私たちは何者なのだろうか。まずそのスタートが正しくなければ、
苦しみ悲しみから解放される努力が報われることはない。
今まで私たちは自分がこの肉体であり、そして成長するにつれ身についてきた習慣や

考え方、好きな食べ物や欲しいもの、夢を追うことや生活費を得るために働くことが、

私たちの存在であると信じて疑わずに生きている。しかしそれは本当だろうか。
人間の見えているものは、この宇宙の中のほんのわずかなものである。

この宇宙は光で全てが繋がっている。しかし私たちの目には、

あらゆものが分離されて見えている。人と人、そのほかの物や木や川や太陽などが、
自分の周りに離れて存在しているとしか見えないし聞こえないし感じられない。
だが我々はすべて光でできている。そして何もないと思っている空間も光で埋まっている。
私たち人間の目は、その光の中のある波長をとらえて見えているにすぎない。

聞こえるものもそうだ、ある有限のものしか聞こえない。
全てが光っている全てが一つで繋がっている。その繋がりは見ることも感じることもできない。
私たちの感覚はすべて分離されているので、各々に別の名前があるし、

自分と他人があると思っている。それ故に完全な共感などあり得るはずもなく、
互いに互いの意見を言って交わることはない。
人々はそれぞれに育ってきた環境の中での思考だけでそれぞれに自分を生きている。
それが自我と呼ばれるものである。その有限な自我を持っている限り、
私たちが望んでいる本物の幸せ、恐怖からの解放を知ることはできない。
武田先生の説明によると、六百万年前に一つの命を感じることからの分離が始まった。

大脳皮質の発達だ。だから今度は大脳を持つ肉体を離れる練習をするのです。
私は今の肉体の私で幸せだと言う人がいるかもしれない。
今の人生で自分が肉体であったと思ったまま安らかに死ねたとしても、
必ず次の人生は何かの苦しみを感じるように選ぶはずだ。
なぜならば私たちは永遠の命であり、その永遠のものから常に「私を悟りなさい」と
呼びかけられているからだ。人間は永遠の良きものを表すための器だからです。
苦しみや困難からの解放は、この世を歩き回り探し回っても見つかるものではない。

あなたの奥深くに必ず存在しているものが、本当のあなたであり永遠の幸せです。

それを知るためには、この考え感情はわたしではない、これを行っているのは私ではない、

それらは有限の生まれては死ぬ一時の存在である。私はそれから離れていられる。

決してそれらと触れることはないと悟らねばならない。肉体の人生が美しく楽しげであろうが

醜く恐ろしくあろうが、それらは表れてはいつか消えていくのだ。

私たちは消えることのない永遠の自分を発見せねばならない。

まず先に私はこの体ではない。頭に浮かんでくるあらゆる言葉考えは私ではない。

心と呼ばれるものは私ではない、と離れて見ている意識にならねばなりません。

事実心というものは存在しない。ただ考えというものがぐるぐる回っていて、

その考えを心と言っているに過ぎない。それらを一つずつ一つずつ捕まえることなく

手放すことができるようになれば、私たちは肉体や思考の奴隷状態から解放されていく。

私たちは名前をつけられた誰それという肉体であり、その人生を全うするのが

私たちの存在意義であると思わされてきた。この大いなる錯覚を打ち破らねばならない。

そうして初めて、楽しく豊かな永遠の私の現れとしての人生が始まる。

あなたは肉体ではないから、人生がどうなってもいいなどと言ってはいない。

自我というあなたを縛る物から解放された存在は、恐怖のない愛に溢れた現れになります。探しても求めても得られないものを、いつまでもこの世で探す無駄とばかばかしさに

気付くべきです。そしてこの瞑想は、日本人には決心さえすれば必ずできることなのです。

何故ならば日本には昔から、私が私がという自己主張をする文化がないからだ。

最近はそういう人たちが多いと聞くが、それでも長い間の日本人の中にある私を

主張しないという文化は、私たちを永遠のものに至らせる大きな助けになる。

次の人生で日本人に生まれるとは限らない。他国に行ったら、私はという自己主張を

確立しなければならなくなる。そうすれば自我を消滅させるのはとても大変だ。

さあ日本人である今のうちに瞑想を始めよう 苦しみ悩み不安あらゆるものが、

あなたを瞑想に向かわせる手助けをしてくれているのだ。

誤解を恐れずに言うなら、不安定な今だからこそ瞑想を始めよう。

たとえ事故に会おうが津波に巻き込まれようが人から何と言われようが、

通り魔に巻き込まれようがどんなことが起きようが、離れて観ていられる永遠のあなたに

なるのが瞑想です。今は新型肺炎のことで不安が渦巻いています。
岡江さんにも見つめる瞑想をして欲しかった。

死なない自分を知ること以上に大切なことはない。

人間は生きたとして百年の命です。私は岡江さんより若く死ぬだろうが、無念ではない。

ご家族にも、岡江さんが消えたのは私たちの有限のものしか見えない感覚の中から

だけであり、永遠不変の命として生きていると知って欲しいです。

空間の中に、風の中に、雨の中に、大宇宙の中に、お子さんの中に生かす命として

存在し続けていると知って、あらゆるものを慈しむ皆さんでいて欲しいです。

瞑想をもっと早く日本に広められなかったのが残念です。
例え死ぬとしても、もう私たちは何百回も人生を繰り返し、生まれ死んでいる。

その中の一回です。だがその一回の生を瞑想的に変えるなら、
あなたにとってその人生は恩寵になる。死のない自分を悟れるのだから。

みなさん、不安や恐怖は有限の中にのみあると知って落ち着いて下さい。

大脳皮質の五感を離れれば、永遠不変のあなたがいるのです。さあ瞑想をしましょう。