その日、眠りにつき、朝、目覚めます。
昨日は睡眠薬を内服し、睡眠をとったのでむりやり寝たという感覚でした。
以前の流産手術後は出血も多く、痛みも伴っていたため、ロキソニンを内服し疼痛をコントロールしていました。
しかし、今回は出血量はあるものの、痛みはなく、ロキソニンを内服することなく過ごしていました。
歯を磨いて、朝食の準備をします。
すでに主人が起床していました。
「ネッコ、おはよう。」
「………。」
(あれ……、え、……?!声が出ない…。)
朝、主人と会話しようとしたのに、全く声が出せなくなっていました。
こんなことは初めてで、どうやったらいいのかわからず、すぐにスマホで主人に今の状況を伝えました。
「え?!声が出ないの?どうして、何があったの?」
主人も慌てて、二人で検索すると、過度のストレスが身体にかかると声が出なくなることもあると記載されているページがありました。
「そうか…。いや、無理もないよ、体がしんどいだけでなく、精神的にもとてもダメージを受けてるよ。急がず、ゆっくりいこう。」
身体が無理をしていたんだと感じました。
声がでない…。そんなことがおこるなんて思ってもみませんでした。
今は仕事にも行っていませんし、話す相手も主人のみです。
困ることはないかと思いながらも、声が今後、出てくるのか…と、凄く不安になりました。
さらに、のどに何かつまってる感じがある、瞼が痙攣する、白髪が増える、何もしていなくても体がだるい、食欲がない、眠れない……
身体の変化だけでなく、ふとした瞬間に涙が出る、買い物へ出かけた時に見かけた妊婦マークで動けなくなる、子どもや妊婦さんを見れないなど精神的な変化もありました。
こればかりは、もうどうしようもないですし、どうにもならない…と、思い無理せず過ごすことにしました。
しかし、夜になると、娘ちゃんに話しかけていた思い出や、虚無感、不安や苦しさで大泣きするなど、もう気持ちはぐちゃぐちゃでした。
謎に自分の居場所を探さないと!と、昼間は元気になり、家事をせっせとこなすのですが、夜になると恐怖で大泣き。
なにより、娘を失ってから、自分の身近な人がまたいなくなったらどうしよう……、これ以上私の周りから大切な人がいなくなったら……と、四六時中恐怖心にさいなまれました。
そのため、主人に必要以上に「体調わるくなってない?事故とかしてないよね?早く帰ってきて。」と、しつこく何度も連絡をしたり、飼っているネコの傍を離れなかったり、主人が死んでしまったら…と、恐怖で泣きわめいて仕事中の主人に頻繁に連絡を入れたりと、もう完全に崩れていました。
見かねた主人が、「ネッコ、ちょっと散歩でも一緒にいかない?夜ご飯を食べてから外の空気を吸いに行こうよ。」
と、提案してくれました。
少し歩いた所に大きな公園があるので、そこまで毎晩、二人で2時間ほど散歩をするようになりました。
散歩をしながら、今までのことを振り返るようになりました。
主人は、最初の流産後、妊娠が再度わかって嬉しかったこと。
妊娠検査薬の写真を今も宝物のようにもっていること。
エコーで娘ちゃんをみてかわいいと思ったこと。人間がいるんだと初めて思ったこと。
父親として何ができるか考えたこと。
そして、実は仕事中も娘のことを思い出し、主人もしんどい思いをしていること。
私は今、仕事を休めていますが、主人は休みなく手術の次の日から仕事に行っています。
前回の流産同様、主人も私と同じく精神的にもショックを受けていました。
気持ちの整理の付け方を彼なりに模索しながら、私の崩れようにも常に支えてくれ、自分の気持ちとも向き合いながら苦しんでいる事を知りました。
私だけでなく、主人も苦しんでいる。そして疲れていました。
夫婦で支えながら進んでいこうと思いました。
この頃散歩へ行き始めてから、少しずつ声もだせるようになってきました。
わかってはいましたが、手術を終えてからもそこから自分の気持ちと向き合うことにとてもしんどいですし、ここまで身体がおかしくなっていくとは思ってもみませんでした。
ただ、死にたいとは思わなくなっていました。