志士を知る者の涙 | 旗本退屈女のスクラップブック。
西村眞悟の時事通信


平成27年1月3日(土)

 この正月、維新創業期の三人、西郷隆盛、山岡鉄太郎そして勝海舟からの聞き取り書きに接した。
 この三人は、それぞれ薩摩藩の頭目や幕臣であり立場は違ったが、
 お互いが、ともに尊皇憂国の武士であり、
 一点の曇りもない至誠を以て天下に処する者であることを瞬時に見抜いた。
 
 それ故、この三人が、江戸無血開城を為しえた。
 これによって、「江戸百万の生霊」を救うことができ(勝海舟)、
 天皇の下に一致団結した国民国家が創業される前提が整う。
 
 江戸無血開城こそ、現在の日本の運命を決した偉業である。
 仮に、江戸が内戦の巷となっておれば、内戦状態の我が国が独立国家であり続けられたか分からない。
 その後、この偉業を為した三人は、ともに官位にこだわらず恬淡として生きた。
 これが武士である。

 本日早朝、仁徳天皇陵周辺を歩いているとき、この三人の涙の情景を思い起こしたので、
 ここに記して、戦後の日本人の精神の欠落を指摘し、
 日本と日本人を取り戻すとは何かを得心する切っ掛けとしたい。

 
 まず鹿児島に下野した明治六年ころか、西郷隆盛の聞き取り。
 
 万民の上に位する者は、己を慎み、驕奢を戒め 節倹を勤め職務に勤労すべきだと述べてから、
「然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱え 、蓄財を謀りなば、維新の創業は遂げられまじき也。
 今となりては、戊辰の義戦もひとへに私を営みたる姿に成り行き、
 天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、しきりに涙を催されける。」

 明治二十年、山岡鉄太郎聞き取り

「今日は西郷などは国賊だから、拙者もあるいは国賊かも知れん。要するに、どれも皆、至誠の丹心から発したのだから、以上各士はいずれも非難のない武士道的人物である。
 世人の国賊と呼ぶ西郷君のごときも、拙者は仰いで完全無欠の真日本人として疑わない。」
(西郷隆盛は西南の役により賊軍となるが、明治二十二年、大日本帝国憲法発布の特赦により汚名を雪がれる)

「・・・いよいよ維新鴻業は成就した。
思えばさきに至誠殉国せられた志士の精神もはじめて貫徹せられ、
海洋は波動をとめ、万物緑色として幽魂静かに地下に眠ることができるであろう。
 ああ、深く感謝しなければならない。
(談ここに至るや、先生の双眼は血涙あふれるものあり)」

 山岡鉄太郎没後(明治二十一年七月十九日)、勝海舟聞き取り

「官軍はずんずんす近寄りきて大総督の本営はすでに駿府にまで来着ということである。
 この際、君公の恭順謹慎の誠意を朝廷に訴える者がない。悲嘆至極の境遇に至っていたそのときだよ。
 忠勇金鉄のごとき至誠鬼神を泣かしめる愛国無二の傑士山岡鉄太郎が出た。
(このとき、勝先生の声音、やや大にして、うたた古人を思い昔日を追念するの情にたえられなく、話は中絶して、先生の双眼、涙の溢れんとするを見る)」

 以上、三つの情景を記したのは、
 我ら現在を顧みて、至誠殉国せられた先人を思い、
 ああ、深く感謝しなければならない、
 と双眼に涙をたたえる者、いったい幾人いるのか、と深思していただきたいからである。

 明治維新とは、この涙する尊皇至誠の者達によって為し遂げられた。

 日本を取り戻すとは、この三人の英傑の涙を取り戻すことだ。
 日本を取り戻すとは、ああ、深く感謝しなければならない、と英霊を思うことだ。
 日本を取り戻すとは、内閣総理大臣が靖国神社に参拝することだ。