今日九月九日は重陽の節句である。

中國で始まった陰陽五行説によると

1から9までの自然数のうち奇数は陽の数であり偶数は陰の数とされた。

中国では奇数の数(陽)が重んじられ、その数が重なった日は節句とされ、日本でも様々な行事が行われた。1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日がそれである。

その中で9月9日は陽の数の最大のものが重なるので、古来、重陽の節句として重んじられてきた。旧暦の9月9日は多分、秋もたけなわであろうから菊の花も盛りで

その花を観て一杯飲むという風習が盛んであったと言われる。

今は、コロナの時代となり、親しい人たちが集まり観菊などは全くできないことが悲しい。

そんな中、前回、述べた筑波研修という時のことを思い出したので少し、書き足しておく。

全国から200名近い教員が一堂に集まり、約1か月の講習を受けたわけだが、宿泊棟では大体、8人が一つの班として構成され、お互いに寝食を共にする中で得難い友人が出来たのである。私の場合も今でも思い出すが、北海道、鳥取、島根の隠岐の島、愛知県、東京、など多彩な顔ぶれだった。

重陽の節句でお酒の事に触れたが私はこの研修に行く前に教頭さんから貴重なアドバイスを頂いたのであった。

それは必ず地元の酒を何本か持って行って夜の懇親会の時にみんなと交流しなさいというものであった。

しかし、それは宿泊施設が国立である事から原則は持ち込みは禁止されているがあまり気にしなくてよいつまり、はっきりそれ(酒)である事が管理人から分からないようにすればよいというのであった。これは大変私にとって有難い情報であった。

最初の晩の夜9時頃(消灯は10時)同じ生活班の仲間同士で初めて自己紹介などをしていた時、早速私は持って行った岩手の酒をみんなに振舞った。

すると一同はびっくりしたという表情であった。

 

それは研修の手引きに「酒類の持ち込み禁止」と書いてあったので誰も持ってこなかったのである。私が地酒を持ち出すと彼らは一斉に驚きの表情をしたが、そこはそれ、もう、誰も何も言わずに静かな宴会が始まり我々の中は急速に深まっていったのである。

研修等の見回りの人も実はおおらかで、「ああ、懇親会ですか・・」くらいの対応であったので一同はすっかり、打ち解けたし、私の株も大いに上がったわけである。

さて、それからが大変だった。酒を持ってこなかった連中(私以外)は次の日から

国元に電話して次々とそれぞれの御国自慢の銘酒を取り寄せ始めたのであった。

私も更に岩手の長姉に電話して、二戸の南部美人の特級酒を送ってもらったのである。

そんな中、仲間の一人が事務室から呼び出され、注意を受けたことがあった。

彼は奥さんにお酒を送れと頼んだのだが、届いたその荷物のラベルに内容が

なんと「酒」と書いてあったのである。

結局、彼はその荷物を送り返すことになったのである。ところが・・・・

その2~3日後、そっくり同じものが送られてきて簡単にパスして

その夜の酒盛りにみんなでありつくことになったのである。

一同、皆、不思議に思い何故、税関をパスできたのかを聞いたのである。

その本人はにたりと笑って、悪びれず、その荷物のラベルを披露した。

その送り状のラベルにはなんと「酢」と書かれていたのである。

つまり、酒が発酵して「酢」になったというわけで

国の研修所の厳しい税関官吏も苦笑しながら見逃したのであった・・・。

重陽の節句で、もうお酒も酌み交わせない時代であるが・・懐かしい思い出である。

菊花の宴(重陽の節句) 山手西洋館

菊の宴(横浜市イギリス館)