再び、自衛隊諸君の心情について。 | 旗本退屈女のスクラップブック。






平成27年2月10日(火)

 シャドーボクシングという言葉がある。これは、面前に相手がいることを想定して、実戦のようにパンチを出し防御しながらカラダを鍛える訓練法である。
 平時に、事態を想定して訓練を積んでおかなければ、いざという時に体は動かない。
 いざという時に体が動くのは、平時に事態を想定して訓練しているからだ。

 私の高校の恩師に、帝国陸軍将校の卵で終戦を迎えた山歩きが好きな酒飲みがいた。
 卒業してからかなり経てから、二人で山の話をして歩いていると、突然、彼が言う。
 「西村、あの右手の斜面から敵小隊が一斉掃射してきたら、どう展開する」
 しばらくしてまた言う。
 「俺なあ、山歩いていても、いつもそんなことばっかり考えてしまうんや。
  それで俺はいつまでたってもアホやなあと笑うんや。」
  そう言って苦笑いしながら、酒を飲めば、彼はまた、同じ先輩戦友の話をして、
  突然、「仇をとりたい」と涙を流した。
  私も、軍事訓練ではないが、そのころ山登りに熱中していて、
 岩を見ればよじ登るルートを考え、ビルを見れば、あのビルはああすれば登れるなあと何時も考えていた。
 その上で、時々、岩山に登っていた。
 その時は、指三本が岩の縁に引っかかれば、しばらくは体を宙づりにして支えることができた。
 また、足場が崩れてザイル一本で宙づりになり、百メートル下に小川が流れているのを見て、
 他人事のように墜ちれば死ぬなあと思ったことが今も忘れられない。

 この恩師のことや私の体験を振り返り、そして、思うのは、
 訓練を続ける自衛隊員諸君のことである。
 彼らは、「危険を顧みず任務を遂行し、以て、国民の負託に応える」
 つまり「任務遂行の為には死も覚悟する」と宣誓して自衛官に任官し訓練に入っている。
 その訓練は厳しい。
 任官して六ヶ月の教育期間で大学四年間の本格的な運動部に在籍したのと同じ運動量をこなす。
 
 では彼らは、どういう思いで、如何なる訓練をしていると思われるか。
 
  口蹄疫病の牛の死体を埋める訓練か。薬剤散布の訓練か。鶏の死体回収の訓練か。
 
  違う!
  国家を護り国民同胞を護る為の訓練である。
  
 では、その為に、如何なる事態を想定して訓練をしているのか。
 それは、北海道および南方島嶼へ侵攻した敵の撃破、都市部に潜入した敵のゲリラ・コマンドの撃破、
 そして、アルジェリアのイナメナス、シリア・イラクの「イスラム国」さらに北朝鮮等々の邦人救出
 を想定した訓練である。

 前の時事通信で、習志野の特殊作戦群に触れたが、
 彼らは、明らかにイナメナスやシリアの、我々が観たむざむざ邦人が殺されていく事態を想定して、
 その事態から邦人を救出する訓練をしている。
 我々の想像を絶することだが、
 彼らは、まさにその「想像を絶する事態」を想定して同胞を救出する訓練をしている。

 従って、二年前のイナメナスの時も、この度のシリアの「イスラム国」の時も、
 彼らは、最高指揮官から、何時「命令」があっても即応する為に、じっと待機していたはずだ。
 彼らは、至高の練度、至烈の闘魂をもつ連中である。
 想定した訓練を現実に実践することができる連中である。

 従って、私は前回の時事通信で、心から彼らに、ありがとう、と言ったのだ。

 二年前のイナメナスのテロに際して、私は予算委員会で安倍総理に、
 イナメナスの邦人救出のことは考えなかったのかと尋ねた。
 総理は、我が国には、その能力がない、と答えたので、私は、静かに総理に言った。
 我が国には能力がある。あいつらは、宣誓の上、想像を絶する訓練をしている、
 貴方は彼らの最高指揮官である。
 貴方が命令すれば、彼らは救出にう行く、と。

 最高指揮官、安倍総理、
 イナメナスの「痛恨の思い」を持続して、この度の「イスラム國」に対処していたのであろうか。
 最高指揮官は、喉元過ぎれば暑さを忘れることはできない立場である。
 
 私には、特殊作戦群の諸君の歯ぎしりが聞こえる。
 彼らに言う、
 自衛隊のコントロールの中枢を占拠する「自民と公明の政治構造とレベル」、即ち、「惨めな戦後体制」を、
 直近の総選挙で崩せなくて申し訳ない、と。

西村眞悟の時事通信