知られざる朝鮮半島における日本人の運命 | 旗本退屈女のスクラップブック。
西村眞悟の時事通信


平成27年6月25日(木)

 先日、西村に伝えておきたいことがあると、青森に先祖代々住んでおられる方が来られた。
 その伝えておきたいこととは、
 昭和二十年八月十五日前後に朝鮮半島にいた日本人の運命である。

 この青森の方の奥さんのお母さん(故人)は、
 我が国の敗戦後に朝鮮半島から引き上げてきた方で、その状況を次のように語っていた。

 敗戦後、満州から歩いて朝鮮に入ると、
 朝鮮人の兵隊(武器を持った人)に、婦女子だけ集められて収容所に入れられた。
 その収容所には二百四十人がいた。
 その二百四十人のうち、日本に帰れたのは八十人だけで、残りの百六十人は帰っていない。
 朝鮮人に千円を渡せば日本に行く船に乗れると言われて、
 千円を渡して収容所を出ていった人は、一人も帰っていない。
 彼女らは、もんぺの中に現金を縫い込んで満州から逃れてきていた。

 アメリカ在住のヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんは、
 十一歳の時、朝鮮半島の最北部にある羅南から日本に引き揚げた。
 その体験を赤裸々に
 「日本人少女ヨーコの戦争体験記 竹林はるか遠く」(ハート出版)
 という本に著してアメリカで出版した。
 それは、
 「大戦末期のある夜、小学生擁子(11歳)は、『ソ連兵がやってくる』とたたき起こされ、
 母と姉・好(16歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。
 欠乏する食料、同胞が倒れゆく中、
 抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦のない襲撃、民間人の心ない暴行をかいくぐり、祖国日本をめざす。」
 日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験記である。

 この青森の方の話とヨーコ・カワシマさんの著書に接して、私(西村)は、
 一年前の平成二十六年五月、ストックフォルムに於ける日朝局長級会談での合意文書の中に、
 朝鮮半島からの日本人引き上げ者が体験した知られざる運命に符合する文言が入っているのに気付いた。
 それは、
 「1945年前後に、北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、
 いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む総ての日本人に関する調査」
 という文言中の
 
 「1945年前後に、北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人」である。

 日本側が、日本人引き揚げ者の実体解明に関する明確な意欲を以て、この文言を使ったのかは不明ながら、
 北朝鮮側が、この文言を受け入れた動機は明確である。
 
 それは「遺骨ビジネス」だ。
 
 即ち、北朝鮮は、
 日本人の遺骨一体に対して金○○円を受け取るならば、
 膨大な額の外貨を日本から獲得できると判断したのである。
 即ち、膨大な人数の日本人が、終戦後の引き上げ途上で殺されて北朝鮮内に埋められているということだ。
 そして、北朝鮮は、この事実を日本から金を引くために、
 ストックフォルムで先行自白(語るに落ちる)したのだ。

 また韓国域内のことであるが、
 私の友人のお父さんは、戦前、韓国域内で教員をしており、戦後引き上げてきた。
 そして、後年、韓国の教え子達が同窓会を開いてくれた。
 このような良好な環境のなかにあっても韓国域内から引き上げるときは、
 愛読書の森信三著「修身教授録」しか持参できなかった。
 他の総ての財産を放棄して引き上げてきたのである。
 また、私は、北朝鮮域内のように抗日パルチザンからの攻撃はなかったとはいえ、
 韓国域内から日本に引き揚げる前に、目の前で父親が金槌で殴り殺される経験をした人を知っている。

 以上のように、朝鮮半島からの日本人引き揚げ者には、苛酷な運命が待ち受けていた。
 しかし、その全容が明らかにされているシベリア抑留者と比べて、
 何故、朝鮮半島からの引き揚げ者の運命は蓋をされたように知られていないのだろうか。

 この疑問を解明する鍵は、
 我が国を軍事占領した連合軍総司令部(GHQ)が、戦後直ちに実施した言論の検閲である。
 GHQの検閲事項の第8項は、「朝鮮人への批判」を禁じているのだ。
 これが、現在に至るも、朝鮮半島の日本人が如何なる境遇におかれ、
 一体何万人が殺されたのか一切蓋をされて伝わらない理由である。

 現在の韓国の大統領は、就任以来、朝から晩まで日本を非難してきた。そして、
 「加害者と被害者の関係は、千年経っても変わらない」
 と化け猫の怨みのようなことを言っている。

 従って、日本は、こういう日本非難を聞き流さず、
 朝鮮半島に於ける知られざる日本人同胞の悲惨な運命についての関心を喚起し、
 今こそ、その歴史の実相を解明しなければならない。