見つめる離れている,という瞑想をしていると同時に笑う練習をしよう。
lesson 2だ。私は随分昔セラピーの先生の手伝いをしていた。
10人ぐらいの泊まり込みのセラピーで、ヨガを教えたり人々の話を聞いたりしていた。
朝のヨガのポーズの最後に、それではみんなで思いっきり笑ってみようと言って、
笑うヨガを始めようとした。
その日珍しく若い男性が参加していて、彼が怒った顔でこちらを睨んでいる。
それで彼に聞いてみたら、なぜ楽しくないのに笑わなければならないのか分からない、

なぜそんなことをしなければならないのか分からない、
僕はただ自分の悩みを苦しみを解決したくてきただけなのにと言った。
まさにあなたの苦しみの解決を妨げているのが、あなたのその新しいことをしないという
考えにあると私は言った。あなたは新しくなりたいのではないのか、
それならば今までやったことのないようなことに挑戦する勇気が必要ではないか。
笑いたくないという気持ちはそのままでも笑うことはできる。
最初は嘘笑いでもいいのだ。
あなたには問題を解決するという方法以外に、あなた自身が新しいアプローチをする、
新しいことができるのを知ってほしいと言った。
当時の私はまだ完全に悟れていなかったので、彼を救いの道に導くことはできなかった。
でも今ならば彼の中に変革をもたらすアドバイスができたはずだ。
だから皆さんもこれから私が言うように、まったく理由なく笑ったり喜んだり
幸せを感じたりしてほしい。
社会があなたにそれを感じるのを阻んできたならば、
今あなた自身でそれを感じ始めよう。

だってそれはあなたが最初から持っているものなんだから。

肉体に起こる喜びなどほんのひと時のものでしかない。
彼女ができても喧嘩をして熱々の時間はそう長く続かない。
宝くじが当たるとあなたの恐怖は消えるどころかさらに大きくなるかもしれない。
肉体同士が自我を生きているこの社会で、本当の幸せなどありえないのだ。
どんな地位にある人もある日突然死ぬかもしれない、破産するかもしれない
その座を奪われるかもしれない。
そうしたらその人の喜びは幸せは消え去ってしまう。
そんなものに依存してきた私たちがいけないのだ。私達は本当は全くの自由だ。
たとえ肉体にどんな苦しみがあろうとも、あなたは思いっきりいま笑うことができる。
思いっきり幸せだと思うことができる。
あなたが感じたい幸せというものをイメージするのだ。
そう天国のような幸せだ。何もなくても幸せなのだ。
その幸せがどこまでもどこまでも宇宙いっぱいに広がっている。
幸せそれがあなたの本当の命だ。あなたは幸せから本当は離れたことはない。
肉体であると思い込んだ時から幸せから離れてしまった。
大の字になって幸せに浸ってみよう。
どこにも行くことはないもうすでにここが終着点だ。
何も探すことはないあなたがそれなのだ。
心ゆくまでその安心感を喜びを感じてみよう。
安心というのはもう何も探すこともないこと、何も壊れるものはないのだから
恐れることもないと知ること。もうここが終着点全てがここにあると知ることだ。
肉体から無限に広がっているあなたへ自分の構造を変えるのです。
安心を肉体に求めることなど不可能だ。誰かに守ってもらおうとしても、
決してあなたの安心を守りきれる人などいない。
肉体である限り安心は訪れることはない。
でもあなたは思いっきり感じることができる。
物質次元の何も解決していなくても、あなたは天国である自分、
終着点にいるという安心を喜びを感じることができる。
なんと回り道をしたことかと、全ては私の中に存在していたのだと感じることができる。
それを感じ始められることが、あなたの本当の権利と自由だ。
私は幸せだ嬉しい平和だ、それをただただ感じ始めることが出来るという自由を
あなたは持っている。
前に話した青年のようにかたくなに拒否しなければ、あなたは感じたい全ての、
自身の持っている素晴らしい感覚を感じられる。

今の社会は人権の使い方が間違っている。人は傷つきやすいもので、
人の心を悲しくしたり虚しくさせたりするのがいけない、
それらをさせないことが人権であると言っている。
しかし本当の人の権利とは、その人が自分の本当の姿に気が付いて、
自由に笑い喜び楽しみお互いを尊重し合って存在し続けることができることだ。
人の本当の命を生きさせてあげることが本当の人権だ。 
怒りを掻き立てる者にし続けることは人の権利を奪っている。
あなた方の本当の命を感じさせないようにしているのが、彼らのしていることである。
彼らは人権とか平等とか言いながら、本当は人を弱いものにし続けたいのだ。
傷つきやすいものにし続けたいのだ。
それでいながらあなたたちの味方であると言う偽物だ。

2番目の瞑想は、あなたが今までに肉体の中に入れてきた不の感情、
体に起きるあらゆる不調や震え色んなものがあるかもしれないが、

それらは肉体に起きている。
見ている意識のあなたと触れることのない遠い所に起きている。
それが相変わらず肉体に起きているとしても、
あなたは自分で自分の感情を新しくし、感じたいものを感じ笑いたい時に笑い、
自由にできるということを実践することです。
今までの馬鹿馬鹿しさに大笑いしてみるといいのだ。
肉体世界で人間関係でごちゃごちゃして悩んできたこと、
その馬鹿馬鹿しさに大笑いしてみるといい。
誰かが驚ろこうがもはや関係ない。あまりのくだらなさに笑うしかない、
お腹から純粋に笑ってみよう。笑って笑って涙が出るほど笑ってしまう理由もなくだ。
そしたらあなたは自由を手に入れる。神からの贈り物だ。
肉体に起きることに悩まされてきた自分の人生にそれを唯一の生だと思ってきたことに、
後悔するのではなく笑ってあげるのだ。
そして今ここでその気付きを得ることができることに感謝しよう。
だって他の人はまだ自分を肉体だけだと思って生きているのだから。
あなたはもう笑うことができる、喜ぶことができる幸せでいることができる何もなくてだ。
それがあなた自身であるからだ。
最初からあなた自身であったそれらを感じることに躊躇してはならない。
本来のあなたを取り戻すそれだけだ。
これがあなたの鬱々とした人生を変化させる方法だ。
あなたの権利と自由を存分に発揮しよう。
勿論呼吸を見つめる瞑想、思考を見つめる瞑想、
身体に起きる全てを見つめる瞑想を怠らない。
見つめる瞑想は時に深刻さを感じる、上手くいかない時もある。
だから笑い喜ぶ瞑想は同時にされるべきなのです。
深刻にされてしまった日本人に一番必要な瞑想です。