憾な問題」が、
「今後再び生じることがないように適切な措置をとる」ことだけである。
これは、何を意味するのか。
それは、小泉訪朝団が、北朝鮮の金正日が九月十七日午前十時頃に、
拉致被害者は「五人は生きているが八人は死亡した」
と伝達した内容を真実として納得したことを示すものである。
つまり、平壌で日朝双方は、
拉致被害者「五人生存八人死亡」で
「拉致問題が解決したことで一致した」のである。
従って、文言は、
拉致は「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題」であると「過去形」で書かれているのだ。その上で、つまり過去の「拉致問題の解決」を前提にして、
北朝鮮は「今後再び生じることがないようにする」と応じているに過ぎない。
そして、日朝の小泉と金は2002年9月17日の共同宣言で謳い挙げた。
「国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、
そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした」と。
日朝の小泉と金は、実に、翌月には国交正常化交渉を再開すると約束したのだ!
これは、まさに、拉致問題が解決したから為しえた約束ではないか。
ここにおいて、小泉訪朝団が、
北朝鮮からトラック二台分の松茸のお土産を政府専用機に積んで帰国してきた理由も明かであろう。
松茸は、まさに小泉に対する拉致問題解決と国交正常化=カネの支払いに対するご褒美である。
それを小泉訪朝団は受け取って帰ってきた。
帰国する小泉訪朝団の仕事は、
平壌で合意した拉致問題解決=8名死亡を
その家族に伝達し息子や娘の死亡を信じさせて納得させることであった。
従って、官房長官と外務副大臣は、
「残念ですが、貴方のお子さんは既に死亡されています」
という断定的な死亡宣告を行ったのだ。
小泉内閣は、北朝鮮が渡した死亡年月日リストを隠し、死亡を確認もせず、
家族に死亡宣告をした。悪魔の所業ではないか。
この時、横田めぐみさんや有本恵子さんらは、
小泉内閣によって、生きながら消し去られる寸前だったのだ。
しかし、母の一念が、北朝鮮のウソを見破った。
「めぐみは生きている」と。
そして、8名死亡はウソだと分かった瞬間、
小泉総理らが北朝鮮から貰ってきた松茸は、
小泉・金の日朝双方の邪悪な合意を雄弁に裏付ける代物となった。
家族の集まる友愛会館に来た官房副長官に私は言った。
「松茸、どうするんや」
官房副長官は、絶句して顔を引きつらせた。
冒頭にも書いたが、安倍内閣と外務省は、今もなお、この「平壌宣言」を維持している。
これは、拉致被害者の救出のための宣言ではなく、
日朝国交正常化の為の拉致被害者を除去する宣言ではないか。
(山本美保さん)
昭和五十九年六月四日、二十歳の山本美保さんが住んでいた山梨県甲府から忽然と姿を消した。
その四日後、新潟県柏崎の海岸で美保さんのバックが発見された。
ここは六年前に蓮池さんらが北朝鮮に拉致されて海岸だった。
美保さんの父親は山梨県警の警察官で、その頃の行方不明者を徹底的に調べたが美保さんに該当するものはなかった。
失踪から十八年が経った平成十四年九月十七日、
小泉訪朝で北朝鮮が拉致を認め、翌月五人の拉致被害者が帰国してきた。
そして、俄に美保さんも拉致されたのではないかという疑いが高まった。
そのような折り、「特定失踪者調査会」が設立され、
山本美保さんを「北朝鮮による拉致濃厚の失踪者」のリストに入れた。
また、美保さんの同級生らが中心になり、美保さんの失踪の真相を究明する署名活動が始まった。
すると、平成十四年十一月から十五年十二月までの間に、二十万以上の署名が集まった。
いよいいよ、十三歳の横田めぐみさんと同じように、
二十歳の山本美保さんも北朝鮮に拉致されているという国民の思いが高まってきた。
すると二十万の署名達成から三か月後の平成十六年三月五日、
山梨県警警備1課長補佐から美保さんの実家に電話があり、二十年前に山形の海岸に漂着した遺体と美保さんのDNAが一致したとの連絡があった。そして、美保さんの家族が警備一課長らから説明を受けるために警察に行くと、既に、テレビで、二十年前の山形の海岸に漂着した遺体が美保さんであると判明したというニュースが流されていた。
その遺体は屍ろう化し歯が十三本も抜け落ちていた。
遺体発見は昭和五十九年六月二十一日、美保さん失踪は同年六月四日。
従って、その遺体が死後十七日以内の遺体であれば、
十七日間で屍ろう化し歯が十三本も抜け落ちるなどということはあり得ない。
また遺体の下着のサイズは美保さんの体型に合わない。
さらに美保さん失踪から十七日後に発見された女性の遺体を、
当時の山梨県警の美保さんの父親を始めとする警察官達が見逃すはずがない。
彼らはその時、美保さんの遺体ではないと判断しているはずだ。
残念ながら美保さんの父親は既に亡くなっているのだが、
父親は確実に、失踪直後に発見されたその遺体が美保さんではないと判断していたはずである。
以上を総合すれば、
二十年後に美保さんの家族にも知らせずに実施したDNA鑑定で、
突如漂着遺体のDNAが美保さんと一致したとする警察の発表は
美保さんが北朝鮮に拉致されたとする関心の高まりをみて、
拉致問題と美保さん失踪を無関係とするために為されたものと判断するのが合理的である。
そして、この判断は、拉致問題を常に日朝国交正常化の「障害」と位置付けてきた小泉・金の日朝平壌宣言の方針に合致するのである。
山本美保さんと漂着遺体のDNA一致の発表は、「拉致問題の大きな闇」である。