もう一つのジャーナリズム | たっぺーの戯言

もう一つのジャーナリズム

 参加型ジャーナリズムについて…私は沖縄県出身なので、興味のあった八重山毎日新聞(シビック・ジャーナリズム)を読んでみました。

記事URL → http://www.y-mainichi.co.jp/news/14017/


 記事の内容は、甲子園の県大会予選で地元・八重山商工が那覇商業をコールドで下し、準決勝進出を果たしたというもの。同じ沖縄県でも、八重山諸島では本島の高校を県外の高校と同じように扱います。まぁ島んちゅは仲間意識がかなり強いからしょうがないですけれど、本島の高校ももっと大きく扱ってほしいですねw



 さて、ここから本題に入ろうと思います。この甲子園予選に関する記事を私が地元で慣れ親しんだ沖縄タイムスで読んでみると、同じように県内の高校の躍進が掲載されていました。しかし!異なる点が一つ。八重山毎日新聞は記事の終わりに必ずコメントを記入できる欄が設けられています。それに比べ、本島の王手新聞社の記事にはコメント欄が設けられていません。

記事URL → http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-07-13-M_1-017-1_001.html



 ここが、既存のジャーナリズムと参加型ジャーナリズムの大きな相違点です。これまでは、メディアの視点から市民に向けて記事が発信されており、それに対して市民は意見を述べることができませんでした。しかし、このようにコメントを掲載できることで、市民の意見がすぐに反映されます。つまり、双方向のコミュニケーションが可能となるわけです。



 より良い社会を作るには、双方向のコミュニケーションが不可欠だと考えます。「ほんとか!!?」と思われるかもしれませんが、静大の情報学部パンフレットにも、「高度情報化社会の中で、双方向コミュニケーションを実現できる人材の育成を目指す」という事が書かれており、私も少なからずそれに魅力を感じてこの学部を選択したわけですので。市民の意見が直接・素早く反映されるというのは素敵なことだと思います。



 あくまでネット上でしかコメントできないという問題点もありますが、現段階ではこれで十分だと思います。実際の新聞にコメント欄を設け多くの意見をアップしていくのは難しいでしょうし、今では色々な場所にネットワークを利用する場所が設けられ、少し練習すれば誰でも利用できるほど簡易化されていますから。



 そういう点で、八重山毎日新聞は地元に愛され、圧倒的なシェアを誇っているのでしょう。沖縄タイムスもこれを見習えば、琉球新報ともっと差をつけられるだろうなぁw


 最後に、少し気になっていたJANJAN(パブリック・ジャーナリズム)の記事を読んでみました。内容は、「日本のクラブチームで一番面白いサッカーをするのは首位の鹿島ではなく、アジア王者の浦和でもなく、FC東京である」というまさに市民自らの独断に満ちた記事でした。(スポーツの話題ばかりですみませんw)

記事URL → http://www.news.janjan.jp/culture/0907/0907126926/1.php



 しかし!質があまり高くなく、だらだらと書いてあるこの記事こそが、パブリック・ジャーナリズムの醍醐味であると考えます。「誰もが・自由に・好きな時に」記事を作成でき、大量の情報を共有する。そのような一種の無秩序状態にいると、人々は自ら情報を取捨選択せざるを得なくなり、「メディア・リテラシー」を養っていくのではないでしょうか。



 現在のように、メディアの完成された情報(視聴率獲得のために初めから取捨選択された情報)に洗脳されるだけでは、一生この能力を養うことはできません。



 自ら情報提供に参加していくことで、他人と双方向のコミュニケーションを取り、自らもメディア・リテラシーを養える。参加型ジャーナリズムは、これからのジャーナリズムを変えていく大きなポテンシャルを持っているんですね。いや、本来のジャーナリズムに戻すと言った方が正しいのかな?



 そんな感じで、私の意見を終了させて頂きます。知った口を聞いてすみませんでしたm(__)m